アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

知識が行動を変える

こんばんは、鍵野です。

これまで特に不満はなく(電子ロックじゃなくて、いちいち後ろのドアのロックを外すのだけは面倒と思っていますが)、もう17万キロ超えのミラに乗っているんですが、最近、どこかで読んだ記事で「軽自動車には、リアバンパーレインフォースメントが付いていない」という情報があって、「リアバンパーレインフォースメント」というのは衝突対応部品のことで、後ろから追突されたようなときに、真後ろからではなく、右にずれていても左にずれていても、左右のフレームで受け止められるようにする補強材のことのようです。これ、普通自動車にはみんなついているらしいんですが、軽ではないんだとか。重くなるしコストアップになるからですかね。軽でもフロントにはついているものが増えているらしいですが。


今乗っているミラですが、そういえば、納車されて次の日くらいに後ろから追突されたのでした。まぁ、クラッチの加減に不慣れだったせいで、信号が青になっての発進でエンストして、後ろの車は、こちらがもう先にいるものと思い込んでぶつかってきたので、こちらのせいでもあるんですが、事故処理上は100%向こう側の過失となりました。フレームがどうこうというレベルでは全然なかったのですが、いつなんどき追突事故があるかわかりませんし、少し心配になってきました。


知識が行動を変えることを私たちはたくさん経験しています。納豆が身体にいいとテレビで放送されると、翌日のスーパーで納豆が売り切れるとか。懐かしいところでは紅茶キノコとか。マスクが飛沫を抑えて感染予防の効果があるとか。マスクのせいで酸素飽和度が下がるとかえって感染するんだとか。正しい知識ならいいんですが、絶対に正しい知識なんてものは、お釈迦さまのおっしゃった「無常、苦、無我」といった真理を除いては存在しないので、前提条件を吟味して判断しないと危ないです。ある人にとってよかったことが他の人にとっていいとは限りませんし。


で、自動車の話に戻りますが、やっぱり普通車に戻ろうかなぁと考え始めています。週に一回、せめてもの親孝行ということで、母の買い物の運転手をするんですが、自分はまぁいいとしても、自動車がもう少し頑丈なら母が助かったのに…なぁんて事態は避けたいなぁと。


とはいえ、そもそも自動車に乗らなければ車対車の事故には合わなくて済むわけで、リスクと便益とを天秤にかけて(リスクを下げればコストが上がって便益が下がるし)、対応可能なコストの範囲でベターな解をみつけるんでしょうね。そもそも、全部、宅配とかで済ましてもらえれば買い物に行かなくてもいいんだけど、買い物って、それ自体が楽しみでもあるでしょうし、週に一度の息子との数時間の買い物ドライブは、それはそれで、こちらも何かさせてもらっているという貢献感も得られるし、気の利いた会話をするわけでもないけれど、母もコミュニケーションの時間として大事にしているかもしれないですしね。


前乗ってた車、真っ赤なアルファロメオGTVは、3リッターV6のトルクフルで伸びのあるエンジンが楽しくて、その音も等長マフラーに変えてさらに官能的に響いて、それはそれはいい車だったし、娘には大好評だったんですけど、目立ちたくなかったお年頃だったのか息子には不評で、それで田舎の細い道にぴったりの地味だけどシュッとした車(と思ってます(笑))に変えたのでした。乗せる人がいなかったら、いい歳して昔憧れたレプリカタイプのスポーツバイクにしてたかもしれません、皮のつなぎを着たりして(笑)。


後ろにも人を乗せられる普通車で、マニュアルシフトで、燃費のいい車がいいのですが… となるとやっぱりスイフトかなぁ…。マツダの小さいディーゼルエンジン車も、ディーゼル車を運転したことがないからちょっと気になるんですが、煤がたまるという話も聞いてるし、まぁ、クリーニングしてもらえばいいんでしょうけれど。


と、なんか目的が違ってきてるんじゃない?と、物欲を野放しにする方向にいきそうなのに理性が警告信号を出してくれているので、車の話はこの辺にして、少なくとも次の車検を通すことはしないなぁとは決めた感じがします。


で、アドラー心理学の話ですが、アドラー心理学のカウンセリングは教育モデルなんですね。治療モデルではないんです、悪いのを治すというような。それまで知らなかったことをカウンセリングの中で知ってもらうことで行動が変わって、結果として人生がこれまでよりも幸せな方に変わることを目指しています。なので、カウンセリングでは知識を提供します。場合によっては、ほとんどレクチャーだけで終わる回もあったりします。野田俊作顕彰財団(AIJ)とか日本アドラー心理学会の基礎講座を受講してもらえばいい話なのですが、全国どこでもやっているわけではないし、いつでもやっているわけではないし、結構な費用もかかりますし、だったら、必要なことはここでお伝えしましょうとなることがあるわけです。


そこまであからさまにレクチャーではなくても、必ず毎回何かを学んでいただきます。最初お話を聞いて、相談者さんが何に困ってらっしゃるのかがわかってきたら、この回のカウンセリングで学んでもらいたいこと持って帰ってもらいたいことが実現できるようにカウンセリングを組み立てます。カウンセリングの最後で「今回のカウンセリングでどんなことを学ばれましたか?」という定番の質問は、そこがうまくいったかどうかを確認している意味もあります。もっとも、最近、N先生に学んで、あまりそのセリフそのままは使わなくなりました。学んで欲しいのはやまやまなんですが、「当然、学んでくれましたよね?」というように押し付け気味に伝わったらよくないので(笑)。なんかその場その場の感じに任せてのセリフですが、「最後に全体を通して何か感想とかあったら教えてください」とか、そんな聞き方をしている気がします。


どうやら、鍵野は、人が本気で学べてよかったと思えたことを学ぶことに貢献できたと思えたときに、「生きていてよかった」と感じるようです。それで、その学べてよかったと思ってくれる「人」は、たった一人でも十分なんですよね。だから、カウンセリングとか少人数の学びが好きなんだなぁ、東京ドームを満員に(笑)とかはなくて(稙田公民館の研修室でもガラガラですから(笑))、せいぜい3、4人の方と学び合えたら十分なのかもしれない。


そんなことを続けながら、もちろん仏道修行の方を優先して続けながら、今生が尽きる日がいつ来るのか(この後すぐかもしれないし、明日か明後日か、十年後か…)わかりませんが、いつ来てもいいように、執着を少しでも減らしながら暮らしていきたいと願っています。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。