こんばんは、鍵野です。
面白い記事を読みました。牛をシマウマのように縞模様にするとアブが寄ってくる数を減らせるのだとか。脱色したり、カラースプレーを使ったりするんだそうですが、効果があるとのこと。なんでそんなことがと検索してみると、シマウマの縞模様はライオンとかから見つけられにくくなるだけでなく、やはり血を吸うアブが寄ってきても、ぶつかったり通り過ぎたりして、うまく身体に着地することができないんだとか、縞模様がアブの視覚を混乱させているのではないかと。
じゃぁ、アブが嫌ならみんな縞々になっちゃえばいいようなものですが、コスト対効果というんでしょうか、そこまでがんばって進化する必要のあったのがシマウマさんたちということで、他のところで暮らす馬とか牛はその必要がなかったということでしょうね。こういうとき、ランダムに表れた遺伝的な違いが、自然選択されたと考えるのはどうも昔から信じられなくて、やっぱりシマウマ(当時はまだただの馬だったかも)さんたちが、がんばってシマウマになったと考えた方が納得できる気がします。人間関係以外にアドラー心理学を拡大適応してはいけないんですが、これって目的論ですね、全ての行動には目的がある。シマウマが縞模様になったのにも目的がある(笑)、なぁんてね。
無意識的に遺伝子の発現をコントロールしてるんではないのかなぁと、誰が?、その生命というか、心がですね。と、「心」なんてことを言いだした瞬間に、アドラー心理学の全体論に反してしまうんですが(笑)。心と身体とか、理性と感情とか、意識と無意識とか、部分に分けておいて、ある部分が他をコントロールしているという要素論で見るのではなく、個人(Individual)という分けることのできない(Divideできない)全体が全体として決断して行動しているんだ考えるのがアドラー心理学ですから。だから、シマウマ全体として縞模様の方向に決断して体毛のデザインを変えていったのだろうと言っておけばいいのかもしれませんね。まぁ、繰り返しですが、アドラー心理学は、言葉を使う人間限定の心理学ですけども(笑)。
でも、アブはアブできっと縞模様の動物が増えたら、「そんなの関係ねぇ!」って方向で自らをバージョンアップして対応していくんでしょうけれどね。ウイルスとワクチンの関係もそうですよね。イタチごっこを繰り返しているうちに個体としての寿命は尽きていくわけで、キリがないことだなぁと思いますが、一つの産業として社会システムに組み込まれていて、それでご飯を食べている人もいるんですものね。人が生きていくのに、本当に必要な仕事だけにしてしまったら、ほとんどの人が失業してしまうかもしれないし(笑)。経営コンサルタントもカウンセラーも真っ先に失業しそうですね(笑)。最低限必要な、衣食住薬(昔のインドでは牛の尿を薬にしたんだそうですが、そういうレベルの薬ですね。ワクチンとかではなく(笑))だけあればいいのだったら、ずいぶんシンプルで地球に優しい、他の生命へかける迷惑が少ない暮らしができそうです。そんな暮らしへの憧れはありますが、一日停電しただけで実際は困っちゃうでしょうね。冷凍庫の中にある冷凍食品にかなり頼っているし、電気ケトルでお湯を沸かしてコーヒーを飲みたいし、そもそもPCがなければ、こうして記事は書けませんし、仕事もですね、カウンセリングは何もなくてもできますが(何か書きたかったら地面に棒で書けばいいし(笑))、経営コンサルタントの方の仕事は、やっぱり難しいですね。計画を作るお手伝いにはPCが必要になります。
だから、できるだけ必要なものだけで暮らそうと心がけるくらいですかね、欲しいものではなく必要なものだけで暮らそうとすることかな。あれもいるかもこれもいるかも、と将来の必要(かも)に備えるのはやめて、今、現に必要なものだけにとどめておく、必要になったら手に入れる。不要なものは捨てる。将来いるかもと置いておいたらスペースを無駄遣いすることになるし、捨てちゃえば管理しなくていいしとっても気が楽です。大量にあった本をほとんど処分(アドラー心理学と初期仏教の本だけ残ってます)したとき、本当にスッキリしました。いつか読むかも、必要になるかも、と置いておいた本をもう一度読んだ試しはほとんどなかったですし。
今、気になっているのは、キャンプ道具ですね。大昔、まだ結婚する前に、バイクで一人旅、一人でキャンプするんだと、当時買い揃えたテントとかストーブとかがあります。たぶん1回か2回くらいしか使ってない(笑)。早く処分しないとなぁと思いながら、開かずの収納ボックスに入れたままで放置しています。ホワイトガソリンもまだあったはずで、そこいらに捨てるわけにもいかないし、そのうちそのうちと思いながら、結局、引っ越しの度にそのまま持ってきてしまっているんですね。次の引っ越し(いつになるかはわかりませんが)では持っていかずに必ず捨てます(笑)。ワンルームに収まるくらいの荷物にしたいですね。冷蔵庫と浄水器と電気ケトルと電子レンジと炊飯器とカセットコンロ、本棚(できれば2つ)、ノートPCとプリンターにスマホ、あとは衣服と布団ですかね。そうだ、座布(瞑想用)と仏壇があったんだ… うーん、本棚一つにしないとかなぁ…厳しいなぁ(笑)
で、この捨てるというか離れるというか、気にするものが減っていくだけ、その分穏やかに暮らせるようになる気がします。仏教的に言えば執着が減るということだと思います。じつは、アドラー心理学カウンセリングでやっていること目指していることも同じような気がしています。
