こんにちは、鍵野です。
今日は母から買い物に車を出すのを頼まれて、ちょっと出かけてきます。仕事の予定はあったんですが人と会うとかではないので、母からの依頼を優先します。生きてるうちにほんの少しでも恩返しをしないとですね。
仏教の教えからすると、一人ひとり別の心が生命として生きているので、我が子であろうと、まったくの別の生命であって、自分が生きるのも大変なのに、そんな別の生命をときに自分の命を顧みずに守って育ててくれる母というのは、他の存在とは比較しようもない恩があるのだと。ここからが、さらにハードな仏教の教えですが、たとえ生まれてから全然面倒をみてくれない、それどころか暴力、ネグレクトといった虐待を受けたのだ、と言っても、この世に生まれてくるまでお腹の中で育ててくれたでしょうと。そのおかげで今のあなたがあるんだと。「産んでくれと頼んだ覚えはない」というセリフもよく聞きますが、そもそも仏教では、あなたが生まれたかったから生まれたんでしょうと教わります。産みたくて産む、確実に産まれるなら、人工授精であんなに苦労することはないんです。
輪廻転生する心が次の生を始めるタイミングで自分の業に合った受精卵を自分の家にするんだと考えます。そんな勝手に生を始めた自分を守り育ててくれた母という存在をないがしろにすることは仏教徒にはあり得ないことなんです(してきましたけれども…)。もちろん、身体の遺伝子の半分をくれた父親についても、大恩人です。たとえ名前も顔も知らないとうような場合でも、その人のおかげで今の自分があるという事実は確かなんですよね。「生まれて来ない方がよかった」はあり得ないんです、だってあなたが選んで生まれてきたんだから、と仏教では考えます。
仏教では創造神もいないので、神様のせいにもできません。無始なる過去から輪廻転生を繰り返してきた心が、今、あなたとして眼、耳、鼻、舌、身、意という六根で世界を感じて生きているという、ただそれだけのことなんです。この一瞬一瞬老いて壊れていくこの身体がもう世界を感じる力を失ったとき、心があらたな身体を作って(天界とか邪鬼とか身体を持たない生命に転生することもあるわけですが)、また生き始めます。解脱に達しない限り、ずっとその繰り返しだと、苦から苦へ心がずっと回転し続けるのが輪廻転生なんですね。決して、今の幻想としての自分が生まれ変わるわけではありません。暗い教えだと思われる方もいるかもしれません。でも、だからこそ、生命は平等であり、苦から苦へ限りなく回転し続けるお互い様の命として、慈しむことができるんだと思っています。そして、そこに唯一の光がある気がしています。
あの人もこの人も苦しんでいます。大統領だろうがホームレスだろうが同じです。モデルだろうが女優だろうが歌手だろうがユーチューバーだろうが同じです。起業家だろうがサラリーマンだろうがニートだろうが同じです。みんなみんな苦しんで苦しんでつかのまの楽を得ようと何かに依存して生きています。美味しい料理も、食べ続ければやがて苦しくて食べられなくなります。どんなに美しい人もやがてはしわくちゃのおばあさん、おじいさんになります。無常という真理には誰も逆らえません。どんな生命も生まれて老いて病にかかって死にます。なのになぜ、わざわざ苦労してミサイルとか爆弾とか戦闘機とか戦車とかを作って殺し合う必要があるんでしょうか。遅かれ早かれみんな死にます。他に住むところはいくらでもあるでしょうに、わざわざ特定の土地を占拠するために、殺し合って、死んじゃったら住めないでしょうに。天国に住めるんだと若者を騙して爆弾を抱えさせるその人は天国に行ってみたことがあるんでしょうか。
アドラー心理学は人類の希望です。そんな苦から苦へ心を回転させながら生き続けている私たちが、仏教の教える解脱にまでは至らなくても、この俗世間で互いを助け合い慈しみ合える具体的な方法を示してくれています。奪い合うのではなく分かち合う世界、互いのストレンクスを提供し合って感謝し合って暮らす世界、競合するのではなく協力する世界、そんな世界であれば、ずいぶん過ごしやすくなると思います。鍵野は究極の救いはお釈迦さまの仏教にしかないと信じていますが、現代日本ではかなり難しくなっている出家をせずに仏道を歩むためにも、まずは家族や周りの人と仲良く心穏やかに暮らしていけるアドラー心理学を身につけるのが一番だと思ってもいます。そこにそもそも出世間を目指している仏教にはない俗世間で磨かれた知恵であるアドラー心理学の価値があると思っています。
まずはアドラー心理学、学んで損はありません。ぜひ、野田俊作顕彰財団か日本アドラー心理学会にアクセスして、あるいはそこで熱心に学んでいる人から話を聞いてみててください。生きるのが楽しくて楽しくてしょうがないと本気で思えている人には不要かもしれませんが…。でも、そういう人って本当にいるんですかね?
読んでいただきありがとうございます。
今日もどうぞよい一日を。
生きとし生けるものが幸せでありますように。