アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

「受容と共感」はできません

こんばんは、鍵野です。
今日も朝から佐伯は暑くて、外には出ず、クーラーの恩恵に浸ってスマナサーラ先生の本を読んでいました。珍しく朝晩以外でも座る瞑想(座って呼吸を観察するヴィパッサナー実践)をしたんですが、お昼ご飯の後ということもあってか(言い訳(笑))、眠気に負けてしまいました。しばらく参加するイベントも主催するイベントごともなく、落ち着いて仏道修行に励むことができそうで、もう一段階成長するチャンス到来と思っているんですが、覚悟が足りないですね、まだまだ。精進します!


お釈迦さまの教えからすれば、我々は一瞬として同じではなくて、因果法則に従って、瞬間瞬間に生と死を繰り返している現象に過ぎないわけで、〇〇さんという実体は存在しないんですが、凡夫の目からすれば、昨日も今日も小池さんは小池さんで、石丸さんは石丸さんで、カイロ大学を出たとか出ないとか、京都大学を出たとかといった過去も含めて、同じ人が存在し続けているように見えていて、それを前提にコミュニケーションするわけですよね。

Aさん:おはよう。昨日のさぁ、会議、あれひどかったよなぁ
Bさん:はじめまして
Aさん:???
Bさん:はじめてですよね、お会いするのは。昨日の私はもう存在しないんですから、今日の私は新しい私ですから

なぁんてことにはなりませんよね(笑)。

互いに昨日の物語の続きを自分で書きながら演じ続けていて、それが噛み合っていくことでコミュニケーションが成立するわけですね。それまでの相手と自分がそのまま継続して存在している前提で、相手にメッセージを投げかけます。

 

例えば

母:ほら! 早くしないと、もう八時よ。だから、昨日のうちから用意しておきなさいっていつも言ってるじゃないの。水筒はお母さんがやるから、あんた体操服と上履きを
子:わかった! あれ、上履きは?
母:そこにあるじゃないの、ほら、そこ! ほんと、しょうがないわねぇ!
子:あっ、トイレ、トイレ、漏れる~
母:ほんとにグズなんだから、あんたって子は


といったコミュニケーションで、それが幸せかどうかはともかく、いつも通り互いに相手の期待通りに動いてるんですね。

いわば「しっかり者で支配的な母とその母に依存する頼りない子ども」といった物語を協力して演じているわけです。


それで、この物語を演じ続けることが不幸なのであれば、アドラー心理学カウンセリングを受けることで、別の物語に変えることができます。全部の役者さんが揃わなくても、お母さんだけでも、意識して別の物語を書いて演じることができれば、相手もこれまで通りの物語を同じように演じることはできなくなります。

母:あら、もう八時ね
子:うん。急がないと…
母:何か手伝うことある?
子:水筒お願い! 
母:わかったわ
子:上履きどこだっけ?
母:廊下の突き当りのとこに置いてたんじゃない?
子:あった。あっ、トイレ、トイレ、漏れる~
母:(苦笑)


ちょっと変わりましたよね、物語が。「しっかり者で協力的な母とその母を信頼して助けてもらう子ども」という感じかな。

さっきのようなコミュニケーションをしていたお母さんがこうすぐには変われないかもしれませんが、でも可能性はあります。


どちらの物語の方が、子どもが社会と調和しながら責任を果たす大人に育ってくれそうでしょうか? そしてその後の親子関係もよい方向に行きそうでしょうか?


二番目の方がよさそうですよね。一番目のようなコミュニケーションを続けていると、子どもがどんどん自信をなくして依存的になって自分からは動けなくなっていくかもしれないし、あるいは、ある時点で絶対に親の言うことなんか聞くものかと、なんでも反発するようになって嫌われてしまうかもしれません。


ちょっと前に書いた「かささぎ座、よかった!」「その後」でも紹介したように、我々が演じて暮らし続けている物語のリアリティは案外脆いものです。一つのセリフや行動、立ち位置などを変えるだけで、別の物語が展開されていきます。ありのままに見ること感じることができない我々凡夫の認識できる世界は、真理ではなくて、互いの共同幻想、あえて言えば妄想に過ぎないので、だからこそカウンセリングでその世界を変えることができるわけです。


どうせなら相手も自分も幸せな世界で暮らしたいですよね。それは実際に可能です。鍵野自身もそうやって、先生方先輩方のカウンセリングのおかげで、不幸な物語を幸せな物語に書き変えて演じることができるようになった結果、実際、幸せになりましたし(俗世間レベルですが(笑))、鍵野のカウンセリングを受けてくださった方々も、全員とは言いませんが(笑)、それまでよりも幸せな物語を暮らすようになっていかれたように見受けられました。


そういう意味でアドラー心理学カウンセリングは、日本ではまだ主流かもしれない「受容と共感」のカウンセリングとは真逆です。相談に来られた方は、その方が現に生きられている物語が苦しくて困っているので相談に来られたんですから、その物語を「受容と共感」しちゃったら、せっかくのカウンセリングの意味がないですものね。


アドラー心理学カウンセリングは、これまでとは違う物語を相談者さんと一緒に書いてみて、それで暮らしに戻られて、新しい物語に沿って演じてみませんか、そうしたら実際に世界が変わりますよ、やってみられませんかという提案なんです。


なので、自分の今の物語に困っていない人、その物語を演じることで利益を得ている人、ただ今の物語を認めて欲しい人、同情して欲しい人にとっては、アドラー心理学カウンセリングは百害あって一利なしなんですね。間違ってカウンセリングを受けてしまって、つい周りの人に対して貢献的な物語を暮らしてしまうようになったら、困りますものね(笑)。まぁ、そういう方はアドラー心理学には近づかないでしょうから大丈夫とは思いますが。


ご自分の新しい物語の可能性に興味が湧いた方は、お近くの野田俊作顕彰財団(AIJ)認定カウンセラーもしくは日本アドラー心理学会認定カウンセラーに相談してみられるといいかもしれません。きっとより幸せな新しい世界が待っています。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。