アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

アドラー心理学の資格についての長い話

こんばんは、鍵野です。(過去最長なので覚悟して休憩しながら読み進めてください(笑))
写真は息子が10年前、小学校3年生のときに作ってくれたクリスマスケーキです。我が家は、そういえば、子どもたちの好みで毎年チョコレートケーキでした。


それでメインディッシュとして、ケンタッキーフライドチキン(KFC)のローストチキンが登場する年も何回かあったと思います。KFCは毎年この時期はとっても忙しそうですよね。米国ではクリスマスにKFCはありえない感覚らしい(ファーストフードだからかな)ですが、日本ではカーネルサンダースがサンタクロースの親分なんじゃないかと思えるくらいに馴染んでますよね(笑)。しかし、物価がほんと上がってますね。外食するときのお金の減り方が今年になって2~3割増しな気がします。その分、働いている人のお給料も上がって、世の中にたくさんお金が回るのであればみんなハッピーなんでしょうけれど、そうでもなさそうですね。最低賃金は上がってますけど、それ以上に物価が上がれば、トータルではお金が減っちゃいますものね。鍵野が年金をいただけるのはまだ先の話ですが、年金生活の方は厳しい年の瀬かもしれませんね。


年金を増やすのに、財務省さんは、財源が…と言いますけど、国債を発行して配ってしまえばいいんですよね。貸借対照表がわかる人なら理解できると思いますが、国の借金は国民の財産ですから。国民一人当たり800万円の借金が!って、最近嘘がバレて言わなくなったのかもですが、逆ですから、あれ。国民一人当たり800万円の銀行券配ってますよというだけのことです。財務省さんのやってるのは、人生ゲームの銀行家と同じ仕事なんですよね、プレイヤー(国民)に配ったお金が、お祝いだ給料だ買い物だと、プレイヤー同士で回っていくわけです。税金として、国がお金を回収してしまったら、その分ゲームボード上を動くお金が減るだけです。お金がいくらあっても、そのお金で買えるモノやサービスが供給されなければ、ただ価格が上がっていくだけなので、供給力を無視していくらでも国債を発行していいわけではありませんが、日本人の生産余力はまだまだたくさんあまってます(鍵野ももう少しカウンセリングできますし(笑))から、ハイパーインフレなんかになるわけなくて、ちゃんとお金を増やせればいい感じで回っていくと思います。まぁ、ゲームをしているのは日本だけじゃないので、日本が豊かになると困る人たちがいるのかもしれませんが…


お年寄りが安心してお金を使えるようになれば、いい流れで物価も上がってお給料が増えていくし、人手不足だからこそ、若い人を大事にしながら、供給力を確保するための技術革新投資も増えるでしょうし、いわゆる信用創造で銀行さんが貸付を増やしていけば、サービスでもどんどんイノベーションが起こっていくでしょうし、これからの国民経済のいいモデルになれるポテンシャルがあると思うんですがね、日本には。


なぁんてことに何年か前までは割と興味があったんですけれど、でもね、しょせんモノやサービスをいくら消費しても幸せにはなれませんから(笑)。財務省さんにケチをつけるのはやめて、武士は食わねど高楊枝と(武士じゃないけど(笑))、自分にできることを、アドラー心理学と仏教の実践で満足します。


それで、例によって前置きが長くなりましたが、今夜は再び「資格」について考えてみたいと思います。資格と言っても、今回はアドラー心理学に限った話です。ところで、アドラー心理学関連の資格っていくつくらいあるんでしょうか? 鍵野の知っている野田俊作顕彰財団(AIJ)と日本アドラー心理学会について言えば…


まずAIJには、1.パセージ・リーダー、2.パセージプラス・リーダー、3.カウンセラー、4.心理療法士、という4つの資格、それらを認定する「指導者」と指導者から選ばれる「統括指導者」があるけれど、これは徒弟的な教育制度によって継承されていくもので、法人としてはその選任過程に関与しないものとされています。現在の指導者は、大竹先生と中井先生です。


次に、日本アドラー心理学会には、1.家族コンサルタント、2.カウンセラー、3.心理療法士 の3つの資格があります。そして、それらを認定する「指導者」という資格?地位?があったのですが、今年(前年度?)に廃止されました。代わりに「資格認定者」という役割をする人が理事会から任命されています。日本アドラー心理学会の最後の(またいつか復活することがあれば最後ではなくなりますが)指導者が中島先生で、そのまま中島先生が「資格認定者」に任命されています。


