アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

薬物依存

こんばんは、鍵野です。
今日から始まった短期決戦の仕事にとりかかりつつ、秋から仕掛りで終わったと思ったらまだ最終コーナーが残っていた仕事を気にかけながら、ゴールデンウイークに大津で開催されるサイコドラマ(心理劇)ワークショップ「かささぎ座」に備えてサイコドラマの生みの親、モレノの本を読んでいます。


モレノアドラー派じゃないし、アドラー心理学アドラー心理学の理論と思想に沿う形で、サイコドラマを使っているわけで、別に読まなくてもいいわけなんですが、でも、買っちゃったし(笑)。これ五百ページ以上あるんですよ。ライフスタイルということでしょうけれど、いいとこだけつまみ食い的に読むことができない質なので、最初から読んでいたら、なんだか赤ちゃんにインタビューしたわけでもないのに、赤ちゃんの心理的発達のモデルがたっぷり語られていて、かなり辛抱して読んでいたんですが、これじゃぁ間に合わない!と、思い切って、サイコドラマ本体を語っている後半部分にワープして読み進めています。これは自分としてはかなり画期的なことで、本でも映画でもドラマでも必ず最初からじゃないとというところに反旗を翻して勇気を出してやってみました(おおげさですが(笑))。おかげで、こんな重い本を持って大津に向かわなくて済みそうです。今日読んだところで学んだのが、ロールプレイをすること、相手役の動きをクライエント(アクター)に教えてもらうことが、協力してもらうことになっているということなんだなぁと。


アドラー心理学を学んでパセージを受講すると普通にロールプレイを体験してしまうので、カウンセリングでもやるし、当たり前な感じで使っていた技法ですが、あらためてロールってなんだ?とか、モレノの視点から教わると新鮮で、精神分析の影響も大きいでしょうから「転移」って言葉にあふれている本ではありますが、アドラー心理学の理論と思想から見るとこうだよなとか、やっぱり他派の本も勉強になりますね。


そういえば、アドラー先生が、他派の心理学も勉強することを勧めていたんですよね。それで賢くなるからというわけではなくて…、どんな心理学でもアドラー心理学で理解することができるということがわかるという、アドラー先生のドヤ顔が浮かんできそうな意味ででしたけども(笑)。でも、アドラー心理学をマスター(一応、AIJか日本アドラー心理学会のカウンセラー試験合格を基準として)してから、心理学の大学・大学院に行くって、すごい苦行だろうなぁ…。公的な資格が必要な人は仕方ないですが。そんな生徒がいたら嫌だろうなぁ、大学の先生も。やっぱりアドラー心理学を最後にした方がいい気がします(笑)。


それで、今日は依存症について考えてみたいと思います。というのも、今日実験をしたんです。人体実験です。自分を使って(笑)。何をしたかというとですね、鍵野は毎日コーヒーを飲んでます。何杯飲むかなぁ? 3杯は飲むかな。仕事に集中してるともっと飲むかも。で、昔、サラリーマン時代にカフェイン断ちをしたことがあって、なんか新しい大事な仕事(たいして大事じゃなかった気がするけど(笑))を任されて、すごいプレッシャーを感じてですね、その頃、一度、電車の中で倒れちゃうというか、ヘナヘナっと座り込んでしまったことがあったんですよ。で、コーヒー飲み過ぎなのでは?と、コーヒーのカフェインのせいにしてみたんですね。コーヒー飲まないようにしたら頭痛がひどかったのを覚えています。コーヒーは好きだったので、デカフェにしたり、いろいろやってたと思うんですが、何かのきっかけか忘れましたが、いつの間にか普通にコーヒーを飲む生活に戻ってました。それで、ふと、カフェイン依存というような動画を見てですね、影響されて、どうなるかと思って、興味半分で、今朝のコーヒーをパスしたんでした。


朝の瞑想終わって、いつもならコーヒーなんですが、水にしました。そこから、なんか、頭がはっきりしない感じはあって、うっすら頭痛の赤ちゃん的なものはあった気がします。でも、大丈夫、大丈夫と、今日から始まる仕事の準備を終えて、モレノの本を読んでいました。仕事がない日に実験すればとも思ったんですが、仕事があるからこそ違いがわかるかなぁと思って、お客さんのところでコーヒーが出たら、それはいただこうと(笑)。でも、予想通りですが、美味しい緑茶をいただいて、これもカフェインあるはずなのに…、ミーティング終わって家に戻って仕事を進めていたら、本格的な頭痛が、夕方になって、吐き気と寒気までしてきました。これはいかん!と、ポパイのほうれん草のような感じで(知らないだろうなぁ今の人は…)、豆を挽く時間も惜しむ感じでドリップパックを取り出して、27時間ぶりくらいのコーヒーを、カフェインを摂取しました。


なんということでしょう! 10分もしたら頭痛はほぼなくなり、30分、40分とどんどん気分爽快になっていくではありませんか。眼と耳にかかったモヤというのかベールがはがれる感じ。吐き気も寒気もなく、いつもの感じに戻りました。よかった、よかった(笑)。


おかげで、そこからは仕事が3倍速くらいで進んで(笑)、大きなヤマを越えて、ゴールまでの見通しをつけることができました。


それで、最近自重気味だったのに、ブログを書こうという残余エネルギーまである始末(笑)。ドーピングって怖い! 薬物って怖いですね~。ほんと、カフェインという薬物依存症だということがよくわかりました。


アドラー心理学ですから、個人の主体性ですから、それもあれもこれも私が決めているわけですが、でもねぇ、あの辛い状態から逃れようって、コーヒーを入れているときの状態は、なんか違法薬物を摂取しようとしている人と同じだよなぁと思いました。切実ですね。


まぁ、一気にやめると離脱症状もきついということなんでしょうけれども、やめたいという気持ちはあるんですよね。頭痛はあったけれど、心臓回りのプレッシャーはなくてリラックスしていた気がするんです。なんか、あおられている叩かれている感じがない。本当はあれがノーマルで、それで暮らしていけてたはずなんだけど、いつの間にか、カフェイン前提の身体で暮らしていたんだなぁ、世界とコミュニケーションしていたんだなぁと気づけました。


もし、世の中からカフェインがなくなったら、最初からそれを前提として世界が社会が動いていれば、もう少しみんなゆったり平和に暮らせる気がするんですけどね。


でも、抜け駆けしてカフェイン使って3倍速で自分だけは「勝つ」方に行きたい人がいますよねぇ~、きっと(笑)。


何かに依存して身体が言うことを聞かない感じ、ありありと実感できました。カウンセリングに活かせるかもなぁ…


スッキリしたところで、まだコーヒーは四分の一ほど残っていたんですが、そこは仏教徒、必要は満たしたので、渇愛よさようならといさぎよく(ちょっと未練が(笑))捨てました。もったいないは仏教と真逆ですから(笑)。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。