こんばんは、鍵野です。
福岡から戻ってきました。今回は高速を使いました。別府までは雪が結構降っていて、途中湯布院では追い越し車線がしっかり雪に覆われている個所もありました。臼杵でも雪は舞ってはいましたが、まったく積る気配はなく、津久見、上浦と寒いことは寒いけど、雪はやっぱり大丈夫でした。車検を通したばかりのミラが融雪剤を浴びて白く汚れていたので、水洗いだけはしておきました。まだまだ主力の移動手段としてがんばってもらいます。
それで、中古車乗り出し価格を上回る修理費のかかりそうな大きな故障が出た時に、乗り換え予定なんですが、もう人を乗せるのは買い物に行くときの母くらいだし、思い切って、ビートとかロードスターとか、スーパーセブンとか(でもこれはさすがに無理だなぁ(笑))、運転の楽しそうな車にとチラっと思いましたが、駐車場屋根ないし、買い物したものをどこに入れるのかという問題がクリアできそうにないし、やっぱりミラとかアルトとかの背の低い軽のマニュアル車を中古で入手すると思います。今乗ってるミラ、燃費もいいんですよね、下道でリッター21キロくらい走ってくれます(前乗ってた車はリッター10キロ行くかなぁというくらいでハイオク指定でしたから、大違いです)。高速だとリッター17~18キロくらい、がんばってエンジンを回すからですね、ちょっと無理があるんだろうなぁ…、高速の方が燃費が悪くなるという(笑)。
そんな鍵野の愛車ミラを作ってくれた会社、中津に工場があり大分県の経済にも大きな影響を持っているダイハツがなんでも出荷停止で大変な事になっているそうですね。製品開発テストをパスさせるために不正なデータを使ったんだとか。鍵野も自動車ではないけれど、メーカーで製品開発の現場にいたので、テストの大事さ、厳しさはわかります。それでもちょっとピンと来ないのは、製品を世に出すために、様々な段階のテストがあるんですが、品質保証部門がものすごい権限を持ってテストを管理しているので、テストデータをいじるなんてことは、製品開発チームがどうこうできるようなことではなかったんですよね。開発もテストも同じ人がやってるなんてことは、ありえないと思うので、テストデータの差し替えなんて現場担当者ができることではないはず。
アドラー心理学では、その人の言っていることではなく、していることを見ることを教わります。口ではどんなことを言っていても、結局、すべては行動に表れるのだからと。どんな理屈付けや言い訳をしようが、子どもを怒鳴っている親は、子どもを怒鳴る親なんです。そして、「個人の主体性」という視点から、結局、子どもを怒鳴っている親は、自分で決めて子どもを怒鳴っているということで、怒鳴りたいから怒鳴っているんだと考えます。また「全体論」から、心と身体、感情と理性、それぞれは葛藤をしているわけではなく、役割分担して協力しながら怒鳴っているということになります。感情さんが勝手に怒鳴ったりはしません。その人が感情を使って怒鳴っているんだと考えます。さらに「目的論」から、その「子どもを怒鳴る」という行動には必ず目的があると考えます。何の目的で怒鳴ったのかは聞いてみないとわかりませんが。
そこで、ダイハツというのはそもそも人ではないし、社長さんは来ることがあるかもしれないけれど会社がカウンセリングに来ることはないので(笑)、会社の行動を分析するのに、アドラー心理学をそのまま適用できないだろうとは思いますが、試みにダイハツを人だと思って考えてみれば、不正をする会社は不正をする会社なんですよね、どんな理屈付けや言い訳をしようが。そして、それはダイハツくん(さん?)が主体的に決断して不正を行っているんだと。そして、何とか部門と何とか部門が葛藤をしているわけでは決してなく(そう見えたとしても)、互いに協力したからこそ不正が行えたということになります。さらに、その不正にはちゃんとダイハツの目的があるということになります。ただですね、ここで難しいのは、カウンセリングであれば相談者さんに聞けばその目的はわかるんですけど、ダイハツに聞くことはできないというところですね(笑)。社長さんに聞けばわかるかというと、そうでもない気がします。社長さんはダイハツではないから。だって、例えば日本のことを知りたいとして、総理大臣に聞いたら日本が今何をしたいのかがわかると思います? 「わかってたら苦労しないよ!」なぁんて怒られそうな気がします(笑)。
ただですね、アドラー心理学カウンセラーは、じつは相談者さんが何のためにそうしたのかという目的をかなりの程度推測した上で、相談者さんに目的を聞いています。なので、推測というレベルであれば、ダイハツの目的とか日本の目的とか、いわゆる個人を超えた存在の目的をああじゃないかとかこうじゃないかと言うことはできそうです。でも、まぁそんなことにたいした意味がある気もしないんですよね。やっぱり、「ダイハツ」が相談に来るわけでなし、「日本」が相談に来るわけではないから。相談者が主体的に決断したことを一緒に考えて分析して、その後分析結果に基づいた違う行動をすることで、相談者が幸せになるというのがアドラー心理学カウンセリングなので、決断する主体がいないことには始まらないんですよね。それでも不思議なのは、日本は外交権を持っていて、例えば米国と条約を結ぶことができる。あたかも外交交渉の場では、日本と米国が話し合っていることになっているんですね。日本くん(さん?)も米国さん(くん?)もいないのにね(笑)。
もし日本くん(さん?)が相談に来てくれたなら、協力的な目標に向かって協力的な行動をすることを決断してもらえるようにカウンセリングをデザインするんでしょうが、現実にありうるのは、やっぱり、代表者が個人を超えてダイハツくん(さん?)とか日本くん(さん?)になりきって考えるということなのかなぁ… 決断する主体がはっきりしないと、変わりようがないですもんね。ダイハツとか日本のライフスタイル分析というのが成立するのであれば、アドラー心理学による解決もできるということになるんですが、早期回想をどこに取材すればいいんだろう? 創業者の逸話? 日本書紀、古事記?
まぁ、仏教から考えれば、私も個人も幻想だし、ましてや、日本とかダイハツも幻想だし、あるのは(地水火風でできた)物質である「色」が、眼耳鼻舌身というこれも「色」である五根に触れたこと、さらに、もう一つの意根という物質によらない感覚器官に法(思考妄想を含めたあらゆるもの)が触れたこと(だから我々はユニコーンとかウサギの角とかも認識できる)、で起こる苦・楽・不苦不楽という感覚である「受」と、さまざまな概念である「想」と、~したいという煩悩、感情である「行」と、知ることとしての「識」という、常に変化し続けている無常な「五蘊」があるだけなんですよね。だから、そんな幻想、妄想に執着するのはやめて、仏教を実践して(ヴィパッサナーを実践して)落ち着きなさいよという話になるのだけれど、目の前で悩んで苦しんでいる生命がいるのなら、その苦しみがなくなりますようにと願って自分にできることをするのが仏教徒でもあると思うので、せっかく使えるようになったアドラー心理学でできることがあるのであれば、何かしてあげたいじゃないですか、ねぇ。
それで、やっぱり個人を超えた妄想にチャレンジするのはやめておいて、アドラー心理学を必要とする人に出会えたときだけでも、自分が知っている範囲のアドラー心理学をその人にお伝えすることができたら、もうそれで十分じゃないか、と思うのでした。本当にダイハツくん(さん?)が相談に来てくれたら面白そうだけど(笑)。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。