こんにちは、鍵野です。
昨日、鍵野の住む佐伯からは遠いけれど、でも同じ大分県の宇佐神宮で名人戦第四局の千日手指し直し対局が行われました。ネット中継で藤井名人が投了する瞬間を観たんですが、内容のことはよくわかりませんが、残り時間数分になってからの緊迫感、真剣勝負の雰囲気が凄かった。
将棋ですが、子どもの頃大好きで、当時は中原誠名人とかの時代だったですかね…千駄ヶ谷の将棋会館に出かけたこともありました。それで、周りで将棋を指す人はそんなにいなくて、たいして強いわけでもなかったはずですが誰も指してくれなくなり‥、将棋ソフトは今でこそプロが指し手を教わるくらいに強いんですが、小学生当時はなかった気がするし…(きっとあったとしてもまともに勝負できるようなものではなかったと思います)、そのままやらなくなりました。
その後、たっぷり留年して暇があったせいか、大学生の頃、武蔵関の将棋道場にときどき遊びに行くようになり、そこの席主がとってもいい感じで、もちろんもの凄く強い人でしたけど、将棋を教わったのもいい思い出です。
将棋とはそれっきりという感じだったのですが、昨今の将棋ブームに乗せられたわけでもないけれど、ちょっとネット将棋(将棋ウォーズ)をやってみたらこれが面白い!
せいぜい2級という実力ですが(子どもの頃と変わらなかった)、ちょうどいい勝負になりそうな人とマッチングしてくれるので、白熱します。
無課金だと一日3局までなんですが、これがちょうどいいですね。依存症にならなくて(笑)。
子どもが生まれてからは趣味の世界からは離れていた気がするんですが(子どもと遊ぶのが趣味だったかも)、将棋はこのまま続けてもいいかもなぁと思い始めています。
一番の趣味だった魚釣りと違って殺生したり傷つけたりして生きものに迷惑をかけることもないし、頭を使うゲームというのもいいかもですね、ボケ防止になりそうだし(笑)。
アドラー心理学と違って、将棋は本からもたくさん学べるので、久しぶりに定跡書と詰将棋の本を買って読んでいます。何か目標があった方が励みになるので初段になるまではがんばってみようかな。
ただ駒を並べるのがPC上では味気ないなぁ…と、執着から離れる仏道修行には反することではありますが、将棋盤と駒を注文しちゃいました。届くのが楽しみです(笑)。
それで今日のアドラー心理学の話題としては、「指導者」について考えてみたいと思います。
日本アドラー心理学会の機関紙「アドレリアン」を創刊号(の次の号)から読み進めてきてるんですが、ちょっと前に、ようやく鍵野が入会した2017年の号に達して、現在は2020年の号を読んでいるところです。
いつからか「アドレリアン」の巻末の方に「日本アドラー心理学会の有資格者一覧」というのができて、そこに「(アドラー心理学)指導者」という欄があります。正式には「認定指導者」という名称です。
もちろんそこには「野田俊作」という名前が先生がお亡くなりになるまでずっとあったわけですが、その他に歴代で3人のお名前がありました。
ところが、2023年の102号から「指導者」の欄はなくなりました。代わりに役員名簿として「資格認定者」という欄が設けられています。
そして、今年届いた最新号105号を確認したら、その「資格認定者」が3名に増えていました。102号の「資格認定者」は、かつて「指導者」でもあったN先生ですが、105号の「資格認定者」のうち2名は「指導者」であったことはない方々です。
これは論理的に予想できたことではありましたが、鍵野にとってちょっとしたショック‥でした。
指導者が指導者(にふさわしい人)を決めるというのが、「アドレリアン」を読んでいると日本アドラー心理学会の慣習というか伝統だったのがわかりますが(それが議論になった跡がないので)、その後、野田先生が亡くなられた後、これは鍵野の主観ですが、伝統の断絶、一般社団法人の合法的な意思決定手続きを経ながら、しかし一つの革命が起こったのだと思っています。
最新の「資格認定者」に名前を挙げられている方々はそれぞれアドレリアンとして立派な経歴と実績をお持ちの方々で、人望も篤くその実力に疑う余地はない方々ですけれども、やっぱりあの野田俊作先生が推した方々ではないというところに引っかかるんですね。
そもそも「資格認定者」は「指導者」ではないのだから、そこは冷静に考えると議論になっていない(だからこそ「資格認定者」としたのかなと、そこは賢いなと思いますが)のですが、何か情が動くところがあるんですよね。
思い起こせば日本アドラー心理学会に入会したのは、野田俊作先生にお会いして、この方から学びたいと思ったからで、ご病気になられて、直接指導いただけない事態になり、それならばせめて野田先生が認めた人から学びたいという‥
もちろん、野田先生以外にもアドラー心理学を伝えられる人がたくさんいらっしゃるのは知っているんですけれど、でも、師匠から弟子に大切に伝わってきたものを受け取るという「物語」に参加していたいという‥やっぱり情かなぁ…、野田先生も人ですから、きっといろいろなご事情があったことだろうと思いますが、そういうことも含めて、その野田先生が認めた人から教わりたいという‥欲かなぁ…執着なのかなぁ…これも…
まぁ幸いなことに、野田俊作顕彰財団(AIJ)にアクセスすれば野田先生がお認めになった先生から教わることができるので、それでいいじゃないか。日本アドラー心理学会はそういう伝統とか情とかそういうのではなく、あくまで一般社団法人として、ルールにのっとって、公的な器としてクールに機能していけばいいのではないか…という割り切りができるようになったとも言えるかもですが…
やっぱり鍵野は一種の芸事だと捉えているんでしょうね、アドラー心理学を。日本アドラー心理学会の一会員として理事会メンバーを選んだ責任は引き受けますが、理事の方々に、会員が誰からアドラー心理学を学ぶべきかを決めることができるほどの見識があるとも、その重大責任を引き受けさせるのも酷な話だなぁと
あっ! だからこその「指導者」廃止なんでしょうね。
ゲゼルシャフトに過ぎない一般社団法人にゲマインシャフトを求めるというのがそもそも無理筋なんでしょうね。今が通常で、かつての日本アドラー心理学会の方がいい意味で異常(笑)だったのかな。野田先生がいらしゃった例外的で奇跡的な期間だったのだと捉えた方がいい気がしてきました。
とすると、鍵野にとって日本アドラー心理学会員であり続ける意味があるんだろうか? 学会員でなくなったらどう困るんだろう‥(いやいや、私がではなく(笑))、どんな貢献ができなくなるんだろう?
今月が学会の年会費の引き落とし月ということもあり、銀行口座の残高が減るのを確認しながら(笑)、もうちょっと考えてみたいと思っています。
まぁ日本アドラー心理学会の資格認定者であるN先生から(も)学び続けたいという私利私欲だけははっきりしているんですが(笑)。
将棋と違って、心理学の世界で誰が指導者にふさわしいか名人戦とかで対決するわけにいかないからなぁ(笑)
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。