アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

不登校

<2023年11月21日wrote>
こんばんは、鍵野です。
突然ですが、みなさん、学校好きでしたか? 鍵野はですね…どうかなぁ…大学に8年も行ったし(笑)、おじさんになってからわざわざ大学院に3年行ったし、学校、嫌いと思っていたけれど、やっぱり、好きなのかもしれません。それで、「学校好きでしたか?」って質問として成立する感じなのが面白いですね。「先生好きでしたか?」と聞かれたら、あの先生は好きだったけど、この先生は嫌いだったとかって答えが、想定されるから、そもそもそういう総称的な質問が成り立たない感じがあるんだけど、「学校」っていうとなんか共通感覚的に成立するイメージがあるんでしょうね、そこにいる先生とも生徒ともあまり関係ない何かが。なんなんですかね、それって? 何か義務的なイメージなのかな、社会のイニシエーション的にくぐり抜けなければならない何かをイメージしてるのかもですね。
 それで、「不登校」、昔は「登校拒否」って言ってたと思うんですが、1991年から2021年の30年間で3.6倍に増えたというニュースを見ました。これ、子どもの数自体が減っていることを考えると、割合で言えば、きっと3倍どころじゃなく増えてるんだろうと思います。でも、これを大変だ!と思う必要もないかもしれなくて、昔はそれだけもっと無理して学校に行ってたのかもしれないし、見方によってはそれだけいい社会になったと考える人もいると思います。他に似たようなのがあるかなぁと考えてみたんですが、最近は結婚する人が減ったり晩婚化したりという話もよく聞きますが、これには「不結婚」、「結婚拒否」とは言いませんよね(笑)。他には…「徴兵拒否」ってのはありそうですね、制度があるところでは。やっぱり、そこにどれだけその社会の強制力が働いているかによるのかな、こういうのは。そうだ、「出社拒否」もありますね。
まぁ、よその子であればですね、「全然違うところで勉強を一生懸命する場所もあるので全然問題ない」とか「学校に行かなくても、お金を稼いだり、自分で勉強している人もいるので」というように街行く人たちが答えてましたが、それでも我が子がねぇ…「学校行かない!」とか言い出したら、同じように構えていられるかというと…なかなか根性がいりますよね、それは。正直、困りますよね、やっぱり。
それで、アドラー心理学で「不登校」について考えてみたいんですが、要するに嫌なんですよね、学校に行くのが。好きだったら行きますから。理由はいろいろあると思います。行きたいのになぜかお腹が痛くなって行けないというお子さんもいますけれど、アドラー心理学全体論と目的論から言えば、心と身体が協力してお腹が痛くなることで、学校に行かないという目的を達成していると考えます。ご家庭に、学校に行かなきゃ行かなきゃという価値観があると、「学校行きたくないから、行かない」と冷静には言えないし、言ったところで、みんなでなんとかその子を学校に行かせようとするので、それで、お腹が痛くなるとか、他、なんでもいいんですが、そのご家庭でその子が学校に行かなくても済むようになる現象が作り出されます。これ、お腹が痛いのが嘘と言っているのではなくて、本当に痛くて学校に行けなくなると言っています。学校に行かなくて良くなれば痛くなくなりますよね。だって必要なくなるから。「よくなったんなら途中からでも行ったら?」と言われるご家庭なら、下校時間近くまでときどき痛くなるかも。ということは、子どもが学校に行くのを親が本気であきらめさえすれば、少なくとも子どもの腹痛はなおります(笑)。なので、どうせ学校行かないのであれば、お子さんを責めずに、勉強は嫌いというわけじゃないのであれば、学校じゃないところで勉強してくれた方が、お腹が痛くて横になっているよりはいいなと、まぁこういう道もありそうです。これは、まぁ半分冗談ですが、学校より家にいる方がもっと嫌な状況になれば、まだ学校に行ったほうがましだとなって行くかもしれません。家が快適過ぎるのかも(笑)。
