こんばんは、鍵野です。
週末に何年振りかで歯が痛くなって、ちょっと困りました。甘いものを食べたら明らかに痛みが。それで、利き腕ならぬ利き歯?もあるんでしょうね、普段意識はしてなかたんですが、いつも左側メインで嚙んでいるようで、意識して右側で嚙むようにしたら昨日今日とあまり痛みを感じずに過ごせてます。でも、慣れない方で意識して嚙む食事は美味しさをあまり感じなくなります。これ、お釈迦さまの瞑想の一つに食べる瞑想というのがあって、食事の動作を一つ一つを言葉にしながら(頭の中で)実況中継しながら食べるのと少し似てるなぁと思いました。食べる瞑想では「手を伸ばします、伸ばします、(箸を)掴みます、掴みます、上げます、上げます、(中略)噛みます、(味を)感じています、噛みます、感じています、噛みます、感じています、飲み込みます」というような調子で45分以上かけて食べるんですが、そうすると美味しいとかもっと食べたいとかそういうのはなくなって、食べること自体が修行に変わって、とても落ち着いていられていいんですけど、そのつもりじゃなくても、右側で嚙もうというのを意識すると、それに気を取られて、美味しいものを楽しむという感じが減ってました。じつは息子の二十歳の誕生日がもうすぐなので、それを祝って元妻と息子と3人での和牛焼肉食べ放題ディナーだったんですが、歯の痛みを回避するのに成功した分、そんなにガツガツせずお上品に終わりました(笑)。もう脂身が厳しい年頃でもあるなぁと感じました(笑)。
息子に関しては、アドラー心理学のおかげもあって、高校生になったときから、まだ知識と経験は少ないけれど、もう共同生活する同じ大人として関わってきたので、二十歳だからどうこうというのは特にはないのですが、唯一、お酒について、話しておきたいことがあるので、遺言のつもりで(笑)、お盆に帰ってくるときに聞いてもらおうかと思っています。あることをきっかけにアルコールを絶ってもうすぐ8年になりますが、本当によかったと思っています。もともとそんなに飲めるわけでもなくて、食いしん坊の延長で食事のために飲んでいたようなものですが、できるだけ理性を曇らせず、責任を持って暮らしていくにはアルコールを始めとする人を酔わせる薬物から離れるのは大事なことだと思います。お釈迦さまの推薦する暮らし方である五戒の一つにも入っていますし。
で、歯なんですが、また痛み出したら困るし、ホームページを拝見しながら、評判はわからないんですが、地元佐伯市の歯医者さんに予約を入れました。大分市内に、息子も娘も歯科矯正をしていたので、そこに連れていくついでに、自分の歯の治療とかクリーニングをお願いしていた歯医者さんがあるんですけど、もう自分の用事だけだし、何回も通うだろうから、ちょっとリスクはあるけど、地元佐伯に賭けてみました(笑)。
それで、思ったんですが、歯医者さんとか、床屋さん(散髪屋さんと言いますね、大分では)とかは、それぞれ、「痛い~!」とか、「伸びたなぁ…暑苦しい」とか、そろそろ行かないと、行きなさいよ!というようなサインを身体から感じるんですね。「面倒だけど、放っておいたら、もっと面倒になるしなぁ…」ということで行動を起こすんですが、カウンセリングもそのくらい身近に普通に、「そろそろ行くか」というノリで利用してもらえるようになったらいいなぁと。「なんか最近あの人とぶつかることが増えたわねぇ…、来週あたりカウンセリング予約しようかしら」とか、「昨日もつい怒っちゃったなぁ…、いかんいかん! 久しぶりにカウンセリングに行こう」といった感じで使って欲しいですね。
アメリカなんかは、それこそ美容院の数くらいカウンセリングルームがあるとか聞きますし、カウンセリングに通うことも全然特別なことではないようですから、そんなノリで使われているかもしれませんが、日本では「そろそろカウンセリングに行こうと思うんだけど、あなたどこに行ってるの?」といった感じで話せるようにはなってませんね。普通の人は行かないところ、まだまだ特別なところなんですよね。
フィットネスクラブとかスイミングクラブとかに通って身体を整えるような感じで、心理面を整えるために、カウンセリングを利用してもらえる時代が来るといいなぁと思っています。
あるいは、足りない栄養素を食事やサプリメントで補給するように、カウンセリングを通して別の人であるカウンセラーの視点を導入することで、ネガティブループの自家中毒から脱出して欲しいなぁと。
鍵野のアドラーカウンセリングは、病んでいる人を治すという世界ではなくて(それはお医者さんのお仕事)、何か困っている人がいらして、それは、今のあなたの考え方から、世界を他人を自分を捉えているからこそ起こっていることなので、よろしければ、あなたの自分心理学ではなく、アドラー心理学で考えてみませんか? という提案です。 アドラー心理学で考えれば、同じような出来事でも、それまでとは違って感じられるようになりますし、そうしたら違った行動ができるようになります。あなたが違った行動をすると、周りの人もそれまでとは違う反応、行動をするようになりますから、それで文字通りに世界が変わることになります。
自分心理学で、自分の考えでいくら考えても、自分の尾っぽを追いかけるワンちゃんのようにグルグル回るだけで、自分も他人も世界も全然変わりません…、というか、考えれば考えるほど、より一層頑なにそのままで、あなたにとって都合の悪い状態で強く固定するようになります(変わらないために考えるんですね)。
必要なのはあなたではない人との対話です。変わるという意味では、対話になっていれば(受容と共感だけでなければ)、変わるはずですが、それがあなたと周りの人が幸せに向かう方向に変わるかどうかはわかりません。ひょっとしたら、今よりもよくない方向に変わることも大いにあり得ます。その対話相手が、アドレリアンであれば、もう少し鍵野の知っている範囲で責任を持って限定すると、野田俊作顕彰財団(AIJ)か日本アドラー心理学会の認定カウンセラーであれば、アドラー心理学の理論と思想に沿って対話をしますから、あなたと周りの人が幸せに向かう方向に変わることが期待できますし、少なくとも現状より悪くはならないと思います。
アドラーカウンセリングって、鍵野も何度も受けたことがあるからわかるんですが、基本的に面白いし楽しいんですよ。そもそも新しいことを知るのって楽しいし、しかもそれが自分のことなんですから。知っているつもりでじつは知らなかった自分を知っていく、冒険の旅なんです。じっさい、鍵野のカウンセリングを受けた方も、来た時よりも明るく希望を持って帰られる方がほとんどです。
それで「行きはよいよい」の反対で、帰りはみなさんカウンセリングを受けてよかったなぁという感じで変えられるんですが、最初はやっぱり不安ですよね。鍵野も、ちょうど明日なんですが、ちょっとは痛いだろうなぁ(ちょっとだといいなぁ(笑))と覚悟して歯医者さんに行きます。でも、その方が結局楽になるんだからという期待を持って行くわけですね。カウンセリングもですね、まったく痛くないかと言えば、やっぱりどうしても痛いところを通過しないといけない場合もあります。なるべく痛くないように進めるんですが、(痛いという表現がいいかどうかわかりませんが)自分に向き合う不快な瞬間が避けられないこともやっぱりあります。でも、それは「あっ、そういうことか!」的な洞察に伴う快が生まれるための産みの苦しみとでもいったようなもので、怖いものではありません。
ということで、ちょっとだけ勇気を出していただいて、何か気になることがおありでしたら、一度、アドラーカウンセリングを受けてみられませんか? アドラー心理学の考え方って面白いですよ。ぜひお試しあれ!
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。