アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

大分での勉強会、終了しました

こんばんは、鍵野です。
今日は息子が今月で20歳になった記念に家族写真を撮りに行ってきました。佐伯市内のもうすぐ100年になろうかという歴史のある写真館でお願いしました。


福岡から元妻にも来てもらって、息子と母と鍵野と四人で撮ってもらいました。さすがはプロですね。仕上がりはまだわかりませんが、落ち着いていながら楽しく明るい雰囲気で撮影が終わったので、きっといい写真が出来上がるだろうなぁと思っています。


息子が赤ちゃんのときには、写真館でいろんな衣装を着て撮ってもらった写真がありますが、それ以来です。子どもの写真なんて執着の塊のようなものですが、まぁ、こうやって家族みんなで写真を撮ってもらう機会はもうそうそうないと思うので、いいことにしておきます(笑)。


二週間ほど帰省していた息子ですが、明日から塾のバイトがあるということで、同じ福岡に住んでいる元妻の車で一緒に帰りました。


一人暮らしに戻った鍵野の家に先ほど母が来て、息子が福岡に戻ると毎回のように言うことですが、「寂しくなったなぁ」と。「いや、そんなことないけど」と私。
「そうか、もう慣れたか…」「うん」。


実際、寂しいという気持ちはありません。元気に送り出せてよかった!という感じ、そして、また会う時までお互い頑張っていこうな!という感じでいます。


先日のブログでも書きましたが、20歳を機に息子にしたかった恐らくこれが最後になるであろう「大切な話」もできましたし、アドラー心理学に野田先生に出会えたおかげですが、親としてやれることはやれたなぁという達成感があります。もし、今、自分が死んでしまったとしても、息子は大丈夫、これからもやるべきことはしっかりやって、彼らしい幸せな人生を送ってくれるだろうなと無理なく信頼できている感じがあります。


話は変わって、昨日、大分でいったん最後になる勉強会「大分でアドラー8月の会」を開催したんですが、今回もごく少人数ですが(笑)、熱心な参加者のみなさんのおかげで、生きたアドラー心理学を体験・体感してもらえるとてもよい会になったように思います。


まず、現代の競争社会で暮らす我々が、共同体感覚を発揮していくというのは、実際難しい気がしているというような率直な意見を言ってくださる方がいました。


たしかにそうですよね。小さな頃からはめられた劣等感養成ギブスによって、一人ひとりの個性を活かす伸ばす方向ではなくて、現代社会の価値観から見て生産性の高い能力、お金をたくさん稼ぐことにつながる能力を向上させるべく、人参をぶら下げられ、尻を叩かれ、他人と比較され続けて、深く深く劣等感を刺激され続けてきた我々に、自分さえよければでなく、みんなもよくなる方向を目指す、共同体感覚を発揮する方向に動いていくというのは至難の業ではないかと思うのは、当然な気がします。


それはそうなんですが、だからこそ、その劣等感養成ギブスが生まれつきのものではないことに気づくこと、あくまでも後天的に身に付けたものであり、その気になれば脱ぎ捨てることができることに気づくことがまず先決で、そのためにアドラー心理学のグループワークなり自助グループなりカウンセリングがあって、うまくいけば、そこでは、人と人がどちらが上か下かを争う必要のなかった次元、横の関係でいられる次元、平等の位置があって、もともとみんな一緒にそこにいたんだよねということを思い出せる瞬間が訪れます。


その瞬間、長い間我々を苦しめていた劣等感養成ギブスは既に消えていて、自分も相手もみんなも幸せに暮らせるように、互いが互いのストレンクスを持ち寄って、協力し合い助け合う世界が実感できます。


ということで、諦めず、できるだけ平等の位置で暮らせる時間、横の関係でいられる時間を増やしていけるように、これからも一緒に学んでいきましょう、というような話をしました。


アドラー心理学の実践を積み重ねていけば、相手と上下を争っているとき、縦の関係でいるときに気づけるようになって、不毛な争いを続けて事態をますますこじらせる前に、早めに平等の位置、横の関係に戻ることができるようになっていきます。


勉強会の後半は、その「早めに平等の位置、横の関係に戻る」お稽古としての「エピソード分析」を行いました。ある方が、数年来気になっているモヤモヤしているという出来事について話してくださいました。鍵野がリードする形ですがみんなで「エピソード分析」を行い、仮想的目標を抽出し、競合的な目標だと思うということで合意した後、その方の大事にされている価値観、私的感覚を見てみることにしました。


すると、事例提供者さん自身とても驚かれていましたが、ちょっと前に同じその方の「エピソード分析」をして出した私的感覚と同じものが、この全然登場人物も違うし内容も全然関係ないと思われるエピソードでも出てきたんですね。


これはアドラー派のカウンセラーからしたら、そりゃぁ同じライフスタイルで行動するわけですから、どんなエピソードを出されたとしても、同じような私的感覚が出るのは理論どうりだし当たり前と言えるわけですが、でも、たしかになんだかマジックを見ているような感じになるかもしれませんね。


それで、ご自分の価値観、私的感覚の根深さを別のエピソードで再確認することができて、相手役さんの様々なよい意図も、他の参加者の協力のおかげで確認でき、事例提供者さんは、最初に話した時とは違う、相手と自分がより仲間であるところから見える物語を持ち帰ることができたように思います。


そして、嬉しかったのは事例提供者さんが「凄いですね!」と言ってくれたことです。リードした鍵野が凄いですねという意味ではなく(笑)、アドラー心理学って凄いですね!という意味で言ってくれたことが本当に嬉しかったです。


そうなんですよね、アドラー心理学が凄いんですよ。アドラー心理学カウンセラーというのは、その凄いアドラー心理学を素直に動かせるように訓練を積んできた人というだけのことで、自分心理学を諦めて先生方先輩方から学んだことをスッと出せるようになれば、誰でもできるようになるんですよね。


うまくいかないときというのは、これまでの経験では100%と言っていいと思いますが、アドラー心理学ではなく自分で考えちゃっているときです。そういうときは、カウンセリングをしている自分に意識がいってしまって、素直にアドラー心理学の理論と思想が、カウンセラーと相談者の間を流れていかない感じがします。


ちょうど、野田俊作顕彰財団(AIJ)のカウンセラー養成講座の前半の4日間が今日終わったところのはずですが、もしかしたら参加されている方の中にも、その辺りに、自分がカウンセリングに成功することへの意識がストッパーになってしまって、うまくカウンセリングが動かないという状態におられる方がいるかもしれないなぁと、老婆心ながら思ったりします。鍵野はずっとそうだったので(笑)。


もしそういう方がいらしたら、ぜひ、ご自分が学んできたこと実践してきたこと訓練してきたことを信じて、新しい何かではなく今あるものを素直に相談者さんのためスッと提供できる、自分心理学で堂々巡りをしている相談者さんにアドラー心理学を届けるための架け橋を目指されるといいのではないかなと思います。


大分での勉強会はいったん終了しましたが、アドラー心理学の凄さ、実践的に役に立つところ、本当に前よりも幸せになってしまうところを、縁ある人に伝えるべく、これからもいろいろ試しながら活動していきたいと思っています。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。