アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

夫婦カウンセリング

おはようございます、鍵野です。
今日は副業(収入的には本業(笑))の経営コンサルティングの方の仕事があるし、朝から緩く暮らしていて、「私」が濃い感じでいるので、では今のうちにとブログを書いてます。


母が友人からいただいたというビワをもらって、朝ごはんにしたのですが、爽やかな甘みで好きですね、この感じ。昔、おばあちゃんの家の裏に大きなビワの木があって、それをもいで食べてたなぁと、そんなことを思い出しながら、ビワに限らず、懐かしい人(故人が多い)とその人がふるまってくれた食べ物とがいつも合わさっていて、ホットプレートで焼肉をするときに、おじさんが上からビールをかけて焼いてくれたのがとても美味しくて、でも、家でそれを再現しようと提案したら、父が反対して実現しないままだったなぁとか…いろんなことが、思い出されて…、人間は食べ物そのものではなくて、ストーリーとそれを生み出す人間関係を味わっている気がしますね。こういうのこそ執着そのもので、修行のための肉体(用が済んだら捨てる割りばしと同じ道具に過ぎない)を維持するために必要最小限を食べればいいという仏道には反することなのですが(笑)。


今日は、アドラー心理学の理論、基本前提の一つ、「仮想論」についてカウンセリングとからめながら考えてみたいと思います。


同床異夢と言いますが、人は一緒に暮らしていても、同じ場面に遭遇というか、その場面を一緒に作っているにも関わらず、全然違う世界を暮らしているんですよね。でも、それを実感するのはなかなか難しい。


鍵野もアドラー心理学を学び始めのころ、野田先生の本に書いてあるし、頭ではわかっているつもりでした。でも、実際に、パセージ(野田俊作顕彰財団(AIJ)の子育てのグループ学習プログラム)を受けて、自分が正しいと思っている世界、自分に見えている世界が、他の人からは全然違って見えているんだ、そうか!、息子からも、娘からも、元妻も全然違う世界で暮らしているんだ。自分に見えている聞こえている感じている世界は意見に過ぎないということが、一緒に学んだくださったメンバーさん、そしてリーダーさんのおかげで、まさに目から鱗、それが実感できたとき、本では学べないアドラー心理学の本当の学びがスタートしたように思っています。


それで、そういう体験を、パセージを受けられる環境にいらっしゃる方はラッキー!で、きっと自分で事例を出されさえすればすぐ体験なさるとは思うんですが、なかなかパセージに出会えない方も多いし、子育てをしていない方も多いわけで、その場合は「自分が正しい」「自分の見えている世界は真実だ」と思い込んだまま死ぬまで暮らし続ける方が大半というか、きっとアドラー心理学(本だけでない体験を伴う学び)に出会わない、もしくはお釈迦様の仏教(変な言い方ですが)に出会わないままの方が人口の99%以上ではないかと思うので、そういう方がどうしたらそれを実感できるか、体験できるかというと、アドラー心理学カウンセリングを受ければ体験できます(宣伝か(笑))。


パセージでの実感を超える実感が、カウンセリングの場合は、実現することがあります。というのは、夫婦カウンセリングというものがあるからです。通常の一対一のカウンセリングでも、お話をしていただいて、その困ったお話に出てくる困った人=相手役さんに見えている世界はどうなのかについて、カウンセラーとの対話の中で大きな実感を伴った気づきが得られることも多いのですが、夫婦カウンセリングで、ケースバイケースではありますが、ときに本物の相手役さんがいらっしゃる前で、困った話をしていただいて、その困った話が、相手からはどう見えていたのかどう考えてどう感じられていたのかを聞くことができるんですね。もちろん、聞く方にとって、これはかなり心理的負担の大きい作業になりますから、必要なときに限って行うことなわけですが、そりゃあ、本物が言うんですから、目から鱗どころではありません、目が落ちてしまうくらいの衝撃があるかも(笑)。


とくにですね、夫さん妻さんそれぞれ個別にカウンセリングをしていて、その後夫婦一緒にという場合に、じつはどちらも同じ場面を困った話として話してくださって、それぞれの世界を鍵野は追体験させてもらった上で、夫さん妻さんそれぞれに相手の見えている世界を体験してもらうという、じつに華やかで衝撃的な(笑)カウンセリングになることがあります。


しかもですね、それぞれの願いは、その困ったことが解決される世界、理想の世界は大変美しくて、夫さん妻さんそれぞれに相手のことを思いながら、相手と一緒に幸せになりたいという願いが込められていて、その実現のために満を持して取った行動が、なんということでしょう!、互いに相手を一番傷つける行動を選んでしまっているという悲劇が、あるんですよね、実際に… というかほとんどそうなんじゃないかな、突き詰めて考えれば、世の中の夫婦に限らない、人間関係は。


もちろん、自分だけでなく相手のことも思って完全に協力的になれているのであれば、そもそも相談には来られないわけで、自分が正しい、相手が間違っているという競合的な面があるわけです。特に余裕がないとき、いろんなことで追い詰められているときに、ライフスタイル、その人が5歳~10歳くらいまでの間に立てた人生の方針、サバイバルプランに従って小さな子どもとして反応してしまうので、うまくいかないことが多くなります。そして相手も小さな子どもとして、自分のライフスタイルで「いや、私の方が正しい!」って反応しますから、そりゃあ、うまくいくほうがおかしい(笑)。


でも、繰り返しますが、その奥底には、その人の競合的な包みをほどいて、その人の真心を感じることができれば、そこには、「そうだよね、うん、うん」とお互いに認め合える、協力的な、互いの幸せに向かう小さな頃から大切にしてきたその人ならではの美しい願いが込められていることがわかります。


そこさえ、理解し合えたら、あとは手段が子どもっぽいだけですから、もう大人になった我々は、いろんな手段を試してみることができます。少なくとも、これまで愛用してきた手段が相手には無効だったことは嫌というほど知っているはずで、そこを認めさえすれば、何十回、何百回、何万回試したところでこの方法ではダメなんだとあきらめさえすれば、何か他の方法を探す気になるんじゃないでしょうか。


一発でうまくいくわけでないでしょうけれど、でも、お互い大人として話し合って、いろいろ試してみれば、うまくいく方法が必ずみつかります。


願いが邪悪であったら、それは実現しない方がいいわけで、でも、そんな人は滅多にいません。みんな、人と仲良くして仲間になって、自分のできることで役に立って暮らしていきたいという真心の願いを持っています。なかなか他人にも自分にさえ、それを素直に認めたくない人が多いようですけれども(笑)。認めちゃえば楽なんですが。


互いの真の願いの確認と、新たな実現方法の探索、そんなことを鍵野の夫婦カウンセリングでは行っています。気になったらお問い合わせください。大分は遠いよということであれば、九州内であれば出張もします(出張費別途)。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。