こんにちは、鍵野です。
7月に入りましたね。小学生の頃は、7月に入るともう少しで夏休みだ!と嬉しい気持ちになっていたのを思い出します、学校のプールの塩素の匂いと共に。
サラリーマン時代はボーナスですかね、夏のボーナスがこの頃だったような…(遠い記憶(笑))。あれ、額というよりは、標準と比べてどうなんだ?が気になってましたね。どう評価されているのかというところが。今思えば切ないというかくだらないというか(笑)、「よくできました」って1学期の通信簿が返ってくるような感じかなぁ。担任の先生が上司に代わっているだけで、まぁ期待はたいてい裏切られるんですが(笑)。
自営で暮らすようになって12年になりますが、上司の評価でお給料をもらうわけではなくて、ダイレクトにお客さんに評価されて、それが収入になるわけで、とってもわかりやすい世界で気に入ってます。まぁ、でも、そもそも仕事自体も出社したらとりあえずそこにあるという世界ではないので、厳しい面もありますが、したくなかったらしなくて済むという気楽さは凄いメリットかなぁと思います。勤め人には戻れそうにありません(笑)。
6月最後の土日は大分での勉強会と福岡でのエピソード分析の学習会でした。エピソード分析の学習会では、普段お金をいただいてカウンセリングをしている鍵野が、安くはない参加費を払って、福岡まで出かけて、無料で、カウンセリングをする(させてもらう)んですが、本当にありがたい機会だなぁと思っています。
仕事でカウンセリングをするのと違って、オープンカウンセリング形式で先輩方含めて何人もの方に見てもらいながら、自分のカウンセリングについてフィードバックをもらえるので、毎回、なるほど~、そういう見方があるんだ~、今度はこんなことを試してみたい、という気づきをもらえる本当に貴重な機会なんですよね。
今回も、自分の課題として「私の意見ですけど、……と思うんですよ」と伝えるのではなく、閉じた質問でもいいから、全部質問にして、あれもこれも気づいてもらおうと欲張らずに、そのときにその人が許容できる分だけ気づいてもらえるようなカウンセリングをしたいと思って臨んだんですが…
結果として、たしかに自分の意見は言わずに済んだし、アドラーのカウンセリングとしてもギリギリ成立していたとは思うんですが、先輩カウンセラーのコメントも咀嚼した上で、後で振り返ってみれば、もう少し相談者さんの共同体感覚育成の方向に、言い方は難しいですけど「押せた」というか「手を引く」というか、ちょっと甘かったかなぁという反省がありました。許容範囲はもう少し先の方にあったはずだと、いつもの自分なら押してみてちょっと下がるというところでその辺りの塩梅を探るカウンセリングになるんですが、今回は「押してみる」を意識して封じた感じがあったので、ちょっともの足りない感じが残ったかなぁ、相談者さんの力をもう少し引き出せたはずなのになぁと思いました。
押しちゃダメ!と思うと、そもそものアドラー心理学の共同体感覚育成の方向への見立てが甘くなるようではまだまだですね。見立てはしっかり保ったまま、しかし、ごり押しせず、いい塩梅でそこまで導けるような質問の組み立てを次の課題にしたいと思っています。それに「押しちゃダメ!」という意識が、代替案の提案にも影響したようで、いつもならもう少しその場にピッタリ合いそうな提案ができそうな流れで、ちょっと消極的になってしまって、相談者さんに任せっきりの代替案になってしまったかなぁと。自分のストレンクスは消さないようにしないとですね。一緒に学んでくださった福岡のみなさまありがとうございました。おかげで、また一歩成長できそうな気がしています。
で、ここまでが長い前置きで、といっても例によって関係ないんですが(笑)。今日は、アドラー心理学の入り口について考えてみたいと思います。
鍵野の入り口は、前にも書きましたが『嫌われる勇気』でした。ベテランアドレリアンに聞くと『トーキングセミナー』と答える方が結構多い気がします。『トーキングセミナー』というのは今は『性格は変えられる』を始めとする野田俊作先生の「アドラー心理学を語る」シリーズとして復刊されている、日本のアドラー心理学の古典です(笑)。
昔は、アドラー心理学の本自体が少なかったので、いきなり野田先生の本に出会える幸せな方がたくさんいたとうことかもしれません(笑)。書店にアドラー心理学関連の本がたくさん並んでいる今の時代に、そこまでの引きを持った方はめったにいないでしょうね。そもそも、野田先生の本がどの本屋さんにも並んでいるわけではないでしょうし。
