こんにちは、鍵野です。
確定申告が終わってスッキリしました。去年から電子申告(e-Tax)を始めて税務署まで行かなくなりました。ラクですね。ラクですが、なんか年中行事のイベント的には少しさみしいような気がしないでもないです(笑)。まぁそれまでも会計ソフトで印刷しておいたのを職員さんに渡すだけだったので、申告会場に行ったからといって何か特別なことがあったわけではないのですが。
それこそ事業主の「税金」と思って、会計ソフトだけは最低限ではありますが保守契約を入れて最新版が使えるようにしています。慣れてしまうと心理的なスイッチングコストが高くなって、他にも選択肢はあるんでしょうけれど、ずっとやよいの青色申告を使っています。月次で損益を確認(決算)した方がいいですよと、お客さんにはよく言うんですが、自分は滅多にやりません(笑)。事業が継続できればというくらいの目標しかないので、資金繰りはいつも気にはしていますが、とくに利益目標はないので(これもセミナーとかで目標利益から逆算することを強調しているのと違う(笑))、間に合うんですね、それで。どんなに(数字上)儲かっていてもキャッシュがなくなったらアウトですし、どんなに赤字でもキャッシュが続くなら、いつまででも事業をやっていられますから。
それで、今回初めてアドラー心理学カウンセリングの収入を事業収入の一部として申告しました。経営コンサルティング収入に比べれば僅かではありますが、それでも、ゼロと1は違いますから、嬉しいことだと思っています。次の目標は、アドラー心理学への教育投資(学習費)をアドラー心理学関連の収入で賄うことかなぁ。学びに行かなければすぐに達成できるんですが(笑)、カウンセラー資格更新のためにも学習ポイントを貯めていく必要もあり、また、お仲間と学び合わなければクセが大きくなったり、錆びついていってしまうかもしれず、今年も(厳選しつつ)野田俊作顕彰財団(AIJ)や日本アドラー心理学会の講座等に参加するつもりではいます。
今日は、「アドラー心理学を使う」ということについて考えてみたいと思います。何度も書いていますが、アドラー心理学は真理ではなくて便利に過ぎません。「使う」というくらいだから、道具と言ってもいいんです。ただ、いわゆる「汚い言葉」を使っていると、その人まで「汚い」感じになることがあるように、道具がその人を作る面もあって、アドラー心理学を使っていると、アドラー心理学らしい人になっていって、そういう人を「アドレリアン」と言ったりもします。アドラー心理学らしく考えて、アドラー心理学らしく行動していると、いつの間にかアドレリアンになってしまうと。
「使う」ということについて、もう一つポイントがあって、それは誰に対して使うかというところです。それで、これは常に自分に使うんですね。ここがとても大事なポイントです。相手に使うのではありません。相手とのコミュニケーションを改善するために自分に使うんです。とりあえず、相手はどうでもいい(笑)。相手に対して、アドラー心理学らしく考えて、アドラー心理学らしく行動することができれば、相手とのコミュニケーションがよい方向に変わっていきます。
相手がアドラー心理学を知っているか、学んでいるか、は関係ありません。むしろ、相手がアドラー心理学を知らない前提の方がやりやすいのではないかとも思います。だって、「アドラー心理学を学んでいるくせに、なんでこんなことするのよ!」って、余計なことを考えないで済むから(笑)。「相手はアドラー心理学を知らないんだし、そんなことをするのも仕方がないことだ。でも、私はアドラー心理学を学んでいる。だから、私が、考えと行動を変えればいいんだ」って思いやすいから。
「なんで私が苦労して学ばなきゃならないのよ! そんなの不公平だわ。相手も学ぶべきよ」って思ったあなた、そこはあきらめて、最初にアドラー心理学に出会ってしまった現実を受け入れて、相手はとりあえず置いておいて先に学びましょう(笑)。学ぶべきよ!って相手を無理矢理引きずり込んでしまったら、せっかくの仲直りの切り札であるアドラー心理学が無効になってしまいます。どうか、わざわざ相手がアドラー心理学を嫌いになる理由を作らないでおいてください。あなたが学べば、それであなたがよい方向に変わったのがわかったら、相手も自然に学びたくなるものです、放っておいても。
しつこいですが、アドラー心理学は自分が自分(のコミュニケーション)を変えるために使うものです。相手を操作するためのものではありません。アドラー心理学を学んで、なんとか相手を変えてやろうって思っていた方、残念でした。それはできないんです。生兵法で付け焼刃でアドラー心理学の技術を使うことで、こちらを信頼している人、小さなお子さんとかだったら、しばしの間変わってくれるかもしれません。でも、それは絶対にやめてください。そんなことをしたら後が怖いですよ。恨まれます、きっと。付け焼刃のアドラー心理学を使おうなんて人は、「あなたのため」は、「私のため」に決まっているので、お子さんはひどい反抗をされると思います。まだ、反抗してくれたらいい方かもしれません。親の言いなりになって徹底的に勇気をくじかれてしまって、そのまま社会に出てこれなくなったら、どうやって責任を取りますか?