人は、せいぜい5歳から遅くとも10歳くらいまでの間に作り上げた、その人の人生の法則、人生の論理、ライフスタイルでずっと暮らしていきます。ライフスタイル形成時の人間関係では有効性の証明された価値観とその価値観を実現するために有効だった方法で暮らしていきます。その後に出会う人は、まったく違う人たちであるにもかかわらず、その小さい頃の思い込みの論理に従って、現実を解釈しながら、必死で、小さい頃サバイバルしてきたのと同じ論理でサバイバルしていきます。その論理にそぐわない事態に遭遇しても、それは例外扱いして、自分の5歳のときの法則自体の正しさを疑うことはしません。たとえば(架空の例ですが)「私は人から利用される」というマイナスの価値観(現状)と「私は決して人から利用されてはならない」というプラスの価値観(理想)を持ち、その理想を実現するために「私は人との親密な関係を避ける」という方法を愛用している人がいたとして、その人のことを親身に考えて優しく親切にしてくれる人と出会っても、「きっと私を利用しようとしているに違いない」と決めつけて、その証拠を探し続けます。優しい言葉も行いも素直に受け取りません。結果として、しばらくしたらその親切な人は、いくら好意を持って働きかけてもちっとも応えてくれないその人から離れていくことになるでしょう。すると、その人はこうやって安心するのです「やっぱりあの人も私を利用しようとしていたんだ。私がその手には乗らないものだから、とうとう諦めて離れていった。よかった、よかった。やっぱり私は正しい。おかげで利用されずに済んだ。これからもこうやって暮らしていくぞ!」って。ライフスタイルって、小さい頃からずっと自分で自分に魔法をかけ続けているようなものなので、本当は、その気になれば、その魔法を解くことができます。まったく価値観なしには暮らせないので、どの価値観も正しいわけではないという意味では、小さい頃の魔法と変わらないのですが、理性的に魔法の内容を吟味すれば、もし今、幸せでないのであれば、もう少し幸せに暮らせる魔法にアップデートすることができます。がらっと変えるわけではなく、ちょっとした変更、ちょっと緩めるような感じで、先の例で言えば、人は利用し合って暮らせるとか、中には私を利用しようとしない人もいるとか、少し緩めるだけでかなり人生が変わると思います。
その辺のライフスタイルへの執着を減らせれば、かなり自由に、自分のこれまでのライフスタイルに沿ったサバイバル生活で培った力をもっと貢献的に、自分の理想追及のためだけではなく、自分も入れたみんなのために、劣等感の補償の方向ではなく、平等の位置で使えるようになります。アドラー心理学カウンセリングでやっているのはそういうことなんですね。直接ライフスタイル分析でライフスタイルを一緒に調べてみましょうという場合もあるし、具体的な問題解決をライフスタイルが緩む方向でデザインしてやってみてもらうこともあります。
それで、鍵野としては(多くのカウンセラーさんもそうだと思うのですが)、カウンセラーやカウンセリング自体も、できるだけ早くその人にとって不要になることを目指しています。いつまでもずっとカウンセリングに来てくださる常連さんみたいな方がたくさんいらっしゃれば、商売繁盛なのかもしれませんが、こんな商売がいらなくなる世界を目指しているのがアドラー心理学カウンセリングなので、変な感じがしないでもないですが、でも、できるだけ早くこの目の前の相談者さんのカウンセリングがいらなくなるようにしたいというのは偽らざる気持ちです。それで、3回くらい来ていただいたら、もう後は大丈夫そうですねという方が結構いらっしゃいます。5回来てくださるつもりがあれば、ライフスタイル分析も入れて、かなりのことができます。これ、一回の時間が、一般のカウンセリング時間である50分ではなく、鍵野の場合、一回70分(場合によっては90分かけることも)なのも大きいと思います。できれば、後は自助グループで仲間同士で相談し合い助け合いながら暮らしていかれればいいなぁと、それが理想ですね。そのためにも、カウンセリング(これ自体は受けた人は同意してくれると思うのですが、受ける方も面白いし、こちらも面白いのですが)よりも、自助グループで使える「エピソード分析」の普及に力を入れていきたいんですよね。
カウンセリングを受けた経験が、他の人を援助するのに大いに活きてくる面もあるので、ところどころ必要な場面ではカウンセリングを提供できるようにはしながら、普通に暮らす人が普通に仲間同士でアドラー心理学の理論と思想に沿った分析と勇気づけができる「エピソード分析」を一人でも多くの人に届けていきたいなと思っています。週末には福岡で「エピソード分析」の学習会がありますし、この肉体を捨てるそのときまでは、焦らず楽しみながら自分のできることをしていきます。
今年も梅が咲いています。どうしても咲いたときに注目しがちですが、時々刻々と変化していった結果として咲いているのだし、また落ちるのですよね。しかも、去年の花とはまったく違う花なのに、愚かな私たちは「今年も梅が咲いた」と認識します。私たちのライフスタイルも同じです。本当は心も身体も時々刻々と変化していて、一瞬でも同じ状態でとどまっているものなんてありません。アドラー心理学カウンセリングも、結局は思考・妄想に悩む人が、その思考・妄想をちょっとはましな思考・妄想にアップデートできるようにお手伝いしているだけで、そのお手伝いしているカウンセラー自身も思考・妄想の世界を暮らしているわけで、そこには真理なんか存在しないんです。でも、便利な思考・妄想ではあるとは思っています(笑)。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。