<2023年11月22日wrote>
こんばんは、鍵野です。
11月も下旬ということで、年末が近づいてきました。冬もちょくちょく山越えの必要があるんですが、車検のついでにタイヤもスタッドレスにしたから大丈夫かな。
さて、今日はギャンブル依存について考えてみたいと思います。みなさんギャンブルって経験ありますか? 「今の夫(妻)との結婚は人生最大のギャンブルでした」とかいうのは除いてですね(笑)(当たりだったかどうかは聞かぬが花ということで)、いわゆるギャンブルをしたことって? いちばん身近に目にするのはパチンコですかね。競馬や競輪、競艇というのはれっきとした公営ギャンブルですが、宝くじとかサッカーくじは、どうなんだろう? 福祉車両とかを寄付するためにあえて買っているという人は少ないと思うので、ギャンブルと同じロジックなんだけど、宝くじ売り場に並んでいる人の中に、ギャンブル依存の方がいるというイメージはあまりないような気がしますが…。でも、たくさんのスクラッチカードをがんばって削ってたり、何か念じながらマークシートを塗りつぶしている人を見ると、ちょっとギャンブルの匂いもしますね、やっぱり(笑)。
かく言う鍵野もパチンコ、パチスロにはまっていた時期があります。大学生の頃ですね、あれは。高田馬場によく行くパチンコ屋さんがあったんですよ、大学に行ったついでに(どっちがついでだか(笑))、よく打ってました。特に、一発台という、あのご存知の方はご存知でしょうが、クルーンという機構があるんですが、いい感じでパチンコ玉がらせん状に回ってきて、それで、めったに入らないんですが、大当たりのところに入るとですね、もう打ち止め確定なんですね。それで、右打ち(おっと業界用語)をすれば、ジャラジャラとその機械の予定数終了(これを打ち止めと言う)まで玉が出続けます。パチスロだとパルサーだったかなぁ、なんかそんなのが好きで打ってましたね。あっ、こうして書いていると、そのときの快感が、何十年も前のことですからかなり薄れてはいますが、脳内で蘇るんですね、これが依存の正体かも(笑)。理屈で考えればですね、儲かるわけないんですよね、お店が儲かるから営業続けていけるわけで、でも、自分だけは(笑)と思っちゃうんですよね。それで、儲かったときのことしか覚えてないんですね、これが危険。たくさん負けて損してるはずなんですが、そこには注目しないで、きっと取り返せるなんて本気で思ってるんですよ、アホですよね~。なんでだろうなぁ、子どもとか家族の適切な面は忘れていて、自分にとって不都合な不適切な行動はよく覚えてるのにねぇ、「不適切な面に注目しない」というのはアドラー心理学の大事なポイントなんですが、ギャンブル中はできているのかなぁ(笑)。いやいや、やっぱり自分が負けている、損しているという事実に冷静に着目できるのが「適切な面に注目」ということなんでしょうね、そうではなく、絶対取り返せる、ここで連チャンして、それがずっと続いて…なぁんて、妄想するのは、やっぱりそれは「不適切な面に注目」ですよね。このとき、陰性感情大放出ですもんね。冷静に出来事を観察して、やめる勇気というか…(定期券持ってるから、駅まで歩いていけば帰れるし、小銭が無くなるまで勝負だ!って、逆転した試しはなかったし(笑)、あのときの500円があれば松屋で食べれたのに…とか、あったなぁ(笑))、自分を勇気づけたかったですね、負けを取り返そうと思わずあきらめる力、残金で美味しいものを食べる方を選べる力を認める自分でありたかったなぁ…。でも、アドラー心理学に出会うのはそれから何十年もしてからだから、しょうがないですかね。あれ、パチンコ台に向かっている人たち、みんな自分のライフスタイルでやってるはずですよね。それで、あれも対人関係の目的達成を目指しているはず、他のお客さんもいるし、店員さんもいるし、景品交換所の顔が見えない人もいるし(笑)、家族の顔が浮かばないわけでもないですしね。それで、負けると陰性感情が起きて、追加投資してがんばって打つ、それでようやく大当たりが来て、玉とかコインが出てくると、所属が達成できるのかな(笑)。そこでですね、もしタイムマシンで戻れるのなら、大学生の自分にエピソード分析を学んでもらってですね、大当たりを引き当てるという競合的な目標(勝って懲りなくてまた負けるんだし、そもそも自分にもよくない)を断念して、自分にも家族にもみんなにも(パチンコ屋さん除く(笑))ためになる協力的な目標(取り返すことはあきらめて牛丼を食べて満足して大人しく西武線に乗って帰る)に向かって、さらに千円を入れるというこれまでの行動の代わりに、トイレで手と顔を洗ってさっぱりしてわき目もふらず店を出るという代わりの行動をすることを選んで欲しいなぁと思います。
パチンコ屋さんの台の前に座ってエピソード分析をした人はいないかもしれないけれど、せめて、負けて呆然として、少し元気を取り戻した辺りで(あんまり取り戻し過ぎるとまた行きたくなるので、その前あたりで)やってみる価値はあると思います。パチンコに限らないんですが、理屈はシンプルで、自分でなった依存症なんだから自分でやめれるはずです。いろんな人に助けてもらう必要はあるかもしれませんが、最終的には本人が決断して行動を変えるしかないと思います。例えば、カウンセラーに手伝ってもらって事態を別の視点から見てみる、ギャンブルをしていることの本当の目的を分析してみる、ギャンブルに勝つためではなく、自分のためみんなのために今ここで使える、自分の力、ストレンクスを一緒に確認する。そのためには自分が困った状態にあることを認めないと、手助けを求めることができませんから、まずはそこからですよね。それには、同じ依存の悩みを抱える人たちと会って話して、互いに現状を否定せずに認め合うことからですね。全国に自助グループ(GA(Gamblers Anonymous))ありますよね。大分にもあります。気になる方は一度問い合わせてみてはいかがでしょうか?
何を隠そう(別に隠してませんが)、アドラー心理学の自助グループも結局は依存から脱却しようとしているんですね、何の依存からかというと、他の人と上下美醜優劣正誤などを決めようという、競合依存からです(これ上になる方だけでなく、下になる方も競合ですから、決めたいという意味で)。全人類が(悟りを開いた聖者を除く)程度の差こそあれ競合依存にかかっていますが、アドラー心理学を学ぶことで、少しでも協力的に暮らしていきましょうという人たちの集まりなんですね。
なので、
Aさん:昨日も、妻と競合してしまいました。
Bさん:私も、子どもと競合してしまいました。
Cさん:みんなね、するんですよ、私もここ長いですけど…職場でも家でも競合してますしね…
そうそう、鍵野がどうやってパチンコをやめられたかですが…結局、お金がなくなったのが大きいですね(笑)。それで、借金はしない!というライフスタイル?が救ってくれたのかもしれません。軍資金が底をついたのでですね。何でもそうでしょうが、やめてすぐが一番つらくて、だんだん楽になるので、気がついたらパチンコ屋さんの前を通っても、吸い込まれることはなくなって、タバコ臭くていやだなぁと思うくらいになりました(笑)。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。