他に、子育て学習プログラムの『パセージ』を知人・友人に勧められて受講したのがアドラー心理学の入り口という方もたくさんいらっしゃいます。昔はそういったプログラム自体が少なかったのもあったかもしれませんが、ラッキーですね、こういう方たちも。野田俊作先生ですから、『パセージ』を開発されたのも。
『パセージ』は野田俊作顕彰財団(AIJ)が提供するプログラムですが、他に、日本アドラー心理学会が『エオレクト』という子育て学習プログラムを提供しています。これはオンラインでも受講可能ということです。受講期間は『パセージ』が8週間で、『エオレクト』が6週間だったと思います。わかりませんが、ここを入り口にアドラー心理学を学び始める方も増えているのかもしれません。
また、鍵野もよく知らない方(ということは野田俊作顕彰財団(AIJ)と日本アドラー心理学会とは関係ない方かな)の書かれているアドラー心理学の本を読んで、そこからアドラー心理学に興味を持って、勉強会に参加するようになったという方も結構いらっしゃいます。
それで、考えたのは、やっぱり入り口はたくさんあった方がいいんじゃないかなということです。
その人の持って生まれた力というのか縁というのか、どこから入っても辿り着く人は辿り着くんですよね、野田俊作先生とそのお弟子さん生徒さんたちが伝える生きたアドラー心理学に。
たとえ最初に食べたラーメンがイマイチだったとしても、いつかはその人に合った美味しいラーメンにたどり着けるように。最初に読んだ本がなんちゃってアドラー心理学だったとしても、それに納得しない人は別のを試すでしょうから。まぁ「ラーメンなんて二度と食べるもんか!」というほど激マズのを引いてしまったら別かもしれませんが(笑)。そこまでのひどいアドラー本は売ってないと信じたい(笑)。
「アドラー心理学なんてもう懲り懲り」という体験さえしなければ、あとはその人のいいタイミングで必要な学びに出会えるんではないかなと、楽観しています。
そういう意味で、本なら結局そこまでの影響力はないから安全なんですが、「生兵法は怪我の基」と言われるように、人からリアルにアドラー心理学を教わるときに、それがなんちゃってアドラー心理学だと危ないですね。人と人が協力していく方向ではなくて、人が人を支配する方向にアドラー心理学の理論と技法を使ったりしたら、人間関係にものすごいダメージを与える可能性があります。親が子を支配するために使ったら、取り返しのつかないことになりかねません。当面はうまくいっているように見えても(子ども素直に言うことを聞くようになったとか)、あとで子どもに復讐されるような不幸な親子関係を作ってしまうかもしれないです。
もしそんな経験があったら、アドラー心理学を学んだら、「子どもが素直に自分の言うことを聞くようになった」なんて経験があったら学んだそれをちょっと疑った方がいいかもしれません。それはきっとアドラー心理学じゃない可能性が高いです。
アドラー心理学をちゃんと学べば、親と子が対等平等の関係になります。自分の言う通りになるどころか、そういう意味では全然言う通りにはなりません。だって、別の人間ですから。あなたのことを怖がらずバカにもせず同じ人間として尊敬信頼して付き合ってくれるようになるので、当然、子どもは自分の意見を主張するようになります。もちろんあなたの意見も聞いてくれるようになります。そういう意味で「言うことを聞くように」なってくれますが、それはそれに従うことでは全然ありません。参考にしながら、自分の責任で自分の人生を生きていく人に育っていきます。
アドラー心理学さえ学ばなければ、自分の思い通りにできたのに、なぁんて感想を持ってしまうかも(笑)。でも、子どもにしろ、パートナーにしろ、相手をいかにうまく使って、道具にして、自分が得をするかを模索する人生よりも、対等平等で互いに尊敬信頼して助け合いながら、苦労し合いながら、苦労自体も楽しみながら暮らしていく人生の方がいいと思われませんか?
そう思えた人なら大丈夫です。きっとちゃんとアドラー先生→ドライカース先生→シャルマン先生→野田俊作先生へと伝えられた生きたアドラー心理学に出会えると思います。
アドラー心理学を学ぶことは快不快で言えば、不快なことも多々あるかもしれませんが、幸せに向かう実績たっぷりの確実な道だと思っています。
ぜひ、どんな入り口からでもいいので、あなたのいいタイミングで生きたアドラー心理学に辿り着けますように。心より願っております。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。