アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

オープンカウンセリングでの気づき、そして「エピソード分析」

こんばんは、鍵野です。
10月も後半に入って、佐伯上浦の空気も爽やかでずいぶん秋らしくなってきました。


五十の手習いというか(六十が近づいてきているけど(笑))、久しぶりにアドラー心理学と仏教以外で真剣に学びたいことができて、集中力をもって取り組めているおかげで、仕事の方は相変わらずさっぱりですが(笑)、割に充実した楽しい日々を送れています(学びがある程度形になったら、それについてちょっと書いてみるかもしれませんが…早くて来年の今ごろかなぁ(笑))。


で、アドラー心理学の話題ですが、私的なことですけど10月に入って大きな進展がありました。


じつは、先々週になりますが、野田俊作顕彰財団(AIJ)のオープンカウンセリングが福岡で開催されました。大きな進展というのはそのオープンカウンセリングが端緒となったできごとでした。


オープンカウンセリングの内容についてはクライエントさんを守るために話したり書いたりしてはいけないのですが、今回は自分がクライエントとしてY先生にカウンセリングをしてもらったので、それならいいだろうということで、ちょっと書いてしまいます(笑)。


アドラー心理学を学び始めてまる八年が経過しました。それなりに苦労したものの、野田先生を始めとする先生方、先輩方のおかげで、周りの人たちとの人間関係が大きく改善され、カウンセラーの資格をいただく頃までには、普段暮らしていて人間関係という意味ではほとんど問題らしい問題にぶつからない日々を送れるようになっていました(もちろん常にライフタスクはやっては来て、いったん困ることは困るけれどそれで悩むようなことはなくなりました)。


それでも、一番近い距離の関係というのか(すぐ近くに住んでるし(笑))、母とのコミュニケーションには、ちょっとぎこちなさというのか、なんかもう少しなんとかなるんじゃないのという感じが残っていました。


「残っていました」と書きましたが、むしろ「残していました」というのが正しい感じで、アドラー心理学への執着だけはまだ捨てきれない(笑)鍵野としては、自分が成長するためのネタの提供元として、母との関係だけはモヤっとしたまま残しておきたかったというのがあったんですね。


アドラー心理学を学ぶということは、仏教とも同じと思いますが、自分で実践するということで、それは学んで実践することで、それまで問題だったことが解決される状態にまで成長するということなんですね。


なので、まだまだ成長したい、具体的にはライフスタイル分析が上手にできるようになりたい、というのがあって、そのためには、自分がライフスタイル分析をしてもらって解決に向かっていくという経験が必要で、ということは、相談ネタがないと困るわけで、そういう意味で、もう子どもとも元妻ともお客さんとも友達やアドラー仲間とも陰性感情が沸くような出来事がほとんど起きなくなっていたので、貴重な相談ネタのリソースとしての母が大変重要だったんです(母とならかんたんに陰性感情を使う自信があったので(笑))。


で、そんな大事に温めていた母とのネタでしたが、前にもチラッと書きましたが、心理療法士養成講座への参加資格がないということに納得して、まぁいいか、自分のペースでのんびりやろうと開き直れてたことと、じつは福岡でのオープンカウンセリングでクライエントとして相談できる人がみつからなそうという世話役の方からのSOSを受けたこともあり、こうなったらもったいぶらずに、せっかくの機会だから、野田先生の後継者であるY先生に母とのことを相談してしまおう!、それで解決してしまうかもしれないけど、それならそれでいいやん…っていうか、いいことだよね、それは、母にとっても、と、思い切ってとっておきの相談ネタをY先生にぶつけて?みたのでした。


結果…、そういうことか! そうだったんだ! と大きな気づきがあり、なんか頭だけではなく全体として、なんで母に対してそうするのかそうしてしまうのか、の謎が解けて、そして、達人Y先生の導きによって(たぶんチベットのお坊さまから母親への恩についてのお話を聞いたとき以来のできごと)、母の目で見て母の耳で聞き、母の心で考えることが一瞬できたんですね。なんで母がそうするのかもわかった(まぁ仮想論ですからそう自分が思っただけですけども)!


