アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

私はいるのか?

こんばんは、鍵野です。
今日は雨模様だった昨日とは打って変わって、空気が乾いていて、気温は高くなく、家の中にいるとちょっとひんやりするくらいですが、とてもさわやかに感じられます。


天気が変わるだけで心も身体もすぐに変わるのが実感されて、環境との相互作用で生きているんだなぁ、無常って本当だなぁと思います。


生まれてから死ぬまで、一瞬も止まることなく変わり続ける心と身体で生き続けながら、しかも、「私」という変わらない自分がいると信じ続けているというのは不思議なことですね。


母親から見た自分は、その胸に抱いた乳飲み子でもあり、病院に連れて行って心配したこともある小さな男の子でもあり、田舎の人でも知っている大学に合格したと聞いては自分のこと以上に大喜びした大学生でもあり、有名大企業に転職した、結婚した、子どもが生まれたと聞いては喜んだ青年でもあり…、目の前の50過ぎのおじさんである自分に、過去の思い出を重ね重ねて、同じ我が子として、自分のことは置いておいて真っ先に気にかけて続けてくれているのは、本当にありがたいことで、感謝のしようもないのですが、しかし、本当は…、赤ん坊の私と今の私はまったくの別人なんですよね。


これは母にしてもそうなわけで、元気で仕事をして家事もしてがんばって子育てしてきた若くて強い母親が、目の前の、ますます元気で賑やかで近所の人と大声で明るくしゃべっているのは変わらないけれど、自分よりも小さい、皺くちゃのおばあちゃんに変わっているという事実はあまり見えてないというか、見ないようにしているというか…、同じ人と思いたいんですかね、やっぱり。


細胞はどんどん入れ替わっているし、たとえ生き続けている細胞があったとしても、その構成要素を分子レベルでみれば、生まれてきたときに持ってたものは何も残っちゃいないはずです。DNAという鋳型にそって、似たような形を維持してはいるものの、それこそ量子レベルで見たら、いるともいないとも言えないような、波のような、そんな存在が、ずっと「私」という幻影を確信し続けているということが、恐ろしいというか、アホらしいというか(笑)。


まぁ、例えば借金をして、返せません、となって、で、借金をしたのは今の自分じゃありません、なぁんて開き直りはされても困るし、通用しないわけですが、本当はそうなんですよね。「ご利用は計画的に」という有名なキャッチがありますが、計画的に利用できる人なら、そもそも利用しないでしょうに、そういうお金は(笑)。


ある人がある人と時空を超えて同じ人だと同定できなければ困るんですよね、世の中的に。これは人間の世界だけの話ではなくて、例えばのら猫の世界でも、お母さん猫が子猫にえさを運んでくるときに、その子猫が我が子だと思い続けていられるからお世話を続けているわけで、そこの確信がなかったら、わざわざそんな苦労はしませんよね。


そうそう、そういえば、我が家の玄関に2日連続で、どうやら猫ちゃんのプレゼントらしき、獲物(息絶えている)が置いてあったんです。最初はなんかのいたずらか?と思ったりしましたが、わざわざそんなことをする人はいそうにないし、それで、そうか! どこかの猫ちゃんが見せに来たのか、プレゼントをしてくれたに違いないと思いました。とはいえ、近頃特定の猫に親切にした記憶もなく、もしかしたら、やたらと親切な母の家がここだと勘違いして(草取りをしてくれたり、家の周りによくいるから匂いが残っているとか)、恩返しに来たのかなぁなんて(笑)。あるいは、どこかで縁のあった人とか生き物が猫に生まれ変わって遊びに来てくれたのかなぁとか。ひょっとしたら、なんかの勘違いで鍵野が子猫に思えたのかもしれませんね(笑)。まぁ、いずれにしろ、せっかくですが鍵野の食の好みには合わないので(笑)、気持ちだけいただいて、カラスとかトンビとかにでもお布施しようということで、別のところに移動だけしておきました(笑)。さっき確認したら、誰かが仕事をしてくれたようで、きれいになくなっていました。


それで、ようやく本題ですが、アドラー心理学で考えると、その人がその人らしいのはその人のライフスタイルが変わらないからなんですよね。ここでいうライフスタイルは日常用語としてのライフスタイルではなく、アドラー心理学用語のライフスタイルで、その人の人生法則、人生の論理、その人の人生の文体、というような意味です。


