アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

今夜もアドラー先生の勇気づけ

こんばんは、鍵野です。
午後は母の買い物の運転手のお仕事だったんですが、何を買いに行くのかと思えば、東京で暮らす娘たち(鍵野の妹2人)に送るみかんを品定めするのが目的だったようです。青果市場で売り出しがあって、そこでいろんなみかんを味見して、同じくみかんを買いに来た人たちと、いろいろお話しながら、「これが美味しいで~」「本当~」なんて、今日初めて会った同士でしょうに、さすがは田舎というか、とても楽しそうでした。それで、結局、一番美味しかった一番上等のに決めて、妹たちと他にお世話になっている人に送ったそうです。納得するものを送れたようでよかった!

 

それで、いろいろお安いドラッグストアにも寄って、車で待っていたんですが、近所のおばあちゃんと会ったらしく、「どうぞ~、小さい車やけど」って、そのおばあちゃんと買い物カートを押しながら、戻ってきました。おかげさまで、母だけでなく近所のおばあちゃんまで送り届けることができて、功徳が増えました(笑)。降り際にお礼にってお金を置いていかれましたが、お気持ちだけ有難くちょうだいして、母を通してお返ししました(笑)。あれ、ちょっとすごいなと思います、初めて会った人でも平気で話すのは。なんか買い物してるときっと誰かと話してる、初対面のはずなのに(笑)。私の方も仕事仕事と、帰ってから、取り掛かった仕事も調子よく波に乗れたし、まぁ今日もいい日ですね。

 

それで今夜は、またまた続きで"The Drive for Self"(Edward Hoffman著)というアドラー先生の伝記から、感動した勇気づけのエピソードをもう2つばかりご紹介したいと思います。最初はですね、アドラー先生の娘のアレクサンドラが回想している話なんですが、アレクサンドラはウィーン大学を卒業して精神科医としてドライカース先生なんかと同じく、アドラー先生と一緒に活動しだしたんですね。それで、ある日、ある精神科医アドラー先生に診て欲しいということで、統合失調症の少女のケースなんですが、その精神科医が娘のことを心配している両親の前で「彼らの娘のケースは望みがない」と言ったんです。それを聞いた、アドラー先生はすごく怒って、すぐにその精神科医に向かって「いいかい、聞きなさい。どうして我々にそんなことが言えるんだ? 実際に何が起こるかを我々がどうやって知ることができるっていうんだ!」と言ったんだそうです。その後少女がどうなったかはわかりませんが、少なくとも、それを聞いたご両親が勇気づけられたことはたしかだと思いました。またまたジーンと来ました。

 

次はですね、当時1931年の9月に、Oskar Spielを始めとするアドラー心理学を教育分野に普及させる活動の先頭に立っていた人たちが、ウィーンでアドラー心理学に基づく実験的な学校を始めたんです、当時の社会民主主義政府のバックアップもあって。貧しい地区にあるボロボロの校舎で、冬なのに暖房もないような教室で、がんばってやっていたんです。生徒たちは、ひもじくて寒くて震えながら学校に来るような状態でした。それでも国際的な注目は集めていました。生徒たちの協力する能力を高めるための工夫がたくさんなされていました。机は半円形に並べられてコミュニケーションしやすくなっていたし、壁にはカラフルな図形や、写真や、カリキュラムについての掲示などで彩られていました。特筆すべきは、生徒たちの成熟を促すための、新しい相互関係の仕組みです。日々のグループ学習プログラム、自治、グループディスカッション、個人指導、課外活動や小旅行を通じて共通体験をしていくことの5つがありました。とくにこの実験学校では、グループ学習が中心になっていました。それは、アドラー先生が、恐らく家庭では望ましい共同体感覚を育むことができていないだろう、それが、後の思春期や大人になってからの問題につながるんだと。もし、一人ひとりが、社会的なスキル、特に共感性と協力することを、学校教育を通じて身につけることができれば、それは社会全体にとってすごいベネフィットになるに違いないと見ていたからです。

 

それで、アドラー先生はアメリカでも教えたりドイツでもウィーンでも教えたりと、超忙しかったので、直接そのアドラー心理学実験学校に参画することはできなかったんですね。でも、ある春の日、アドラー先生はその学校にサプライズ訪問することにしたんです。アドラー先生は、高校生がアドラー先生の最近出版された本について活発にディスカッションする教室にそーっと気づかれずに入って、後ろの席に座ったんだそうです。ディスカッションのテーマは「人生の意味」でした。ディスカッションは時折教師にガイドされながら、こんな結論にたどり着きました。人生の意味は、お互いにケアし合うコミュニティ(ケアリング・コミュニティ)を築いていくことの中に見つけられるものだと。生徒たちの両親は経済的な貧困に喘いでいて、それで彼らの人生も厳しい状態にあったんですが、その彼らの目の中には希望があったんです。その結論が出たとき、アドラー先生は、目に見えてはっきりとわかるように動き出し、驚いている若者たちの前で、黙って彼らの教師を抱きしめたのでした。

 

泣いちゃいますね、ほんと、こういうアドラー先生とそのお弟子さんたちのあり方を知ると。だから、私たちアドレリアンは、そんなアドラー先生の遺志を受け継いできたアドレリアンは希望を捨ててはいけないんですね(誰も捨ててないと思いますが(笑))。学校の先生になろうなんて気持ちは1ミリも持ったことのなかった鍵野ですが、でも、先生方ってすごい力を持っているんだなとあらためて感心しました。アドラー心理学ベースの学校(アドラースクール)、日本にもあったらいいのに。いつかどこかでそんな活動とコラボできるような希望も持ちながら、まずは自分にできることをしていきたいと思っています。とりあえずカウンセリングと、自助グループのお手伝いかな。

 

読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。