アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

劣等感とその補償

こんにちは、鍵野です。
今の家に引っ越してきてから8年目になるんですが、風呂場の照明が点いたり消えたりしだして、ああ、蛍光灯だったんだなぁとわかり、取り換えればいいなとカバーを外して、古くなった蛍光灯を取り出したところ、それまで見たこともなかったような小さな丸形の蛍光灯でした。


現物を持って、いつも冷食を買うドラッグストアに行って探したんですが、置いてある一番小さいものでもかなり大きくて、ああないんだということで、スーパーにも寄ってみたけどやっぱりありませんでした。


家電量販店にはあるはずと、お客さんのところに行ったついでに、探してみたんですが、ここにもない。さすがに、ドラッグストアとは違って、さらに小さい丸形の蛍光灯はあったんですが、求めているものはそれよりも一回り小さいサイズです。店員さんに聞いたところ、在庫を調べてくれたんですが、もうないとのこと。ネットで在庫のあるところがあるかもしれませんということだったので、一縷の望みを託して、Amazonで調べたら、いくつかあって助かりました。どうせならということで、LEDのを注文しました。グロー球を外すだけで使えるらしいので。


需要と供給ということなんでしょうけれど、プラットフォームが新しくなって古いアプリケーションが使えなくなるのは不便なこともありますね。プラットフォームごと置き換えればいいわけなんですが、面倒だし、時間もお金もよけいにかかりますものね。その分、最新の性能を手に入れられるんでしょうけれど、ただ夜間に風呂場が使えるだけの明かりがあればいいので、従来のもので十分なんですよね、今回のケースでいえば。明かるさが増せばよけいに粗が見えるわけで、いいこととは限らないですしね(笑)。


その点、アドラー心理学は100年以上前からプラットフォームは全然変わってないので安心して使えますね(笑)。人間の心理についての、これ以上シンプルな理論はもう出てこないんじゃないですかね。突き詰めれば、なぜその人がそうするのかといえば、劣等感を感じてその補償をしているに過ぎないという一点張りですから(笑)。


でも、この「劣等感とその補償」という短い言葉はすごく含蓄のある言葉でして、ある意味アドラー心理学の限界というか、割り切りというか、潔さ、奥ゆかしさ(笑)が込められています。


というのは、アドラー心理学が使えるのは、あくまでも「劣等感」を感じたときのことだけで、それしか語らないしわかりませんよという、人間の全行動について語ることができるかのように構える他の流派と違って、とっても禁欲的な態度が表れているからです。


アドラー心理学、"Individual Psychology"は、もともとアドラー先生の神経症者への個人診療から生まれてきた心理学です。困っている人を援助する場面での適用に限定することで、その場面に有効であることが認められた、考え方、やり方だけが受け継がれてきたという特徴を持っています。


なので、人が幸せなとき、楽しいとき、嬉しいときにどう考えてどう行動するかについては、対象外、適用の範囲外で、そんなことをアドラー先生やそのお弟子さんたちにわざわざ相談する人もいなかったでしょうし、鍵野も相談されたことはありません(笑)。もし「こんなに幸せでどうしたらいんでしょう?」って相談されたとしても「そんなん知らんわ!」でいいんですよね、もう幸せなんだから(笑)。


そうやって、困った人が相談するという場面に限定した学問だからこそ、ことその場面に限っていえば、なんでもわかる心理学を打ち立てることができたんですね。


ただ、注意が必要なのは、わかることはわかるんですが、わかることと解決できることは全然違うことなので、わかったけれどそれは単にわかったというだけで解決できないこともたくさんあるということです。例えば、既に亡くなった人との人間関係を改善することはできません(思い出に対する見方を変えることはできますが)。