王道は、やっぱり親子で協力して問題解決ですよね。本人の希望と親の期待と社会の期待が折り合うところに目標を設定して、できることをしていくと。そのためには、まず、何のために学校に行くのか?という疑問に親がしっかり答えられる必要がありますね。もし、本当に学校に行かなくていいのであれば、そもそも不登校って問題は存在しないわけですし。ここからが、アドラー心理学の厳しい面ですが、社会で暮らさざるを得ない人は、社会に貢献する責任があるんですね。それで、その貢献する能力は自然に育っていくわけでもなくて、他の人から学ばないと育っていかないと。大昔であれば、学校に行かなくてもですね、周りの大人に混じって手伝いをしながら、田んぼとか畑でどう働けばいいのかを学んで生きていけました。現代社会では、やっぱり学校に行って学ぶ方が、まだコスパがいいんだと思います。いや、インターネットでも学べるし、フリースクールもあるし、本からも学べるし、学校になんて行かなくていい!という人もいると思います。実際、何が何でも学校ということではなくて、代替手段で単位認定してくれる方向ですよね、たしか。なので、この辺りですよね、自分の子どもが将来どうやってみんなの役に立って暮らしていくか、その力をつけるために、多くの人は学校に行ってもらうことに社会的合意が成り立っているんだということ、それでも、それ以外の手段もあるよと。そして、それぞれ、こういうメリットとデメリットがありそうだというところをですね、しっかり優しく冷静にお子さんと話し合った上で、お子さんに責任を持って選んでもらえれば、ちゃんと解決すると思います。それで、学校に行くのは何のためかと聞かれて「あなたのためよ」はやめましょうね。これを言ってしまうと「わたし(オレ)はこれでいい」に反論できません。それに、「あなたがいい学校に入っていい会社に入っていいお給料をもらっていいお嫁さんをもらって…」という、そんな利己的な目的のために学校があるのではありません。社会があなたのお子さんに将来たっぷり貢献してもらおうと思って、すごく期待しているから、学校なんて大変なシステムを大変なお金をかけて運営しているわけです。そんなみんなががんばって用意したシステムを利用しないという選択をしたのであれば、学校で学ぶよりももっともっとよく学んで、より一層社会に貢献できる大人になるという高い志をもってフリースクールとかに行って欲しいと思います。
かく言う鍵野も、今年、希望の国立大学に入学した息子に「入学おめでとう! 日本のみんなのおかげで国立大学で勉強できるのは本当にありがたいね。将来日本のみんなに恩返しできるようにしっかり勉強してください」と言いました。息子は「はい」と真っすぐ目を見て答えてくれました。理系なので、大学院修士まで6年間は勉強するつもりらしいです。勉強好きすぎて親父のように8年も行かないように頑張って欲しい(笑)。思い起こせば、息子が、中学一年のとき、将来の仕事について話しを聞きました。まだアドラー心理学に出会う前でしたが、これが良かったのだと思います。聞けば息子にはしっかりした将来の夢がありました。それからも、折に触れて、その仕事に就くためにどんなことを学ぶ必要があるかについて話し合い、必要と思われるアドバイスをしました。そして、高校も大学もその仕事に就くためにという視点から自分で選んで、必要なときに必要なだけ相談をしてくれて、入院生活が長い妹がいたので親父も病院にいることが多く、いつも一緒にいることはできなくて、半分以上一人暮らしの中三~高校生活をしっかりそのときそのときのライフタスクに取り組んで乗り越えて成長しながら進んでくれました。
ぜひ、みなさまもお子さんの将来の仕事について、優しく真剣にお話を聞いてあげてくださいね。もし、すぐにはお子さんが仕事のイメージができなくても、焦らず、何度でも折に触れて、史上最高の興味を持っているくらいの気持ちで聞いてあげてください。人は人に貢献して暮らすようにできていますから、そのうち必ず話してくれると思います。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。