それで、いつも困ってしまう場面での代替案(代替行動)も提案いただいて、それは思いつかなかったなぁと、でも、できそう、やれそう、やりたい! ということでその案をありがたく持ち帰らせていただくという流れでカウンセリングは終わりました。


オープンカウンセリングなので十数名の参加者のみなさんも一緒に考えてくれて感じてくれて、アドラーならではの雰囲気の中、大変勇気づけられて、思う存分相談できました。


それでそんなカウンセリングを受けた翌々日には、まさにY先生に相談したのと同じ母とのいつも困ってしまう場面に遭遇しました。


構えが違ったというのかな、いつもなら陰性感情があってつい冷たい反応をしてしまうのですが、そのときは学んだことを試せるという陽性感情を伴って、いただいた代替案を実行に移すことができました。そして、結果は大成功! 母から嬉しそうな反応が返ってきて、その後もどうということのない話ではありますが、温かい感じの会話が続いて、いつもなら母の話の腰を折るような感じで返してしまって「もう少し優しくしてあげたいのに…できない」という陰性感情(後悔)を引きずる感じで終わるところが、その新しい行動をすることで、それまでとは全然違う穏やかな幸せな時間を過ごすことができました。


なんか少しライフスタイルが成長した気がしています。思い切って相談してみてよかったです。Y先生、一緒に話を聞いてくれたみなさん、ありがとうございます! やっぱり「エピソード分析」によるカウンセリング素晴らしい!


…って締めたいところだったんですが、じつは、さらにその一週間後にそうした経験を踏まえての大きな学び(…いやまだ消化しきれてないから学びのきっかけかな)があったんですね。


またまたオープンカウンセリングなんですが、今度は日本アドラー心理学会のN先生のオープンカウンセリングでのことでした。これはクライエントではなく一参加者としてだったので内容については書きませんが、終わった後の質疑の中で、競合的な構えが協力的な構えに変わることについてN先生に質問したのでした。N先生からそういう言葉は聞いたことがなかったので、N先生のその辺りの考えが知りたいなぁと思ったからでした。


この質問が発端となって、他の方の質問や他の方の意見も引き出しつつ、熱いディスカッションが展開されました。で、「エピソード分析」で仮想的目標を競合的か協力的かと判断する(クライエントさんに聞くんですが、カウンセラーはどちらで行こうかと見通しは持っている)プロセスについて、N先生としては、カウンセラーがクライエントさんを裁くことになるかもしれないので危険ではないかという意味のことをおっしゃいました。


参加者の方からも、「私って競合的なんだ…」とどんどん自分に関心が向いてしまって相手に向かっていかないというような話も出ました。ついカウンセラーに合わせてしまうのではないかとも。


カウンセラーは裁くのではなく、カウンセリングを進めるために、あたかも昆虫の分類のように、競合的か協力的かクライエントと一緒にいったん決めておくので、別にAとBとかって名前でもいいんですよね、というような説明を鍵野はしてみたんですが、N先生から「まだ裁いているって自覚があるうちはいいんだけど、自分は裁いてないと思っているときが危ない」というような話が出て…


たしかに、そう言われると危ないかもなぁ… 十分気を付けてやっているつもりだけれども、でも気づいてないうちに裁いてるんじゃないの?って言われたら、そりゃ気づいてないんだから、悪魔の証明みたいなもので、絶対ありませんとは言い切れないよなぁ…と


中には、自分は裁かない人、共同体感覚を発揮できている人だけど、あなたはまだまだだねと相談に来た人の上に立って気持ちよくなってしまう人がいないとも限らないよなぁとも(そういう人はカウンセラーの試験に合格できないので問題ないと思うけど(こう思うこと自体が危ない?)、カウンセラーでない人も「エピソード分析」使うからなぁ…その危険性はあるよなぁ…)。


時間切れになってしまって、それ以上ディスカッションの時間はなかったのですが、N先生から大きなお土産というか課題をいただいて帰った思いでした。


それで、あらためてY先生に「エピソード分析」でカウンセリングしてもらったことを振り返ってみて…、自分の仮想的目標を「競合的だと思いますか? 協力的だと思いますか?」とY先生に聞かれて、「競合的だと思います」と答えたんですが、まったく裁かれている感じはなかったんですね。裁かれているのではなく、一緒に母と自分が幸せになれる道を探していきましょうねと、半歩先くらいかなぁ、一緒に歩いてくれている頼もしいガイドさん、こちらの力も信頼してくれている感じも伝わってきて、それはそれは楽しい自分の謎をめぐる冒険のひとときだったんですよね。


ということで、これまでたくさんの「エピソード分析」によるカウンセリングを受けてきましたが、カウンセリング養成講座で受講生同士でカウンセリングをするときなんかは、たしかに裁かれてる感のあるカウンセリングもあったんですが、成功したカウンセリング、何か自分の成長につながったなぁと思えたカウンセリングでは裁かれている感はないんですよね。クライエント役として「競合的ですね」と答えることが多いにもかかわらず。


