アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

怒りんぼ

こんばんは、鍵野です。
今日は経営コンサルティングの方の仕事でしっかり時間を使いました。なんでもそうかもだけど、始めるまでが億劫で、始めてしまえばやってることに集中すること自体が喜びを生んでくれて、とりあえず意味のあるところまでは仕上がるんですよね。自分の受け持ち分としての仕事の締め切りを守れなかったことは、これまでなかったと思うんですが(都合の悪いことは忘れてるだけかも(笑))、それでも、なんかある程度締め切りに追われる感じも嫌いじゃないのかも。夏休みの宿題は夏休みが終わってから仕上げてた気もするし(笑)。


それで、みなさんいろいろ物事の取り組み方のうまくいくやり方みたいなものを持ってらっしゃると思うんですが、鍵野の場合、大事にしているのは、上にもちょっと書きましたが、「意味のあるところまで」はやるということですね。当たり前かもですが、とりあえず切りのいいところまでやっておけば、後は続きからできるよねというところです。中断したら、同じ作業をまた最初からって一番嫌ですね、きっと。だから、あれ、みなさんも経験おありかもですが、こうやって何かを書いていて、突然PCとかアプリが落ちるとかして、最初から書き直さなきゃなんて自体になったら、もうやる気が…、それでも仕事なら、なんとかやりますけれど、あれ、辛いですね。


だから、こういうの大好きですね。カップラーメンにお湯を入れて3分待っている間に、電子レンジで冷凍野菜なんかを温めながら、動物親子のショート動画を見るとか。そんなに何も忙しいことはないんだけど、こういうのを貧乏性というんでしょうかね、充実してる感じ、得した感じがします(笑)。意味あることが3つ同時に走っていて、完成に向かっているってことが嬉しい。でも、ときどき失敗しますけど、あれはダメですね、ショート動画ではなく、たとえば読みかけのアドラー心理学の本なんかを開いちゃうと、意味のあるところまで読んでしまって、気づいたらラーメンがのびてしまう(笑)。


でも、これ、ヴィパッサナー(瞑想)実践すると気づくところですが、自分の身体もこんな感じで使ってるんですよね。歩いているときだって、足を上げようと意識して動き出したら、鳥のさえずりが耳に入って聞いて、そちらに顔を向けようと意識して動かしてして、眼の焦点を合わせようと意識して小鳥を見る、なぁんて動きは、カップラーメンと電子レンジと動画にそれぞれをスタートさせるために意識を動かしているのと同じことなんですね。人間の身体は地球上の物質でできた機械ですから、いちいち心が指令しないと動きません。キューを出してあげれば、後は意味あるところまで自動で動くけど。


と、これは仏教的な解説で、アドラー心理学では、全体論ですから、心と身体を分けませんので、お間違いなく。それでも仏教でいう心は自我ではないし、感情だろうが夢だろうが本能だろうが、全部心がやっていることで、どこでも心が働いているという意味で、全体論的に捉えることもできますね。「いや、私は怒りたくなかったんですよ、でも、つい感情を抑えられなくて…」という人に対して、アドラー心理学は「感情さんのせいにして怒るということをあなたが主体的に決めて、あなた全体として怒ったんですね」と考えますし、仏教でも「あなたが怒りで心を汚して怒るという行為をした」と考えて、やっぱり感情さんのせいにして私は悪くないと開き直れないのは同じだと思います。


それで、また仏教の話に戻りますが、座る瞑想(いわゆる座禅)をするといいのは、身体をオートモードで放っといて、呼吸だけを実況中継で観察し続けることができるので(合鍵を持っている母がよくいろんなものを持ってきてくれるんですが「あっ、ごめんなさい」と瞑想中だとわかって帰っていくときには、耳に意識が行くので、ちょっと困るんですが(笑))、心があちこち指令を出さなくてよくなってどんどん落ち着いていくんですね。夜、疲れているとき、眠気が起きて、それをも観察し続ければ、眠気(これも煩悩)が消えるというのが本当だと思うんですが、瞑想をやめてしまって寝てしまうところが、鍵野の仏道修行の今の課題です(笑)。お釈迦さまは、世界は燃えてるのに寝てる暇なんかないんだ、修行に励みなさいと、弟子たちの睡眠には厳しかったらしいです。


アドラー心理学の方に戻ってですね、この怒りについて、もう少しそれに困っている人の立場で考えてみたいと思います。まず、自分の怒りに困る人がいます。自分の怒りのせいで、人間関係がうまくいかないと気づいてらっしゃる人ですね。こういう人が自分からカウンセリングに来てくださると、前途有望です。だって、ご自分で困っていて、それは自分が怒るからだって知ってるから。それで、自分が変わりたくてカウンセリングに来てくださるので、そりゃぁ、もうこういう方なら大歓迎です(笑)。だって、アドラー心理学を学べば、(あまり)怒らずに済むので、その方がご本人もずっと楽だし、周りの人からのウケもいいし、きっとグングンアドラー心理学を身につけられます。


