アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

私的感覚って

こんばんは、鍵野です。
明日から楽しみにしている野田俊作顕彰財団(AIJ)のかささぎ座(心理劇)ワークショップが始まります。遠足前日の小学生というほどではありませんが、いつもの旅行カバンに着替えだのカフェインレスコーヒー(笑)だのを詰めて、そうそう瞑想用の座布も忘れずに、準備万端整いました。始発で出れば午後の開始にしっかり間に合います。午後スタートがありがたくて、前泊しないで済むので助かります。


そして、今日も祝日にもかかわらず、カウンセリングのお客様が遠方からいらしてくれて本当にありがたいことだなぁと思いました。こちらがしばらく旅に出る(おおげさ(笑))事情もあり、諸事情ある中、がんばって来てくださって、その苦労に見合うだけのものは返せたと思いたいですね…まぁ、精一杯、相談者さんも自分も持てるだけの力は出し合って協力しながら、アドラー心理学で考えられるだけのことは考えて、感じて、共同体感覚の方に、平等の位置の方に一歩踏み出す勇気と具体策を持ち帰られたようではありました。


それで、今日は私的感覚について考えてみたいと思います。「私的感覚」このブログでも何度も出てきているキーワードだと思いますが、何かできごとが起きたときに、それがよいとかよくないとか判断するその人独自の私的な価値観のことです。必ず、このできごとがよいと判断するプラスの方の価値観と、このできごとはよくないと判断するマイナスの方の価値観が裏表の対でセットになっています。


例えば、子どもの部屋が散らかっていてそれを見てイラっとしたお母さんは、なんでイラっとしたかというと、「出しっぱなし」はよくないという私的感覚のマイナス側の価値観に、その子どもの部屋の状態が抵触した、ビリビリっと価値観のセンサーに触れたからですね。それで、その「出しっぱなし」の反対側、プラス側は何かというといろいろ質問したらわかってくるんですが、「決まったところに収まる」だったりします。


それでも、これは一つの例に過ぎなくて、子どもの部屋が散らかっていてそれを見てイラっとしたお母さんの私的感覚は、子どもの部屋を見てイラっとしたのは同じでも、お母さんによって、大きく違ったり微妙に違ったりします。例えば「だらしながない」のはよくない、「きちんとしている」のがよいとか、「責任を取らない」のはよくない、「責任を引き受ける」のがよい、とか、他にもたくさん考えられると思います。


それで、細かいこと言わないで、まぁ、そりゃぁ散らかってるのはダメでしょう、とおおざっぱに考えるのはアドラー心理学ではありません。


この私的感覚がキーなんですね、そこが一人ひとり違うということに注目する。それで、その違いには優劣はなくて、ただ違うだけだ。ほとんど好みの問題ですよね。カウンセラーがその人の私的感覚をわかったとき相談者さんは、この人わかってくれたと思ってくれる(笑)。


だけど、散らかってるのはダメでしょと思いますよね? そこが、「共通感覚」というやつです。一人ひとり違うんだけど似ているというか共通項として括り出せる部分というか多数決というか、そういうのはあるでしょうと。


日本人は、勤勉であるべきとか、正直であるべきとか、親切であるべきとか、そういう「共通感覚」が今でも多くの人に残っているとは思います。アメリカでは公正であるべきとか、責任を持つべきとか、お金を稼ぐのがよいこととか、そういうのがありそうですし、中国なんかでは、親類縁者を大切にすべきとか、騙されないようにすべきとか、そういうのがありそうに思います。


で、その「共通感覚」と「私的感覚」のズレが大きいと、要は、マジョリティの意見とその人の意見がぶつかることが多くなるので、ちょっと不便なこともありそうに思います。が、違うからこそ、その違いから世の中の役に立つ仕事をする人も出てくるわけで、「共通感覚」に合わせるべきという主張はないんです、アドラー心理学には。ただ、そのズレを知った上で行動した方がいいよね、責任取って行動できるよね、だから子どもに世の中の「共通感覚」は知っておいてもらう方がいいし、それを伝えるのは親や教師の責務だとは思っています。知った上で、オレは(わたしは)あっちに行くんだ!というのであれば、それはどうぞがんばってくださいね、ぜひ、その方向でみんなの役に立ってくださいねというのがアドラー心理学の考え方ですね。


で、「散らかっている」に戻って、もっと真剣に見てみると、実は、「散らかっている」というのは意見に過ぎないんですね。そのお母さんにとっては「散らかっている」ように見えるけれども、ひょっとしたら、ある意図があって、お子さんが、ものをその配置にしているのかもしれない。理由は聞かなきゃわからないけど、カウンセリングをしていて、結構こういうケースはあるんです。ある人にとって散らかっている、ひどい状態、と見えるものが、それをしている本人は、それが仕事をしやすい配置だったりとかですね。ホントです。わざわざそうしてたのに、なんで片づけちゃうの!って、怒りたくなる…怒りますよね。

子ども:あそこに置いておいたあれは?
お母さん:捨てたわよ! いらないから出しっぱなしにしてたんでしょ
子ども:違うよ、後で使おうと思ってあそこに置いてたのに。ウェーン
お母さん:お母さんは知りません! あんたがちゃんと片づけないから悪いんででしょ!
子ども:ウェーン、お母さんなんて大っ嫌い!
お母さん:なんてこと言うのよ。お母さんだって、そんな言うこと聞かない子は嫌いです!
子ども:ウェーン、あっち行け!


最近、反抗期なんですかね、うちの子言うこと聞かなくて… 前はあんなじゃなかったんですけどね。部屋も散らかし放題で。

なぁんて相談に来られてもねぇ(笑)。まぁ相談に来られるだけいいわけですが。


とかく、人は決めつけて生きています。かく言う鍵野もそうです。何か決めないことにはご飯もおちおち食べられないですもんね。納豆にしようか、鮭にしようか、それが問題だ…なぁんてほどは悩みはしませんが、でも、すべての行動にその人の価値観による決めつけが作用しています。


でも、それはお互いさまなので、これはまずかった、相手を傷つけてしまった、相手には都合が悪かったようだ、と気づけば、話し合って、決め直せばいいわけです。


お母さん:今日はカレーよ
子ども:え? 給食もカレーだったよ。見てないの、献立表?
お母さん:あっそうだったの。あんたカレー好きだから喜ぶと思ったんだけど…
子ども:うん…まぁ、お母さんのはまた違うから、いいけどさぁ
お母さん:そうだ、冷凍のコロッケもあるし、揚げ物に変更しようかな。カレーは置いとけるし、ね、そうしましょう。
子ども:うん! コロッケも大好き。ありがとう、お母さん
お母さん:お腹空いたでしょ、ちょっと待っててね。


なぁんて会話も、決めつけにこだわり続けなければ、普通にできるわけで、この方がいいですよね、きっと。「文句言わないで食べなさい!」って怒鳴るよりも(笑)。


野田俊作顕彰財団(AIJ)で教えてもらえる「エピソード分析」を学べば、この「私的感覚」がわかるようになります。ピンと来た方はぜひお近くのAIJ有資格者を捕まえるか(笑)、AIJの講座に参加してみてください。あなたとあなたの周りの人が今よりも幸福になるための具体的な方法を身に付けられますよ。


九州の方であれば、まずは、6月1日、2日に博多で開催される「葛藤解決」特殊講義と演習をおすすめします。詳細は野田俊作顕彰財団(AIJ)で検索してみてください。よろしくお願いいたします


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞ引き続きよいゴールデンウイークをお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。