アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

課題の分離はいらない?

<2023年10月14日wrote>
こんばんは、鍵野です。
さっきまで、日本アドラー心理学会総会学術集会2日目に参加していました。20時から、続きがあるのですが、それまでの間に、そこで気になったホットな話題について考えてみたいと思います。
アドラー本と言えば、まずはあのベストセラーの『嫌われる勇気』ですよね。鍵野も初めて読んだアドラー心理学の本はそれでした。そこで有名になったのが「課題の分離」という考え方です。これ、オリジナルはどこから来たのかというのを、今日ある方(Kさん)が、発表の中で明らかにされていました。
 ロジャース派のゴードン氏の親業で使われていた"Problem Owner"という考え方が最初だということでした。それをアドラー派のディンクメイヤー氏が、もちろんアドラー心理学的に読み替えてSTEPという子育て教育プログラムの中に入れたと。それをもとに野田先生がSMILEという子育て教育プログラムを開発し、いろいろ困ったことも起きたりして、他社の持ち物になったこともあり、パセージという新しい子育て教育プログラム開発に至り、じつはそんなにたくさんワードとして登場するわけではないのですが、「課題の分離」という考え方が紹介されたということでした。『嫌われる勇気』の「課題の分離」の元は野田先生と思います、クレジットはないけれども。
それで、その発表の中で、もう「課題の分離」はいらないという発言もあり、??そうなの??と、パセージと言えば「課題の分離」と思っている人も多いし(本当は、課題を分離した後、「共同の課題」にして一緒に取り組むということが大事で、ちゃんとパセージのコースはそうなっているんですが)、引っかかっていたんです、どういう意味だ?と。その後のシンポジウムで、精神科医のTさんが、質問者として出られて、流れの中で「課題の分離」の歴史的意味について、解説してくれたところで、そうなのかぁ…そうかもしれないとちょっと思えました。それは、パセージが開発された当初は、親も過干渉でスパルタ?だったし、学校でも熱血教師が多かったと。そういう状況では、いったん「課題の分離」をして頭を冷やしてから対応を考えるというのが必要だったんだけれども、今は、登校刺激をしないとかそういう方針になってきているし、子どもに熱く関わる感じでもないので、「課題の分離」を押し出すと、放置というかネグレクトになってしまうと。だから、エオレクトという「課題の分離」を言わないプログラムが必要なんではないかという話でした。
ちょっとエオレクトへの興味が増しましたね。でも体感&体験としては「課題の分離」は必要でしょ(こんな豪華な海鮮丼はいったん具をどかさないと食べれない)!と思っているので、本当にそれを言わないで済むような状況なのかなぁ? ついつい本来子どもの課題であるものを自分の課題であるかのように受け取って、先走って動いてしまうような親が本当に減っているのかなぁ? もう少しこの点に気をつけながら世の中の親子関係を観察してみようと思いました。
みなさんはどう思われますか?
若い子育て世代は、本当に過干渉よりも放置気味な人が多いんだろうか?
自分の親も過干渉だったし(今も(笑))、自分もパセージに出会う前は、過干渉だったので、なかなか信じられないんですね。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい週末をお過ごしください。