怒ってばっかりだけど、それが普通になっていて、あまり怒らない人でいた経験がないので、比較対象がないものだから、もう人生そんなものだと思って、困っていない(と思っている)人もたくさんいるんだと思います。周りの人もあきらめているんでしょうね…。まぁ、なんかの能力が高くて、お金を稼ぐとかなんかボスをするのがうまいとか、なんらかの貢献はされているので、周りが我慢し続けているのかなぁ…と。こういう人が怒らないで済むようになったら、世の中かなり平和になる気がするんですけどね。でも、カウンセリングって本人がその気にならない限り、始められないので…まぁそういう人は放っておきます(笑)、自分に被害が及ばない限りは。被害が来そうだったら、離れるだけです、逃げます(笑)。


それから、そう、身近な人の怒りに困る人も、たくさんいらっしゃいますよね。怒りんぼ被害者の会の会員の方々ですね(笑)。相手にあなたを困らせている自覚があって、その人がアドラー心理学を学んでくれてるのであれば、もう少しがんばってみる価値はあると思います。その人が野田俊作顕彰財団(AIJ)か日本アドラー心理学会のカウンセラーさんのところに相談してるのであれば、そんなにすぐに変わるものでもないとは思いますが、かなり期待できます。相手をよちよち歩きを始めたばかりの子どもと思ってみてください。これまで怒ることでなんとか暮らしてきた人が、その「怒ること」を手放すのは、崖から飛び降りるような勇気がいることかもしれません。きっと何度も失敗します。でも、だんだん上手になります。甘やかす必要はありませんが、努力は認めてあげてください。怒りベースの表現とか語彙で暮らしていた人が、それを手放してコミュニケーションをするとなると、まずはカタコトのぎこちない表現しかできないかもしれません。でも、その努力は他でもない大切な大事なあなたがいるから始めたことだと思います。よちよち歩きから、一語文、二語文とだんだん上手になっていくと思います。怒り以外であなたとつながる練習を始めた勇気に拍手できたらステキだと思われませんか。


本人に自覚がない場合は、まずは自覚してもらう努力をしてみますかね。あなたがその人にとってかけがえのない人で、離れて欲しくないと思っているのであれば、これ以上は無理と伝えられたら、ひょっとしたら自覚してくれるかもしれません。そんなことを言ったら物理的身体的に危険が及ぶと思われるのであれば、無理せず離れた方がいいのかもしれません。でも、自分が子どもで親が怒る人だったら、「じゃぁ、さようなら」ってわけにもいきませんし、お子さんのいる人で、妻なり夫なりの怒りから離れたいといっても、子どものことがあるので、そう簡単に動けない人もいらっしゃると思います。それでも、暴言暴力があったとしたらそれに耐える義務はないので、法的なことも含めて、弁護士会の無料相談を利用するとか、行政の暮らしの相談会のようなものを利用するとか、なんとかホットラインのようなものもあるし、じっと「私が我慢すれば済む」というのは結局ご自分のためにもお子さんのためにもならない気がします。


ただですね、アドラー心理学で考えるとですね、なんかひどいこと言ってると捉えられそうですが、やっぱり暴言を吐く暴力をふるう夫(妻)がいるとしたら、暴言を吐かせる暴力をふるわせる妻(夫)もいるんだという見方をするんですね。社会統合論(対人関係論)の心理学ですから。すべては人間関係で、相手があって成立する現象なのでですね。そう捉えないと結局出口が見えないんです。どちらがいい悪いというのは、日本であれば日本の法律に照らして合わせていいか悪いかは裁判官が裁くことはできますが、アドラー心理学は価値相対論、仮想論の心理学ですから、法廷で有罪判決を下された人も「悪い人」とは裁きません。あくまでも人が人を援助する場で使われる心理学なので、ある人が相談に来たら、こうした方がみんな(その人も入れた)のためになりそうだなぁという方向に向かえるような援助はしますが、夫が悪いとか妻が悪いとか決めるためのものではないんですよね。だから、暴言を吐かせる妻(夫)さんの方がそのことで困って相談に来たら、その人が変わってどうしたら暴言を吐かれないようになるかのお手伝いをするしかないんですよね。それは、暴言を吐く人と仲良くなるお手伝いとは限らなくて、一緒にいることはあきらめて、離れるという行動をするという意味で「変わる」方向も含めてのお手伝いなわけですが…。


かく言う鍵野もアドラー心理学に出会う前はずいぶん怒っている人だったと思います。あの人にも、この人にも、会社にも、世の中にもいろんなことに怒っていた気がします。それでも、アドラー心理学のおかげで、気がついたら、かなり怒る必要が減ってました。娘にも「パパって本当怒らんよな」って、言ってもらえましたっけ(笑)。


人は変われます。その気になればいつだって。アドラー先生は死ぬ二日前までなら変われるっておっしゃったそうです。でも、人はいつ死ぬかわからないんですけどね(笑)。もし怒るのに疲れたら、ぜひアドラー心理学を学んで実践してみましょう。怒らないってこんなに楽だったのって思う日がきっと来ます。


読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。