「指導者」という存在が日本アドラー心理学会からなくなっていることから考えると、ここに現職理事4名の方がリードするようになってからの日本アドラー心理学会とその後に新しく設立された野田俊作顕彰財団(AIJ)の違いが大きく表れているように思います。日本アドラー心理学会では、理事会が資格を認定する人を任命するし、同じく理事会がその資格認定者が推薦した人を資格者として承認するという構造になっていて、理事会が最高意思決定機関であることがはっきりわかります。AIJでは、そこはまったく異なっていて、徒弟的な教育制度によって、指導者が指導者を任命するのであって、そのプロセスに法人として関与しないとされています。


ここですね、ホントに、争点だったのは。日本アドラー心理学会の話ですが、野田先生が認めた指導者を理事会が認めないという事態が起こることは、想定外だったと思うのですが、それが起きたんですよね。で、ここからは鍵野の意見と動きですが、当時それを知って、「なんで? そんなことありえないでしょ?」と大きく憤ったのでした。日本のアドラー心理学は野田先生が教え育ててきたものだし、その野田先生が認める人を認めないなんてことが、日本でアドラー心理学を学んでいる人の間で起こるはずないでしょ? というのが、当時の素直な思いでした。


もちろん、知らないことも多かったし(今もですが)、偏った意見であったと思いますが、芸事とかと一緒でお師匠様の決定に弟子達がノーを言うなんてあり得ないでしょという感じでした。でも、現実は、そちらの信じられないと思った方に動いたのでした。日本アドラー心理学会という一般社団法人に、野田先生の教えを継承していくゲマインシャフト(血縁共同体)的な夢とロマンを勝手に抱いていただけだったんですね、今思えば。


それで、冷静に距離を取って見れば、約千名の会員と言っても、温度差はものすごくあるでしょうし、いろんな考えの人がいて当然なわけで、逆に今までよくそういう体制で続いてこれたなぁ、むしろそれが奇跡というか、やっぱりこれは野田先生の力がすごかったということだったんだろうなぁと思いました。それで、日本アドラー心理学会の、一般社団法人としてある意味普通に動いていくという新しい形が見えてきたところで、AIJがそれに飽き足らない人たちの受け皿になって、野田先生の教えを継承発展させていきたいということで発足したんだと思います。


鍵野は、現在、日本アドラー心理学会とAIJの両方のメンバーですが、結果的にはよかったのかなぁと思っています。日本アドラー心理学会は、鍵野が入会した2017年ころには、あまりお顔を見なかった古くからの会員の方々が活き活きと活動されていますし、その結果なのかわかりませんが新しい会員さんもいらっしゃるようですし、AIJはAIJで、堂々と野田俊作先生の教えを野田俊作先生の教えとして伝えていけているので、日本全体のアドラー心理学ムーブメントという視点からすれば、ちゃんとしたアドラー心理学実践につながる登り口が増えたわけで、アドラー心理学を学ぼうという人の好みや相性に合わせて、それまでのようにほぼ日本アドラー心理学会一択ではなく、選択できるようになったのは喜ばしいことではないかなと思っています。


それで、ようやく資格の話なんですが、この指導者がいるのかいないのかの違いが、野田俊作顕彰財団と日本アドラー心理学会のそれぞれの資格に対する考えたかの違いに波及してくるだろうというのが、書いてみたいポイントでした。たとえば、鍵野が目指してようやく昨年取得できた「カウンセラー」という資格ですが、これは野田先生はアドラー心理学を人に伝えるために、アドラー心理学の供給者であるために必要な資格だとおっしゃっていました。なので、鍵野はこの「カウンセラー」を取るまで、アドラー心理学のことをお仲間たちの外の世界で、書いたり話したりすることを自分に禁じてきました。自分がアドラー心理学のことを書いたり話したりできると自分で思えるかどうかは問題ではなく、野田先生が、それが叶わなければ、野田先生が認めた指導者に認めてもらうことの方を問題にしていたわけです。徒弟的な教育制度ってそういうことだなぁと思います。それで、自分が経験してみて、やっぱり「カウンセラー」試験に合格してから、書いたり話したりしてよかったなぁとは思っています。合格した瞬間に供給者として生まれ変わるわけでもないでしょうけれど、それだけの思いを持ちながら目指してきたことが、供給者としての「責任」とかですね、それに見合うだけの研鑽を積まなければとかですね、自分を成長させていく力になった気はします。


