アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

こんばんは、鍵野です。
自己記録更新かな、今日3本目です!
ちょっと「夢」について書いてみたくなりました。アドラー心理学では夢をどう捉えているんでしょうか? じつは、夢の中の出来事であろうが、現実での出来事であろうが、アドラー心理学にとっては同じようなものです。それはどういう意味かというと、結局、その人が夢の中の話であろうと昨日の会社での話であろうと、その人が語ってくれていることがその人を表しているという意味で同じということです。もちろん、「最近こんな夢を見るんですよ、で、その夢に困っているんです。もっといい夢をみたいんですけど、どうしたらいいんでしょうか」と相談に来られたらちょっと困るかもしれません。でも、みなさん現実の暮らしの中で困ったことがあって、それをなんとかしたいと相談に来られるので、まぁ大丈夫ですね、その心配はしなくても(笑)。

 

普通は、最近あった出来事についてお話してもらうんですが、その人を理解するという意味では夢でもいいんですよね。でも、現実の問題を解決しようとしたら、現実の行動を変える話になるので、やっぱり最近あった出来事をお話してもらうことになりますから、結局効率が悪くなるだけかもしれません。夢の話より現実に起きた話の方がわかりやすいですし、相談者さんにとってもカウンセラーにとっても。

 

それで、夢に関するアドラー先生の面白いエピソードがあって、アメリカのボストンエリアでのレクチャーツアーのときの話ですが、講演会の次の日、講演した先のディレクターと朝食を共にしていて、ちょっとからかい気味にそのディレクターが「昨夜はきっと楽しい夢を見られたことでしょうなぁ」と言ったら、アドラー先生は驚くほど荒々しい感じで「私は夢は見ない!」と答えたんだそうです。当時、アドラー先生は、人は未解決だった内なる葛藤を解決したら、ほとんど夢は見なくなるんだと教えていたんですね。これは、人の無意識は非常に大きな力をふるっているというフロイトの考えを直接否定する視点だったんですね。

 

どうも、伝記を読んでいると、アドラー先生が怒るときは、決まってフロイトがらみですね。とくに、「フロイトの弟子だった」なんてことをアドラー先生の面前で言おうものならひどいことになりました。あの有名なマズローアドラー先生の生徒だったし、アドラー先生から大きな影響を受けた人なんですが、うっかりその「フロイトの弟子だった」というようなことを言ってしまったんですね。それでアドラー先生が激昂したというエピソードも残っています。だからでしょうね、アドラー先生はフロイトアドラー先生を自分の主催する研究会に誘うために送った招待状をずっと持っていたそうです。そこには"Very honored Sir Colleague"宛てと書かれていて、同格の研究者として敬意を持ってフロイトアドラー先生を誘った証拠にしていたんでしょうね。アドラー先生の人間らしいエピソードかなと思いました。

 

夢自体を見なくなるというのは、どうなんですかね。鍵野も特に暮らしていく中で問題は感じていないけど、夢はやっぱり見ますね。でも、夢の内容は変わりましたね、アドラー心理学を学ぶ前と後とで。実践が深まると共に、夢の中でも協力的な行動を取ることが多くなった気がします。夢の中ですから、なんか筋は変なんですけど、なにか期待と違うことが起きても、一瞬考えて相手の目標に合わせていく方向を選ぶことが増えた気がします。そのとき気になっていることが象徴的に表れてくるというのはやっぱりあると思います。先ほども書きましたが、同じライフスタイルの人が経験することだから、夢だろうと現実だろうと、そりゃそうなんですが。

 

昨日だったかな、今朝の朝になりますかね、夢見たんですよ。なんか修学旅行に行くって大型の観光バスに乗りこんだんですけど、なんか違うバスに乗ってしまったらしいんですね。座るところ探して座ろうとするんだけど、席は空いてはいるんだけど、なんか場違いな感じで。で、運転手さんに行先を聞いたら、違うらしくて、それで降りたんです。ターミナルみたいなところでたくさんバスがあって、いろんな学校のいろんなクラスの生徒がいろんなバスに乗るというシチュエーションで、どのバスなのかわからなくなって。で、ウロウロしてたら、担任の先生とか学年主任の先生らしき人とすれ違うんだけど、こちらに気づかない。で、こちらも声をかけるでもなく、通り過ぎて、まぁいいか、修学旅行行かなくてもという感じで、どうしようかなぁ…と思いながら歩いていたら目が覚めたという。

 

夢判断してくれますか(笑)。じつは、高校のとき修学旅行行かなかったんですよ。なんか行きたくなくてですね。で、なぜ修学旅行に行かなかったかっていう作文を修学旅行の感想文を書く時間に書いた記憶があります。仲のいい友達と同じ班だったし、行先は東北だったんですが、まぁ東北には行ったことなかったし、行ってもいいシチュエーションなはずなんですが、嫌だったんですよね、集団行動を強制される感じがねぇ。それと関係あるのかないのか、うーん、まぁこうして思い出しているということはあるんでしょうね、やっぱり。

 

あっ、さっき書いたオープンカウンセリングどれに行こうかと関係してるかも、珍しく悩んでいるんだから。野田俊作顕彰財団(AIJ)とか日本アドラー心理学会とか、福岡のいくつかある自助グループとか、某所で立ち上がりそうな自助グループとか、なんかどのバスに乗るのさ?というところな気がしてきました。一応、夢では自分のクラスのバスがどこかにあるはずで探してはいたんですよね、でも、それがもう出発しちゃった後な感じが、先生たちの表情とかからわかって、それはそれでもう行っちゃたんならそれでよかったっていう感じはあったんですよね。

 

と、まぁ、自分の色眼鏡で自分の色眼鏡を分析してもねぇ(笑)。よし、夢の続きを今夜(明日の朝)見てみよう(笑)。


でも、アドラー先生の理屈に従えば、どのオープンカウンセリングに行くか決めちゃえば、その瞬間、こういう夢は見なくなる気がします。

 

読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夢を(笑)。

生きとし生けるものが幸せでありますように。