だから、本当にしつこいですけれど、アドラー心理学を他の人に使わないでください。お子さん以外であれば、よっぽど問題のある人でなければ、付け焼刃の技術で操作されるようなことはないでしょうから、安全と言えば安全ですが、でも、嫌われますから、やめといた方がいいです(笑)。嫌われる勇気をわざわざ試さなくてもねぇ(笑)。
それで、前言を翻すようですが、他人に使うことはないのか、と言えば、実はあります。それは、相手がアドラー心理学を学びたくて、こちらがアドラー心理学を教える人であることを受け入れてくれたときです。アドラー心理学講座の講師と受講者という関係だったり、アドラー心理学カウンセリングのカウンセラーと相談者という関係だったり。アドラー心理学という前提はつけなくても、教師と(その先生から学びたいと思っている)生徒だったり、ここが先ほどの警告と重なってくるところで難しいところではあるんですが、親と(その親から学びたいと思っている(こじれてなければ成立しているはず))子の関係もそうですね。
そういう関係を「相談的人間関係」と呼ぶことがあります。一方が相談する人で一方が相談される人であることにお互いが納得している関係ですね。こういう関係があるときにだけ、あえてアドラー心理学を相手に使う(教える)ことが許されます、というか、実は、相手に使うことでしか、そのアドラー心理学が使われる現場からでしか、相手にアドラー心理学は学んでもらえないんですね。当然、教える方も自分にアドラー心理学を使って、アドラー心理学的コミュニケーションをしながら、学んでもらう相手にアドラー心理学を伝えて、相手にアドラー心理学を(自分のコミュニケーションに)使えるようになってもらおうとしているわけです。アドラー心理学カウンセリングに限らず、人に何かを学んでもらうということは、その学んでもらうことを学んでもらうための操作をしているわけですが、腕のいい人ほど、ついうっかりと相手がアドラー心理学を使ってしまう状況を作り出す操作ができるのだと思います。この場合、「教えてください」、では「教えさせてもらいます」という「相談的人間関係」への合意があるので、そこでの操作について、後で恨まれることが(あまり)ないんですね。
とはいえ、うまく操作できなかったり、期待以上に大きく操作してしまったりして、迷惑をかけることはあるわけで、アドラー心理学を他人に使う立場に立つ人(供給者)は、常に自分の腕を上げていく責任がありますね。自戒を込めて。
「操作」って言うとなんだか嫌な響きがありますが、要するに「行動」です。人に限らず生物は他の生物も含めた環境に働きかけて自分の生存に都合がいいように改変するという「行動」を繰り返すことで生き続けています。その行動にアドラー心理学の論理を適用することを「アドラー心理学を使う」と言っていいと思います。生きている以上、環境を「操作」し続けなければならないのであれば、どうせ「操作」するなら、アドラー心理学的に「操作」し合うことで、お互いにとって暮らしやすい世界が実現するのではないかと考えています。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。