一方、今の日本アドラー心理学会の考え方(を推量してるわけですが)では、これは中島先生も今年のカウンセラー養成講座でおっしゃっていたことですが、カウンセラーというのは「アドラー心理学を少し動かせるといった程度」のものだと。なんか、そんな到達点的な感じのアピールは全然なかったなぁと。だからといって、試験が簡単になったわけではなくて、少しルールは違うけれど、やっぱり今の試験を鍵野が今受けても合格できるときもあるだろうけれど、不合格になるときも十分ありそうだなと思える難しい試験だと思います。でも、合格した人に「はい、君も今日からカウンセラー! 十分力があることを認めます」的な感じがない気がします。「ちょっと動かせるようになったみたいね。まぁ、これからもがんばって」くらいの感じ(笑) これは、でも、AIJの先生方も同じかもしれないです、鍵野の場合も「ギリギリ、まぁ合格にするけど…これから研鑽してね」くらいの感じだったような(笑)。ただ、野田先生がいろいろおっしゃっていただけに、もらう方が勝手にプレミア扱いしてる気もしてきました「カウンセラー」プレミアム(笑)。


で、どっちが厳しいかというと、今の日本アドラー心理学会の方が厳しい気がします。偉い先生がいて「どうぞ」って言ってくれない構造になってるから。「アドラー心理学を人に伝える」という点で言えば、今日、初めてアドラー心理学の講義を聞いた人でも、それが素晴らしい教えだと思うのであれば、できる範囲で伝えてくださいというメッセージでもあるから。ここまでできたら、人に伝えていいよというのは、ある意味そこにその判断に甘えられるところがあるとも言えそうなので。


今日から、カウンセラー、よし伝えるぞ!って、なんか自分がやっててなんですが、なんか危ない(笑)。そうではなくて、自分が知らないことは知らないとちゃんと言うことを条件に、自分が知っていることを自分の言葉で伝えるというのは、それはいつでも実行可能なモラルであって、厳しいけど自由がある。「間違ったことを伝えてはいけない」と自分を縛っていた人がカウンセラーの資格を取った瞬間に、伝え始めるというのは、ある意味「私は正しい」と言っているようでもあって、かなり怖いことかもしれない。それよりも、いつまで経っても自分は間違ったことを言ってるかもしれないなぁ…でも、目の前の人の役に立ちそうではあるから、言ってしまおう、後で間違っていたとわかったら訂正して謝ろうという姿勢で死ぬまで暮らすのがちょうどいいのかもしれない。


そういえば、仏教のお師匠様であるスマナサーラ先生も同じようなことをおっしゃってました。自分の知っている仏教は人に教えてあげてと。別にお坊さんじゃないと教えちゃダメってことはないんだよと。実際、お釈迦さまの時代にも、在家の人が沙弥(見習いのお坊さん)に説法することも珍しくなかったそうだし。で、人は悟ってない以上、必ず間違うんだからいつも懺悔するんだと。これもチベット仏教とかの信者さんであれば恐れ多くてできないことだと思います。在家が仏教を語るなんて、間違っていたらどんなことになるかって。お釈迦さまの仏教は信仰ではないし、教えは深いけれどシンプルと言えばシンプルなので、その人に教えられることは常にあるはずなんですよね、仏教を聞いたその日から。お釈迦さまはどんな短い教えでも完全に語られたので。


ということで、なんだか長くなりましたが、とっても大事なことが見えてきた気がします。今の日本アドラー心理学会の方が自由な感じがするんだなぁ。その分、クールで厳しい。これで大丈夫とは言ってくれない(笑)。AIJの方が、じつは熱い!熱血教師な感じ。その分、徒弟的にかっちりお師匠様の言うとおりにお行儀よく学んでね、という感じがします。どちらも素晴らしい! 最終的にはやっぱり相性っていうか好みだなぁ(笑)。結局、どちらも時代の違いはあっても野田先生の教えであることには変わりないし。


読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。