こんばんは、鍵野です。
しばらく瞑想三昧の優雅な生活(笑)ができると思っていたら、しばらく音沙汰がなくて解決しちゃったかなと思っていたボールが返ってきて、今週、来週と急に忙しくなりました。日曜日には仲間と濃いカウンセリング実習もやって、アドラー心理学の楽しさ素晴らしさを満喫(笑)したこともあり、かなり濃い「私」を起動したまま暮らしています。
「私」が濃いと、ヴィパッサナー実践、座る瞑想が長時間できなくなります。20分過ぎくらいで怠けが出てくる。それでも、歩く瞑想を1時間ちょいすれば、また集中力が戻って、1時間くらい、いいときで1時間半くらいかなぁ、座れるようになってくるんですが、まぁ、力比べをしているわけではないので、長時間やればいいってもんでもないのでしょうが、でも、2時間超えるくらいは座りたいとは思っていて、毎日ヴィパッサナー実践をするようになってかれこれ2年半くらい経ちますが、まだ達成できていません。結跏趺坐で足は全然痛くないんですが、お尻がねぇ、1時間過ぎてくるとだんだん気になってきて、やっぱり怠けかなぁ、終わらせたくなってしまうんですね。
思考・妄想の類は、仕掛の仕事があるとそれを終わらせたいという欲の思考がときどき出てきます。「妄想、妄想」と気づきを入れて、戻るんですが、まだ欲が出てるときは続けられますね。怒りの思考・妄想はもうめったに出てこないのですが、たまに気になったことがあった日に出てくると、かえって集中力が増して、いい感じで座れることがありました。それで、欲と怒りは出てきたら気づきを入れれば大丈夫なんですが、眠気が出てきたときが一番辛いです。これは欲ではなくて、貪瞋痴の「痴」、無智ですね。夕飯を食べたりすると、夜のヴィパッサナー実践がいい加減になりがちで、なので、なるべく食事は昼までにと思っているのですが、俗世間の仕事のスケジュールとの関係もあってうまくいかないこともあって…(言い訳ですが)。「眠気、眠気」と気づきを入れたら眠気がなくなるはず…なのにですね…、なかなかうまくいかない。たぶん精進が足りない、本気度が足りないんだと思います。まぁ寝てもいいやと思ってるから、眠くなるんだとわかっちゃいるんですがね(笑)。ここが瞑想を次の段階に進める大きな課題だとはわかってきたので、負けずにやります!
それで、今日は「役割」について考えてみたいと思います。じつは、今日、甥っ子のところに赤ちゃんが生まれたんです。おめでとうございます! おじちゃんも嬉しいよ。よかった!
それでちょっと考えたら生まれたのは赤ちゃんだけではなくて、新しく、甥っ子は「お父さん」に、甥っ子の奥さんは「お母さん」に、妹は「おばあちゃん」に、妹の夫さんは「おじいちゃん」に、お父さんになった甥っ子の弟である甥っ子は「おじちゃん」に、そしてうちの母さんは「ひいおばあちゃん」になったんですね。これ、赤ちゃんが来てくれたおかげで、家族の中での新しい「役割」が生まれたということではないかなと思います。
それで、日本では、夫婦二人の生活に子どもが生まれて、三人なって、それまで例えば「○○さん」と名前で呼んでいたパートナーを、対子どもでの「役割名」である、「お父さん」とか「パパ」とか、「お母さん」とか「ママ」とか呼び合うようになるご家庭が主流のような気がします。
ここに将来に危機をもたらすワナが隠されている気がします(笑)。だって、子どもって巣立っていくはずの存在ですもの。子どもが巣立った家で、夫婦二人になって、互いの呼び名が「パパ」、「ママ」だとちょっと変だと思いませんか(笑)。なんかしっくり来る呼び名を新たに模索するのか、子どもがいなかったころの呼称に戻すのか、あるいはそもそも「ねぇ」とか「ちょっと」で済ませて、そういうのは言わないとか(笑)。
パパとママがラブラブっておかしいですもんね。いや、もちろん子ども目線からはステキなことなんですが、本人同士の視点で言ったら、ママとラブラブ、パパとラブラブって変ですよね、やっぱり。ちょっとフロイト的というか(笑)。
なので、かささぎ座でいろんなロールチェンジでの人生劇場を見せてもらった影響もまだ強いのかもですが、ぜひ、家庭でもいくつものロール=「役割」を掛け持ちで真面目に演じられていくのがいいのではないかなと思います。
この子のママ、お母さんだけど、あの人のママ、お母さんではなくて、妻なんだと。この子のパパ、お父さんだけど、あの人のパパ、お父さんではなくて、夫なんだと。あえて意識して子どもが生まれても継続して演じていくのが大事だと思います。だって、いい年してママとデートしたくないですもん(笑)。親孝行旅行とかならいいけども。
後でやると気恥ずかしいでしょうから、子どもが生まれたら、できるだけ速やかに意識的に「役割」を切り替えながら暮らす実践をされてみるのがいいですね。もし、既に気恥ずかしい段階に達しているのであれば、夫婦カウンセリングを受けてみるのもいいかもしれません。照れながらでも、カウンセラーと一緒に練習して、課題としてそれに取り組むことができますから。
この呼び名については、鍵野もかなり意識してきました。子どもに対しても、アドラー心理学を学び始めたとき、既に中二だった息子の名前を呼び捨てにするのをやめました。「○○くん」と呼ばせて欲しいと息子にお願いして、息子も気持ち悪かったかもですが、受け入れてくれました。「○○くん」と呼ぶのはぎこちない感じでスタートしたのですが、呼びかける度に意識できるので、それまでの支配的な父親から、アドラー心理学を学んだ父親、相互尊敬、相互信頼で対等な人間関係の再構築を目指している父親として関わることにチャレンジしやすかったと思います。娘にもある時期から「○○ちゃん」を「○○さん」と呼ばせてもらうことの了解を得て、身体は小さいしとってもかわいいんだけれど、大人になりつつある女性として対等に相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致という付き合いができやすくなったと思います。
ときどき元妻も一緒に息子と食事をすることもあるのですが、そのときは、息子に対して彼女のことに言及するときは「お母さんは…」ですが、直接、息子の前で彼女と話すときは「○○さん、…」と話しています。そういうところから、息子もいろんなことを学んでくれるといいなぁと期待しています。
なので、あなたが気になる人、関係をよりよくしていきたい人と、今、どんな「役割」で付き合っているのか、どんな「役割」で付き合っていきたいのか、について考えてみるといいかもしれません。それはあれかこれかという択一の問題ではなくて、場合分けの問題だと思います。TPOに合わせて、いくつかの「役割」を使い分けられた方が、便利だし楽しい暮らしができるような気がします。
ピンと来た方は、ぜひ、その辺りを話し合って、相手の了解を得た上で、相手の呼び名を変えてしまうという実験をしてみるといいのではないかなと思います。ダメなら戻せばいいだけですから。
もし、カウンセラーの手伝いが必要であれば、お近くの野田俊作顕彰財団(AIJ)か日本アドラー心理学会のカウンセラーさんに声をかけてみてください。「役割」の話以外にも、いろんなアイデアであなたにあったオーダーメイドの提案をしてくださると思います。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。