アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

葛藤と葛藤感

こんにちは、鍵野です。
クリスマスケーキ、朝ごはん的に美味しくいただきました。
自分の小さい頃はバターケーキだった気がしますが、近ごろのは生クリームに大きなイチゴが載っていて(後載せタイプでした(笑))、ずいぶんリッチな感じがします。日持ちしないので、近所に住む母と伯母に食べてもらって、残りは夕飯として(笑)いただきます。そうそう、イチゴで思い出すエピソードがあって、娘が病気の関係でイチゴのタネを食べない方がいいということになっていたんですが、でもイチゴは大好きで、それを聞いた娘の親友のHちゃんが、給食でイチゴが出たときに、あの細かいタネを一つ一つかなりの時間をかけてきれいに取り除いてくれて、それで娘はみんなと一緒にイチゴを食べることができたんだって、とっても嬉しかったという話を娘から聞きました。本当にね、ありがたいなぁ、嬉しいなぁ、ステキだなぁと思いました。もともと人には共同体感覚があるって、本当に思います。子どもたちのステキな人を思いやる本来の力を邪魔しないで育んでいけたらいいですね。イチゴを食べるたびにHちゃんに感謝します。ありがとう!

 

さて、今日は。昨日参加した、アドラー心理学の達人であり、匠、名工、(必笑)仕事人の中島先生によるオープンカウンセリングでの学びを醸しながら、カウンセリングにまつわることを書いてみたいと思います。

 

鍵野は、人類学とか社会学には興味があったけれど、心理学って他人の心の中を知るための学問と思い込んでいて、それを知ってどうするの?と、まったく興味がわかなかったので(一般科目として講義を受けたことはあります。スキナーとかが出てきた気がしますが)、アドラー心理学以外は勉強したことがありません。それでも安部公房とかカフカとかにはまって文学部に入った感じもあって、その後アンドレ・ブルトンとか、なんだかんだとシュールレアリスム文学を読んだり、ガルシア・マルケスとか、もちろんドストエフスキーとか、ヴィクトール・フランクルも読んだし(この人はアドラー先生の生徒さんだったらしいけど)、そんな流れでアリス・ミラーとか、エーリッヒ・フロムとかも読んでたし、もちろんハリウッド映画も観ていたわけで、現代人のベースにはフロイト的なものが知らず知らずのうちに大いに流れ込んでいて、世の中や人々、そして自分の見方に大きな影響を与えていると思います。

 

それで、アドラー心理学がユニークなのは「心理学」なのに心の中のことはほとんど言わないことです。エゴも心の傷も葛藤自由自我領域もない(笑)。話題にするのは、個人という全体が、困った出来事に対して、どんなことを考えて、どんなことを感じて、どんな行動をしたのかということだけ。いやいやいや、そんなこと言っても「葛藤」はありますよ、あっちに行こうか、いやこっちに行こうか、悩む~(3月3日のオープンカウンセリング、どっちに行こうかって(笑))とか。

 

そういう場合、アドラー心理学では葛藤はないけど「葛藤感」はあるよねと言います(なんかずるい感じがするなぁ(笑))。無意識はないけど、「無意識的」はあるよねというのと同じですね。「抑圧」はないけど、「抑圧感」はあるとか、いくらでも言えそう(笑)。アドラー心理学では「葛藤」は個人と外の世界との間にあることになっています(野田先生の提唱された「絶対的全体論」からすると、その「葛藤」も個人からそう見えているだけで、個人を超えた全体から見れば、大きな流れの一部としての必然の出来事で葛藤ではないんだという見方ができますが、これは野田先生ご自身がおっしゃっていましたがアドラー心理学の異端説なので、ここでは深入りしません)。

 

なので、たとえ自分の中に「葛藤」があるように感じる「葛藤感」があったとしても、それは実際には外の世界との間で、他の人との対人関係の中で生じている問題があると捉えて、そこを解決できれば結果として「葛藤感」もなくなると考えます。例えば、学校に行きたいのに行けないというお子さんの「葛藤感」は、「葛藤感」をどうにかしようというのではなく、学校の他の児童・生徒との問題、学校の先生との問題、お母さんやお父さんとの問題、きょうだいとの問題などを解決すればいいんだと考えます。

 

これ、必ずしも学校に行く方向になるわけでもなく、「学校に行きなさい」というお母さんのプレッシャーはなくなったので、「葛藤感」はなくなったけど、相変わらず例えば、他の子に比べて算数ができなくて学校では居場所がない感じがするので、学校に行きたくないというのは変わらないから、学校には行かないままで、機嫌よく家で遊べるようにはなったということかもしれません。お母さんと家にいるともっと辛いから、やっぱり学校に行くという方向で「葛藤感」を解消するよりはよさそうですが(笑)。

 

さらにですね、これがアドラー心理学らしいなぁ、いいなぁと思うところなんですが、別に「葛藤感」なくさなくてもいいんですよね、そうしたければ。今は、「葛藤感」を抱えながら(楽しみながら)、いろいろあーだこーだと考えて、お試しもしてみたりして、時期が来るのを待つというのも、立派な行動ではあるんですよね、その人の選んだ。自分がそうしたくてしているということを知った上で、他人のせいにせず「葛藤感」を感じる状態をキープしているのであれば、強迫的にすぐ決断してしまうよりも(鍵野は本来このタイプだなぁ(笑))勇気ある行動かもしれませんし。

 

ということで、今はどちらかを選ばない状態を自分で選ぶという援助をするのも立派なアドラー心理学カウンセリングなんですね。クイズミリオネアのような「ファイナルアンサー?」っていうのはアドラー心理学ではない(笑)。タイムショック白い巨塔田宮二郎さん司会。古い!知らないかもねぇ若い人は)もない。カウンセラーとしては、迷い続けたければ迷ったいただいて一向にかまいませんという、クールさが必要ですね。でも、どうしても聞きたければ「おすすめ」はあるんですけどねぇ…「聞きます?」という暑苦しさ(笑)も少しはあっていい気がしますが。

 

ということで、3月3日のオープンカウンセリング、どっちに行こうかなと、まだ決めてない(決めずに待っていられているなんて、すごいぞ、自分(笑))のは、鍵野のライフスタイル的には成長なのかもなぁ…、もう少し待ってみよう(葛藤感とご一緒しよう)と思うのでした。でも、定員の締め切りが先に来て、あえて選ばないことで選ぶ(選ばされる?)というのは、本当、自分のライフスタイルに一文字も書いていない気がするから、そこまでは待てない気もします。それで満足できたら、別人だなぁ、もはや(笑)。


読んでいただきありがとうございます。
今日もどうぞよい一日をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。