アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

自助グループと共同体感覚

<2023年11月17日wrote>
こんにちは、鍵野です。
 昨日は、久しぶりに、鍵野が一番古くからお世話になっている福岡の自助グループに参加してきました。野田先生が、アドラー心理学は本では学べない講座だけでも学べない、自助グループに参加して実践しないととおっしゃっていたからという理由で、当時、みなさんお母さん方のグループに、おじさん一人だったけど参加をお願いしたら、快く受け入れてもらえました。それ以来、お世話になっている大事な自助グループです。途中、カウンセラー試験合格を目指して「エピソード分析」の習得に専念していたため、ご無沙汰していた時期はあったのですが、やっぱりいいですね、昔からの仲間とお話しするのは。みなさんと話していて、自分でもずいぶん変わったなぁと思うところもあり、いろいろと気づきがありました。そして、一番嬉しかったのが、このベテランアドレリアンのみなさんを、真摯にアドラー心理学を学ばれているある方に知ってもらえたことです。アドラー心理学実践者にもいろんな人、雰囲気の全然違う人がいることを知って欲しかったので、その辺り、後でお話したら、かなり実感されたようだったので、本当によかったと思いました。そういえば、この自助グループのお世話役さんもアドラー心理学の大先輩なのですが、カウンセラーでも先輩で、私の目の前で「エピソード分析」のカウンセリングで見事合格されたのでした。
さて、その昨日の自助グループでも話題になったのですが「共同体感覚」について、また少し考えてみたいと思います。まず、共同体感覚って何だろうってことが気になるんですが、いろんな人がいろんな定義をしているようですが、アドラー心理学辞書としてよく使われている"The Lexicon of Adlerian Psychokogy"では、"COMMUNITY FEELING/SOCIAL FEELING/SOCIAL INEREST"として定義されていますが、結局一言では言えないらしく、説明的で長い… 一番コンパクトな文を取り出すと、"It is a fundamental sense of being one amongst the ohers as a fellow being."です。訳せば「同胞である他の人たちの中の一人であるという基本的な感覚」というところですかね。アドラー先生は、共同体感覚は意識して育成しなければならない生まれつきの可能性であるともおっしゃいました。また、共同体感覚が欠けると劣等感が増大して、個人は神経症者や犯罪者になったりするし、グループや国家は自己破壊に至るというようなことも書かれています。可能性としてあるけど育成しなきゃだし、(育成しないと)欠けちゃうこともあるということですかね、共同体感覚は。それで、いつだったか、仲間の範囲というような話で書いたことでもあるんですが、こういう場合は共同体感覚あるんですかね?
A:あいつらムカつくよなぁ…ほんと、消えて欲しい。
B:まったくだぜ。この前もさぁ…許せねぇよ!
C:ホントに? ひでぇなぁ… そんなの聞いたらさぁ、我慢できねぇよ、オレ! こんど、やっちゃおうぜ!
って、盛り上がっているこのAさん、Bさん、Cさんには共同体感覚があるのか?
どうやら、互いに思いやってはいるようなんですよね。CさんなんてBさんを思いやるあまりのセリフという気がしますしね。でも、「あいつら」と言われている人たちのことは仲間とは思ってないみたい。このまま「あいつら」を懲らしめようとする「この人ら」は、上のアドラー先生が言っているように「グループ…自己破壊に」という道に進んでいくような気がしなくもありません。聖地奪還というそれぞれにとって神聖な?目的のために、ロケット砲だのマシンガンだのをぶっ放す人たちも似たようなものという気がします。やっぱり敵を想定して初めて規定されるような結びつきに「共同体感覚」という語は似つかわしくないと思います。より大きな共同体のことを思う可能性を含んで使われる語としておいた方がいいかなと。
もうちょっとマイルドな事例でも、プロ野球の巨人対阪神、サッカーの日本対韓国とか、(野田俊作顕彰財団対日本アドラー心理学会…おっと完全な失言ですね、これは(笑)。勝ち負けを争っているわけじゃないし互いにアドラー心理学の普及を目指して、それぞれの強みを活かしながら協力できる関係ですもんね。すみませんでした、お許しを。)それぞれを応援している人同士に共同体感覚はあるのか? そんな野暮なこと言いないなと言われそうですが(笑)。
学問でありながら、なんですが、こればっかりはやっぱり定義をどう厳密にしたところで解決しないですよね。「愛」とはなんぞや?とかと同じようなもので、わかる人にはわかる、感じられる人には感じられるもので、体験するしかないことだと… それで、てっとり早く「共同体感覚」を体験するには、「共同体感覚」を発揮してしまう人=アドレリアンに会うことなんですね。本は人じゃないからダメですが、講座なら、アドレリアンが講師なら、体験できるでしょうし、アドレリアンカウンセラーのアドラー心理学カウンセリングを受ければ(アドレリアンじゃないカウンセラーの「アドラー心理学」カウンセリングがあるのか?…恐ろしいことにあるかもしれないんですよ、オカルトチックだけども(笑))濃密に体験するでしょうし、でも、安くて早くて確実なのが、野田俊作顕彰財団か日本アドラー心理学会の会員さんがお世話役をしている自助グループに参加してみることです。
昨日、初めて鍵野の古巣の自助グループに参加された方も、しっかりその辺りを感じ取られたようでした。本当によかった! みなさまもぜひお近くのアドラー心理学自助グループに参加されてみてはいかがでしょうか、かけがえのない体験ができるかもしれません。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい週末をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。