アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

共同体感覚を否定的に使う

<2023年10月13日wrote>
こんばんは、鍵野です。
今日は午後からずっとさっきまでオンラインで日本アドラー心理学会総会学術集会に参加していました。明日、明後日もあります。広島で開催されているのですが、自宅から移動なしで参加できるのはありがたいです。
新しい子育て学習プログラムEOLECT(エオレクト)に参加した方々が登壇するシンポジウムがあって、とても興味深かったです。これまでパセージも経験されたことのある方々のようでした。パセージでは直接語られない「共同体感覚」を、しっかり野田先生とは違う言葉で示した上で、その育成をストレートに目指しているプログラムのようです。もちろん受講してがっかりでしたという人が登壇するわけはないので、受けてよかったと、特に、宿題(子どもとのやり取り(マイナス感情ないものでもOK)を自分の感じたこと考えたこと含めて書いたもの)を提出すると、コメントがすぐ返ってくるし、メンバー同士でコメントもし合えるという点が、みんなで一緒に手をつなぎながらアドラー心理学を学ぶ道を登っていける感じがしていいようです。
 鍵野はもう子育てを卒業してしまったし、自慢ではないですが(自慢してますが(笑))、息子にはなんにも言うことはないというか、パセージのおかげで本当に立派に育ってくれたので…エオレクトを受講してみる必要がないのがちょっと残念ではあります(自分ごとで受講できるなら一度やってみたかったなぁ)。
で、そのアドラー心理学が目指す共同体感覚なんですが…ちょっとそういう目指すとかとは違う視点をご紹介したいと思います。といっても、これも野田先生が残された昔の講座から教わったことなんです。それは、共同体感覚を否定的に使うということです。
具体例で説明すると、実際これはうちの息子の例なんですが、私の住んでいる大分県佐伯市の小中学校では「ノーゲームデイ」というのが木曜日だったかに設定されていて、その日はゲームとか(スマホもかな?)ではなく、家族で話すとかそういう日にしましょうというPTAのキャンペーンがありました(今もあるかも)。当時、中学生の息子と「どうする?」と相談して、「いいでしょ、べつに」と息子。「そうだね」と私。無視しました(笑)。というのも、我が家では、ゲームに関してはいろんなルールを試して(アドラー初心者の当時の私は話し合いと称する押し付けで勝手に自分のルールを押し付けて息子を泣かしていました)、食事中と他の人と話しているときはしないということだけ決めて、後はいつやろうが、いつまでやろうが息子に任すことになっていたからです(ちなみに、息子は中1の頃からゲームを作る監督になるという夢があって、その夢は変わらず、現役で希望の国立大学に入って、しっかりプログラミングの基礎から勉強しています。ゲームを作る人になるのに大学院までいく時代のようです(笑))。PTAで他の家庭の親御さんの話を聞くと、「全然言うことを聞かないのでルールを決めてくれて助かる」という方もいて(私の価値観からするとちょと悲しくなってしまうのですが)、そうかぁ役に立っている面もあるんだなぁとも思いました。
さぁここで、お待たせしました、共同体感覚の出番です! ただし、これ、「みんなのために私に何ができるだろう?」の視点ではなく、否定的に使う場面としてですね、「これをすることは、みんなの迷惑になることなのだろうか?」という使い方です。その視点からすると、佐伯市ではしないことになっている木曜日に、うちの息子だけがゲームをすることが、みんなの迷惑になるのか? ということを考えるのですが、これ、息子が他の同じ佐伯市の子とオンラインでつながってゲームをすれば、迷惑をかける面があるかもしれません、道連れにする的な。でも、それはしないんです、息子は。絶対嘘はつかない人なので、友達からもし聞かれたら正直に答えるとは思いますが、自分からゲームをしていることを言うような人ではありません。みなさん、どう思われますか? これ、とっても大事な視点だと思うんです。私の経験では、日本は、何か、社会的に是とされる価値観があって、マスコミの煽りもあってそれへの同調圧力が強いときに、それに反する人をつるし上げるのが得意な社会である気がしています。今では大丈夫ですが、ちょっと前だったらマスクをしない人が、「マスクをしろ!」と危ない目に会うという話もありましたね。
これ、立場的に人に何かを強要できるかもしれないところに身を置く人にとっては、とても気をつけなければならないポイントだと思います。正義を振りかざすのは簡単ですが、待てよ、この人のやろうとしていることは、たしかに、世間常識的には少しズレてるかもだけど、共同体感覚に反している、共同体を壊すような、あえてやめさせなければならないほどのことなのかって、慎重に判断しないとファシズムへの道はすぐそこにある気がするんですよね…、アドラー心理学カウンセラーという相談に来られた方に何かを教えてしまう仕事をしている自分も本当に危ないので、自戒を込めつつ。
読んでいただきありがとうございます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。