なので、やっぱり問題は「エピソード分析」をカウンセラー以外の人に普及させるときの、裁いてしまう危険性ってとこなのかな…


と書いていて、関係してるなと思うので、福岡でのAIJのオープンカウンセリングの前の日に開催されたAIJのカウンセリング講座での出来事も話しておきたいんですが、そこで久しぶりに先生方(Y先生&A先生)の前で鍵野も「エピソード分析」によるカウンセリングをしたんですね。


自分としては、まぁこんなところかなぁ、少しは役に立ったよねと思えるカウンセリングができたかなぁと思って終わったのですが、先生方の反応がよくない(笑)。それで、あっ、なんか失敗したんだなと気づきましたが、それがなんだかわからない。


「何が問題かよくわからなかった」とY先生、A先生からは「どこがアドラー心理学?」と大変厳しいお言葉をいただく始末…


なんか結果オーライというか表面上うまくまとまった感じだけど、物足りない、クライエントさんのもう一歩の成長につながっていないカウンセリングだったということだったと思います。


鍵野の理解としては、クライエントさんが自らの競合性に向き合うところに踏み込めていないという指摘だったと。


最低限、悪くしないで返す、ちょっとでもよくなればいいんじゃないかと、カウンセラーの資格をいただいてから、臆病というわけでもないけれど、甘くなっていたのかもしれません。


仲間同士のカウンセリングだし、そういうときこそ相手の成長のギリギリのところまで貢献できるようなカウンセリングを目指さないといけないんだろうなぁと思いました。


という気づきと、先ほどのN先生からのクライエントを裁いてしまう危険という話とが自分の中で関係してきてですね…

自分がカウンセリングを受けてきた経験から整理すると

A.相手の身になりつつ自らの競合性に向き合うことで成長できたと思えるカウンセリング

B.相手もOK 自分もOK できると仲間のカウンセリング

C. もう少し競合性に向き合うところを押して欲しいのに(そこ、もっと強めに!(笑))、あっさり終わってスッキリしないカウンセリング

D. 競合性に向き合いなさいよとカウンセラーに裁かれて、関係改善に踏み出せないまま終わるカウンセリング

があったかなぁと…
(で、最近の鍵野は無意識的にBタイプのカウンセリングばかりしていたと思う(安全だし(笑))。それをさすがのA先生が見逃してくれなかったということかな(笑))


考えたんですが、「エピソード分析」に限らず、カウンセラーが裁いてしまえばダメなわけで、N先生の言われたことを逆手に取るわけではないけれど、「エピソード分析」では「競合的だと思われますか?協力的だと思われますか?」と相談者さんに聞く意識的なプロセスがあるからこそ、裁いてしまうかもしれない瞬間が意識化しやすいからこそ安全に使えるのではないかと。


見方によれば、「エピソード分析」を使わないカウンセリングでは、無意識的に相手を裁いてしまう危険性がいたるところにあるとも言えるわけで、そっちの方が危ないんではないかとも…


まぁだからこそ日本アドラー心理学会にせよAIJにせよカウンセラー試験があるわけで、少なくとも合格!をいただいたカウンセリングでは相手を裁かなかったからこその合格なんで、まぁ資格を取った人がその後いつも相手を裁かずにカウンセリングができる保証はないものの、一度でもうまくいった経験があれば、それとうまくいかなかったときとの差は感じれるから、なんとかなるんですよね、きっと。


ここまで書きながら考えてきて、残っている気がかりは、先ほども書いたんですが、やっぱり「エピソード分析」をカウンセラー以外の人に普及させるときの、裁いてしまう危険性をどうするかですね…


カウンセラーがどういう技法を使うかはまぁいいとして、「エピソード分析」が普及することで、カウンセラーがいないところでも、互いに日頃の困っているできごとを相談し合えるようになって、もっと暮らしやすい幸せな日本になっていくと思っているし、そこに鍵野の「エピソード分析」へのモチベーションがあるんですが、もし裁き合って勇気をくじき合ってしまうようなことになっては本末転倒なのでですね、その辺り、もう少しぶら下げて考えてみます。


「エピソード分析」は切れ味鋭いだけに「素人」には使わせないって結論にはしたくないなぁ…(公式にはパセージ・プラス受講者になって初めて使えるレベルで学ぶことができる技法なのはそういう配慮もあるのかな、やっぱり)


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。