アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

かささぎ座どうしよう?

こんにちは、鍵野です。
今日の佐伯上浦は雨模様でちょっと肌寒い感じです。明日は遠方からの来客予定もあり、ルンバと一緒に掃除をしました。水回りがまだですが、いっぺんに終わらせてもなぁと(笑)、夕方までの楽しみ?に残しています。


それで、珍しく今ちょっと悩んでいることがありまして…。


それは、来月、ゴールデンウイークに滋賀で開催される「かささぎ座」という野田俊作顕彰財団(AIJ)の一番ゴージャスな?学びであろう、アドラー心理学をベースにした心理劇(サイコドラマ)のワークショップに参加しようかどうしようかなということなんです。


かささぎ座は野田先生のブログ(補正項)で大変魅力的に紹介されていて、参加したいと思い続けていたのですが、鍵野が学び始めたころには野田先生の体調のこともあって開催されなくなっていました。それで、果たせないままだったんですが、昨年、野田俊作顕彰財団のワークショップとして復活したんですね。


昨年も参加を検討したのですが、時期尚早というか、まずは既に身に付けた力でできること、カウンセリングに集中しようということでパスしました。学ぶのは好きなので、そこに逃げるというか、○○を学んでからにしようというような言い訳にしないようにという意味もありました。


それで、カウンセリングに集中して1年近く経って、お金をいただくカウンセリングを、そんなに数多くとまでは言えませんが、それなりに経験できたことで、先生方、先輩方から学んだことを落ち着いて実行すれば、しっかりアドラー心理学カウンセリングができるということについて、おごりとか謙遜とかを離れて、事実として冷静に十分納得できました。おかげで「カウンセリングをしたい」というそれまでの執着は、かなり薄くなってきた気がしています。気が済んだというのかなぁ…、アドラー心理学カウンセリングを必要としている人と何かの縁で出会ったときに、求められて、こちらにもそれができる余裕があったときに提供できさえすれば、もうそれでいいのかなぁという感じになってきています。


なのでいろいろこだわらずに「かささぎ座」を学びに行く気持ちの余裕は十分あるなぁと。


じゃぁ、行けば?というところなのですが、これはカウンセリングへのこだわりとかではなく、仏教徒として、心がけなければと思っている大事なことがあって、それは「必要と欲しいを見極める」ということです。


人が、生き物が、生きていくうえでは、水や空気、食べ物が必要です。人に関しては、さらに着るもの、住むところ、薬も必要になります。衣食住薬については、出家比丘にも認められていたんですね。


鍵野はもちろん在家ですから、そこまで厳密に「必要」なものことだけに絞る暮らしはできないわけですが、それでも「欲しい」ものことを追いかけていてはキリがない、それにかまけていたらあっという間に人生が終わってしまうであろうことくらいは、師匠であるスマナサーラ先生の教えのおかげで理解できていると思っています。


その「必要と欲しいを見極める」からすると、この「かささぎ座」への参加は必要なことなのか?というところが引っかかるわけです。


参加しなかったら死ぬのか?というレベルで峻別すれば、そりゃあ必要ではありませんね(笑)。と、そんなレベルで判断しだすと、そもそもこんなブログなんて書くこと自体不要なことで、何やってるの?ということになってしまいます。あえて生命維持というレベルで考えると、生命は刺激がないと生きられない(心が回転しない)という意味で、ブログを書くことでなんとか生きているのかもしれないんですが(笑)、とりあえずレベルを少し引き上げて(下げて?)、他の人々への貢献をするという「仕事」は在家である以上必要ということにさせてもらって、その仕事をしていく上で、「かささぎ座」への参加は必要なのか、単に欲しい、学びたいという欲にかられているだけではないのか?という辺りで引っかかっているんです。


「仕事」にフォーカスして、もう少し考えてみたいんですが、経営コンサルタントとしての仕事については、もう持っているものだけで役に立てるレベルの仕事しかしていないので「かささぎ座」は必要ないですね、うん。


カウンセリングの仕事についても、先ほど書いたように、今の力でできることはできるので、必要かと言われると必要ないかなぁと…。もちろん、新たな学びによって、より質の高いカウンセリングができるようになる可能性は大いにあるわけですが、それはなんだか「欲」の方向な気がしています。もっと上手になりたい!という欲が掻き立てられる感じ。これ、気を付けないと相談者さんを道具にしてしまう方向に戻りかねないので、そのつもりで学ぶとかえって下手になる気もします。


もちろん放っておいたら力も衰えるでしょうから、それを維持する努力は常に必要で、継続的な学び、特にアドレリアンと交わり続けるというのは必須だとは思います。「かささぎ座」も精鋭が集まるはずなので、そういう機会ではありますが、これはもう少しライトな講座とか集まりでもいいかなぁと思わないでもなくて、積極的にゴールデンウイーク中という特にレートの高いときにお金と時間をたっぷりかけて「かささぎ座」参加を推す理由としては弱いかなぁと(笑)。


カウンセラーのさらに上の資格である「心理療法士」を目指すのであれば、もちろんまだまだ学ぶことはたっぷりあって、「かささぎ座」に毎年参加、そんなの当たり前でしょ!ということになるわけですが、それはないのでですね…。公認心理師さんとか、医師と連携して具体的な心理療法のニーズにアドラー派として応える必要がある人であれば別でしょうけれど、そういう人生ではなかったので。


開き直ってレジャーとして、遊びとして、欲として、テニスとかゴルフとか釣りとか(これは殺生なのでNG)ドライブとかと同レベルで「かささぎ座」を楽しみに行けばいいのかもしれない。レジャーと割り切ったら、鍵野にとってこれ以上面白そうなイベントはない気もします。


と、書いていて、わかってしまったことがあります。なんか、最後のお楽しみ的に取っておきたい気持ちがある気がします。ICCASI(ドライカースサマーセミナー)への参加もそうですけど、美味しいものを最後に残しておいているような感じですね。食べてしまったら、もうその後がつまらなくなるような予感というか…。


執着だなぁ…、これも。さっさと食べてしまった方が、経験してしまった方がいいのかもしれない。期待を大きく育ててしまうよりも、あっさりとですね。


今年は諸事情によりICCASIにはやっぱり行かないことにしたので(来年は行けるかも)、あっさり「かささぎ座」経験してしまおうかな。仕事とかという観点ではなくて、執着を減らす方向だという方便で(笑)。


でも、旅費高いだろうなぁ…、おっと執着ですね、これも。さっさと予約しようかな。今度こそ夜行バスはやめておこう。何度も懲りてるのに喉元過ぎればなんとやらで、ついつい乗ってしまっているので。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。