アドラー心理学のカウンセリングでは、最近の気になったできごと(エピソード)について話をしてもらって、協力してもらいながら一緒にそのできごとを分析(エピソード分析)をします。


その人にとってよくないことが起きて(ライフタスク)、怒り、イライラ、悲しみ、不安、後悔などの陰性感情(劣等感)を生み出してエネルギーをチャージしてから、そのよくないことをその人にとってのよいことに変えたいと無意識的に狙いを定めて(優越目標)、愛用の方法で行動した(対処行動)んですが、相談に来られているということは、その狙いは実現しなかったわけです。


そこにライフスタイルが表れている…というか、ライフスタイルに従って行動しているというか…、できごとが起きてそれをよいとかよくないとか判断するのもライフスタイルだし、こういうときはこうすればきっとうまくいくはずだと決めつけているある方法もライフスタイルだし、こうあるべきという目指している目標もライフスタイルです。これはいかん、本当はこうあるべきだ、だからこうしようという、個々のできごとの私的論理の元になっている根本論理がその人のライフスタイルということになります。


こういうとき、この人いつもこうするよね、というのがライフスタイルで、それが変わらないから、その人はその人だとわかるという。しかも本人は、無意識的にいつもそうしているので、本人だけが気づいていないという(笑)。


誰でもわかるんなら、誰でもアドラー心理学のカウンセラーになれそうなものですが(笑)、わかったことを、上手に本人と周りの人が今よりも幸せに向かうために使えるかどうかというところが難しいわけです。知らぬが仏とも言いますが、わかってもらわない方がいいことも大いにあるわけで、カウンセラーになろうという人は自分のライフスタイルの目標追及のために相談者さんを使わないためにも、知っているべきとは思いますが、万人が自分のライフスタイルを知った方がいいわけではありません。


それでやっぱり、ライフスタイルを知ってもらうことにしたとして、それを言葉にして、タイミングを見計らって、慎重に伝える、のはそう簡単にできることではないんですね。公式にはカウンセラーの次の資格である心理療法士という最高峰の資格があって、それを持っている方はそれができるからその資格を得ているわけです。なんでも、カウンセラーになってから十年はかかるとか…


心理療法士さんだけがライフスタイル分析をするということになると、できるのは日本に数人だけということになってしまいますから、そりゃぁねぇ… 需要に対して供給が追い付かないと思うわけで、できる範囲で取り組める人は取り組んでいると思います。もちろん慎重さは大事だと思いますし、できる限り心理療法士さんにスーパーバイズしてもらうべきとは思います。鍵野も今後、もし本格的なライフスタイル分析が必要なことがあれば、相談者さんの許可を得て、先生方のどなたかにお願いしてスーパーバイズしてもらいながら進めたいと思っています。なかなかそういうことはなさそうではありますが(笑)。


それで、いきなりですが、仏教とアドラー心理学を結び付けての鍵野の今の段階の結論としてはですね、お釈迦さまの教えから考えれば、本当は瞬間瞬間別人なんだけど、でも、妄想というか思考をライフスタイルに沿ってグルグル回転させて、「私」という個人を瞬間瞬間再構築している存在が「私」なんだと思っています。


それを覚った人以外の全人類がやり続けているので、あの人はあの人として、この人はこの人としてのコミュニケーションが成立しているんだなぁと。


で、アドラー心理学カウンセリングが何をやっているかというと、相談に来られた方を覚らせようとしているわけでは決してなく(笑)、相談に来られた方のライフスタイルが、周りの人のライフスタイルとぶつかる場面をできるだけ減らせるように、できれば互いのライフスタイルの目標追及をちょっと緩めるというか、できたら一瞬忘れてもらって、それでも発揮してしまうその人の築き上げてきた力を、自分も含めたみんなの幸せのために使えるようにしてもらおうとしています。


でも、所詮はライフスタイルというのは思考妄想に過ぎなくて、本当は、一瞬一瞬生滅を繰り返している心が、そうしたければライフスタイルに過去に囚われることなく、なんだってそのときできることはできるはずなのになぁ…とは思っています。


全人類が執着ではなく慈しみで、目標追及ではなく平等の位置で行動できたら、俗世間もいっぺんに住み心地がよくなるでしょうね。まずは自分からですが。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞ引き続きよいゴールデンウイークをお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。