アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

アドラー心理学は何をしようとしているのか

こんにちは、鍵野です。
今日は、(きっと)いい肉の日ですね。と、調べもせず書いてから検索すると…やっぱりでした。11月はいい日ばっかりですね(笑)。今夜は焼き肉かな。でも、やっぱり一人焼き肉ってのもねぇ…。ステーキだとね、これ、そもそもお一人様ずつなので違和感ないんですが、焼き肉とかバーベキューとかって、家族や友人と一緒に食べる前提がありますよね。我が家の子どもたちも焼き肉大好きでした。ホットプレートを出して、いつものリビングではなく汚れと匂いの処理がしやすい応接間で、みんなで食べたのは楽しい思い出です。鍋奉行ではないけれど、ある程度焼き始めてそろそろ食べれそうな状態になってから、リビングでゲームをしてたりスマホで遊んでたりする子どもたちを呼ぶというのが、流れになってました。このときばかりは、たぶん予め、友達とのパーティープレイではなく途中で切り上げやすい類のゲームを選んでくれてたのかな、呼んだらすぐに来てくれてましたね、娘も息子も。まだお子さんと一緒に暮らされているみなさま、どうぞその振り返ればきっと貴重な日々だったと気づかれるであろうステキな機会を楽しく過ごしてくださいね。

さて、アドラー心理学を学んで実践することで、それまでよりも家族と仲良く暮らせるようになるし、友人・知人、職場の人ともそれまでよりもうまくやっていけるようになりますが、それはなぜなのかについて考えてみたいと思います。まず、その、人と仲良かったり、うまくやっていけているときって、みなさんにとって、どんなときですか? 

例えば、「夏に家族で北海道に行ったんですよ、それでね、ラーメンとかジンギスカンとかアイスクリームとか、ほんと美味しかったなぁ。旭山動物園も面白かったし、また行きたいねって、子どもたちも夫も、言ってました」とか、「そうそう、この間ね、僕らのチームが社長賞もらったんですよ。10万円ですよ、すごいでしょ! 協力会社の人も誘ってみんなで焼き肉食べに行きましたけど。なんか、納品したシステムがうまく動かないってクレームがあったんですが、そのときの対応がすごくよかったって、すごくお客さんが喜んでくれたみたいで。それで新設する工場のシステムもうちにお願いしたいって大きな契約が取れたらしくて」とかって、楽しそうだし、嬉しいですよね、こういうのは。でも、こういう言わば非日常というか特別な嬉しいできごとがあるから、それで仲が良いとかうまくやってるということでもないと思うんですね。むしろですね、みなさんがわざわざ覚えていないような時間、お互いに普通に淡々と暮らしていけている時間が多い関係こそが、仲が良いとかうまくやっていけているということだと思うんです。朝、起きて「おはよう」と言ったら「おはよう」と返ってきて、「いってきます」と言ったら「いってらっしゃい」と返ってきて、「おはようございます」と言ったら「おはようございます」と返ってきて、「お先に失礼します」と言ったら「お疲れ様」と返ってきて、「ただいま」と言ったら「おかえりなさい」と返ってくる、そんな普通のやり取りに落ち着いた静かな喜びを感じるような関係こそが仲が良いとかうまくやってるということかなと考えます。それで、そういう穏やかな普通のことってみなさんあまり覚えてないんですよね。なぜかって言うと、危険じゃないから。生存の危機!とかっていう事態はよく覚えてるんですが、リラックスして過ごせているときって、わざわざ覚えておいて、なんとかしようってがんばる必要ないですものね。

アドラー心理学が何をしようとしているかというと、そのわざわざ覚えているような、生存の危機!というような事態を減らそうとしているんです。結果として、わざわざ覚えている楽しいことが増えることもあるかもしれませんが、そこは狙っていません。そもそも、アドラー心理学アドラー先生の臨床の現場から生まれました。そこには、困っている人が困っている話をしに来ます。もちろん、アドラー先生と親しくなった人が、嬉しい話もたくさんしてくれたかもしれませんが、それは困ってないし嬉しいことなんだから、わざわざアドラー心理学で分析する必要はないので、一緒に喜んでいればいいだけの話ですよね。アドラー心理学は、相談に来られた何かに困っている人が困らなくなるための心理学なので、困ったことを減らすことができます。困ったことが減ると人は幸せに向かうという理屈なんです。

医師でもあった野田先生が、病気は医者が治しているんじゃない、患者さんの自然治癒力が治しているんだとおっしゃってました。お医者さんはその自然治癒力がうまく働くようにサポートをしているだけだと。アドラー心理学カウンセリングもそうなんですよね、もともと相談に来られた方の心の回復力があるから効くんであって、その心の回復を妨げているものが何なのかをカウンセラーと相談者さんが一緒に考えることでその妨げている力を減らして、回復力がうまく働くようにするために使う松葉杖に過ぎないんですよね。自分で歩けるようになればいらないんです。そういえば、鍵野の目指すアドレリアン、知る人ぞ知るアンソニー・ブルック先生が、一緒に考える人(アドラー心理学カウンセラー)は、できるだけ早く相談者にとって余計な存在になることを目指すんだと書かれていましたっけ。

昨日、赤ちゃんが、隣にいるのにテレビか何かを観ていて自分の方を見てくれないお父さんの関心を引こうととして、袖をひっぱって振り向いたお父さんを満面の笑顔で悩殺しているという動画を観ました。赤ちゃんにとって親は生存に欠かせないな存在ですから、必死で注目を得ようとするのは生存本能だという解釈も可能ですが、赤ちゃんがもともと共同体感覚を持っていて、平等の位置で、大事なお父さんと一緒に時を過ごしたいと今持てるできるだけの力を使って行動している、結果としてお父さんも幸せそうだったし、それを撮影しているお母さんも顔は見えないけどとっても幸せそうな声で話されていたし、もともと人間の心には幸せになる力があるんだと考えてもいいのではないかなと思います。

読んでいただきありがとうございます。
みなさま今日もどうぞよい一日をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。