アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

自閉症って‥全然閉じてないやん!

こんにちは、鍵野です。
4月も第4週半ばになって、お勤めの方にはお待ちかねかもしれないゴールデンウイークが近づいてきましたね。


昨年のゴールデンウイークは野田俊作顕彰財団(AIJ)の心理劇ワークショップ「かささぎ座」に参加するということで、それを楽しみに過ごしていたような気がします。


今年もゴールデンウイークには同じくAIJの「練成講座」があり、しかもタイトルが「やっぱり!エピソード分析」となっていて、「エピソード分析」を特訓しまくる講座のようで、参加したいのはやまやまだったのですが、旅費も高い時期なので、年間の学習予算との見合いで参加を見送りました。


お金と時間に糸目をつけず、参加したい講座にはほとんど参加していた時期が懐かしいです。きっと今まさにそういう時期の方もいらっしゃるのだろうなぁ…、いいなぁ…と思ってしまいます(笑)。


でも、5月6日には福岡でエピソード分析の自主学習会があるので、今年はそれで満足します(笑)。


それで今日はいわゆる「自閉症」(自閉症スペクトラム症)について、目から鱗、そうだったんだぁ!という、衝撃的な学びがあったので、それについて書いてみたいと思います。


きっかけは、福岡の大先輩アドレリアンであるIさんが昔に日本アドラー心理学会誌「アドレリアン」に投稿されたアンシア・ミラーの翻訳論文『コミュニケーションと社会的互恵性自閉症』(Communication, Social Reciprocity and Autism)を読んだことでした。


その論文で紹介されている動画
↓↓↓

アマンダ・バッグズ『私の言語(コトバ)で』(In My Language)
https://www.youtube.com/watch?v=JnylM1hI2jc

見ていただければわかると思うのですが、これがスゴイ!


論文の中で紹介されているアマンダの言葉の一部を引用します。
「あなたたちの言語を学んでいないということは欠陥のように見られるのに、私の言語を学んでいないということはあたりまえに見られ、私のような人々は神秘的で理解しがたいと言われるのは、とても面白いと思います。混乱しているのは彼ら自身であって、自閉症の人たちではありません‥私たちが標準言語を話さなければ、私たちはコミュニケーションをとれない人であるとさえ見なされるのです。それなのに、私たちの言語が存在しないと信じるほど私たちの言語に無知な人たちは、コミュニケーションをとれない人間とみなされることがないのです。」


自閉症」の「閉」の字が、Autismというautos「自己」を語源とする英語のニュアンスにはないので、そもそも変な気がしますが、その「閉」は無視して、Autismという単語にしても「自己」で完結しているというような意味で周りと関わらない感じを表している言葉ですよね。


ところが、アマンダの言葉によれば、関わらないのとは真逆で、感覚が、見る、聞く、触れる、嗅ぐ、味わうという五感が世界と豊かにコミュニケーションしている状態を指して「自閉症」とみなされるんですね。


むしろその豊かな世界と交感しあっている状態をあきらめ、感覚を狭めて、あることに集中している状態、世界との関わりを減らした状態にあるときに、人々はコミュニケーションしているとみてくれるんだと。


鈍感な我々には想像もできないような世界で暮らしていくための、アドラー心理学的に言えば、世界に所属するための適応行動なんですよね、自閉症の方の動き自体が。


定型発達の子どもでも、言葉を習得するには、赤ちゃん時代に、主に母親からのその子の関心への圧倒的関心が必要で。それがあって初めて、その子が世界とやり取りすること、その動きへの肯定的な注目から、その動きに母親が音でラベリングしていく、それを聞いて赤ちゃん自信が自分の動きとその音を関連づけることで共通の意味づけがなされていくと考えられます。


自閉症スペクトラムと言われる人も同じことで、その人の関心への関心あって、その人の動きへの注目、何を伝えようとしているのか、そもそも伝えたいものがあることへの信頼、その人特有の言語があることへの信頼がなければ、コミュニケーションが成り立ちようがないということですよね。


指示、命令、押しつけでは赤ちゃんは学べません。母親の側に赤ちゃん側からのリードに従ってそれを読み取っていこうという熱意と努力があって初めて、赤ちゃんは言語を獲得できるんですね。


論文の翻訳者である大先輩アドレリアンのIさん、は長年、重度障害を持たれている方とも、その方なりの言語をわかりたいという熱意と努力で、そうしたコミュニケーションを実現されてきた方です。そのIさんの翻訳だからこそ、グッと迫ってくるというか伝わってくるものがあって、本当に価値のある論文でした。


興味のある方はアドレリアン70号(2013年2月)に載ってますので、どこかでバックナンバーを探して読んでみてください。


アマンダさんの動画だけでもぜひ!
『私の言語(コトバ)で』(In My Language)
https://www.youtube.com/watch?v=JnylM1hI2jc


私たちに違いがあるって素晴らしい!
閉じているのは自分の方だったと気づかせてもらえました。
アマンダさん、ミラーさん、Iさんありがとう!


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。