また、わかったからこそ、解決しない方がいいこともあります。例えば、生活力の乏しい妻さんがいるおかげで夫さんの劣等感が補償されて、それでなんとか夫婦関係を保っていられる夫婦があるとします。それで何かのきっかけで妻だけがアドラー心理学カウンセリングを受けるようになり、カウンセラーの勇気づけによって、自分のストレンクスを再発見して、劣等感が弱まり、結果として夫に依存する行動が減って自立していきます。すると、それまでの夫と妻の間の微妙なバランスが崩れてしまって、もう夫婦関係を保つことが難しくなり、離婚してしまうということがありえます。これって、離婚することで妻さんがそれまでよりも幸せを感じられるなら、それでもいいじゃないかという立場もあり得ますが、夫婦関係の継続を前提とした相談であったならば(普通はそうです)、失敗ですよね、やっぱり。解決にはなっていないですよね。どうすればいいかですが、ベタですけど、夫さんにもカウンセリングを受けてもらって、どちらかが一方的に譲るとか努力するという動きにならないようにするんでしょうね。夫婦関係の相談にどちらか一方だけしか来れないのであれば、原則、お断りするべきと思います。それでもどうしてもということであれば、相談者さんに見えていない(見ようとしていない)相手のよい面を一緒に見直してみるような相談をする気がします。ものすごく相手を責めたい人であれば、ひょっとしたら怒って帰られてしまうかもしれませんが、まだその方がいいと思ってます(何か違う見方があり得ることを知ったいう事実は残ってはいるはずなので)。


劣等感があるということは人間であるということだとアドラー先生は言ってます。劣等感のない人はいません(お釈迦さまのような覚者は別ですが、そういう方は既に人じゃないかもですね)。


なのでアドラー心理学を学んで実践しても劣等感はなくなりません。なくなりませんが弱くはなります。あまりにも強い劣等感があると、それを理由にやるべきことをしなくなる、いわゆる劣等コンプレックスという状態に陥ったり、逆に、その劣等感を否定するために、他人からだけでなく自分からもそれが見えなくなるように、例えば、「私は弱い」という劣等感に苛まれている人が、逆に「私は強い、私は強い、私は強い」とかなり無理して、自分が強く見えるような服装や持ち物を身に付け、歩き方しゃべり方立ち居振る舞いも常に人から強く見られるように心がけて、ついには自分をも騙して「私は強い」と信じ込みながら暮らしていくといった、いわゆる優越コンプレックスという状態に陥る人も少なくありません。すべきことをしない劣等コンプレックスよりはましなのかもしれませんが、でも、疲れますよね、本当は知ってますからね、今の例で言えば、自分が弱いてことを。だって本当に強い人はわざわざ強く見せる必要ないですもんね(笑)。


アドラー心理学が目指すのは、劣等感を持ちながらも、それと少し距離を取りながら、理性的に、劣等感の言うがままではなく、自分も含めたみんなのためになるように、自分の行動を選択できるようになることです。


それには、何に自分が劣等感を抱くのか知っていなければなりません。知っていれば、「ああ、いつものやつだ」と劣等感が生じたその場でそれに気づくことができて、少しずつ自分の行動を選ぶことができるようになります。


それは、感情に任せてやりたいようにやっていたアドラー心理学を学ぶ前のあなたからしたら、なんだか急に便秘になったような不快な、スッキリしない感があるかもしれませんが、でも、その分劣等感の奴隷になることから離れて、少しだけかもしれませんが自由を得たことになります。


最初は大変でも、慣れてくれば、徐々に前よりも楽にできるようになっていきます。いつまで経っても完全にはなりませんが、でも、劣等感を感じる場面って、人それぞれユニークなんですけど、どんな人でもせいぜい3パターンくらいのもので、わかってみれば単純です。そこさえ「いつものやつだ」と冷静に対処できるようになればもう大部分の悩みは解消できているはずです。


アドラーカウンセリングに10回くらい通うだけの時間とお金とやる気さえ用意できれば(言語を使った知的な作業なのである程度の理解能力は前提になりますがが)、自分の劣等感の正体がわかって、その対処方法もわかるようになるので、その後の人生はかなり楽になると思います。


どうですか? アドラー心理学のカウンセリングを一度体験してみられませんか? 興味の湧いた方は、ぜひお近くの野田俊作顕彰財団(AIJ)認定カウンセラーもしくは日本アドラー心理学会認定カウンセラーにアプローチしてみてください。手前味噌で恐縮ですが、これほど投資対効果の高い学びはないんじゃないかなと思います。少なくとも鍵野はそうでした。


もし鍵野の家に来ることが可能であれば10月末まで、開業一周年記念アドラーカウンセリングお試しキャンペーンということで、初回3千円にてアドラーカウンセリングを体験することができます。この機会にぜひ!


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。