アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

語ることの力

こんばんは、鍵野です(なんと100本目の記事です! パチパチパチ)。 
今日が経営コンサルティングの方でお客さんと会う今年最後の日でした。
年賀状も出したし、クリスマスケーキも食べたし、後はとても楽しみにしている、大事な友人から届く予定の、特別なシュトーレンと年越しそばを家族みんなでいただけたら、今年もしっかり終われそうです。あっ、そうだった、明日の夜、今年最後の福岡のアドラー心理学自助グループに参加するのでした。この自助グループのお世話役である大先輩のIさんには、今年特にお世話になりました。アドラー心理学的に、明らかに、去年に比べて成長した自覚があるんですが、それもこのIさんに何度も何度も話を聞いていただいたおかげです。


鍵野に相談してくださる方もそうだと思いますが、人に話すというのは自分だけで考えているのとは全然違うんですよね。話しながら、相手の反応に導かれるようにして、話がつむぎ出されていくんですね。からんだ毛糸を解きほぐしていくように、聞き手と話し手が呼吸を合わせながら、互いの糸巻きを回していく、ときに早くときにゆっくりと。聞き手の質問が固くなった話し手の思考の結び目にかぎ針のように静かに差し込まれて、ゆっくりと緩んでいく感じ。無理に引っ張らず、勝手に緩めず、細くもろくなった糸が切れないように気をつけながら、静かにつむぎ出され、相談者さんとカウンセラーとが協力しながら、新たに編まれていく人生の織物が生まれていくような、大切なひととき。そんなとき、この世に一つとして同じものがない個性的な生きた織物が生まれる瞬間に立ち会える喜びを感じます。アドラー心理学カウンセリングができるようになって本当によかったと思います。


これは、相談される方の中にもともとあったものが表に出てきたというわけではありません。そうではなくて、カウンセラーと対話しながら、相談者さんがカウンセラーに向けて語られる中で始めて生まれてきた新しい物語なんです。だから相談者さんがどう語るかがとっても重要なんですね。あらかじめ意味の確定したコンテンツがあるのではなく、語られる中で意味が決まっていく、相談者さんとクライエントさんとが一緒になって決めていくものなんです。


カウンセリングでは、相談に来られた方に、最近あった具体的な出来事についてお話してもらいます。カウンセリングに来て、いきなり嬉しかった話をされる方はいないので、たいてい困った話をされることになります。それで、最初、その困った話の中で登場してくる相談者さんを除いた中心人物は、相談者さんにとって困った人として登場されます。それで、その困った人が、相談者さんとカウンセラーが対話していく中で、相談者さんの仲間として語り直されたとき、アドラー心理学としてのカウンセリングが成功したことになります。「仲間」と言いましたが、その定義域は広大で、具体的に今持ち上がっている問題を一緒に解決していく文字通りの仲間になることもありますが、互いに嫌いでも憎んでいてもいいけれど、同じ人間として、互いにこの地球上に存在し合うことくらいは認め合って、このまま一生会わず干渉しないでいられるように暮らしていくという意味での仲間であることもありえます。


もともと人類は(すべての生き物も)平等です。それなのに、他の人の行動に対して、怒ったり、嫉妬したり、物惜しみしたり、後悔したりするのは、勝手に価値の目で、邪見で見て、私にとっての価値の高い人、低い人と価値の値札を相手の許可も得ずに貼りつけているだけです。相手も私と同じく、人間の仲間でいようとして、そのときその人に考えられる精一杯の方法でもがいた結果が、私の価値の目には困った行動に映っているだけです。その人は私と仲間でいようとして行動したんだけれど失敗しただけなんです。カウンセラーと対話を進める中で、相手の善い意図に気づけたとき、相手の関心に関心を向けられたとき、問題はほとんど解決に向かっています。困った人は失敗しちゃった人になっているし、ということは同時に、相手から見たら自分も困った人で失敗しちゃった人でいたことに気づきます。それで、次にその人に会うときに、今度は互いに仲間でいることに失敗しないように、どちらが行動を変えてもいいんだけれど、(こうしてアドラー心理学を学んでいる)あなたがまずは行動してみませんか? あなたにはその力があるはずです、というのがアドラー心理学の勇気づけです。


人はその気になれば変われます。一人でぐるぐる考えると考えれば考えるほど変わらない方に変わらない方に、変わらないで済む証拠集めばかりが進んで、私にとって困った人がいる悪い人がいるというただの妄想が強化されます。あなたにとって困った人なんか本当は一人もいません。あなと同じく悩んで苦しんでいる人はいます。悩んで苦しんでいる人は、がんばって困った人悪い人を妄想の中で作り出して、私が悩んで苦しんでいるのはその人がいるせいだと思い込みます。人類みんなが一斉にその自縄自縛の妄想が回転するだけの泥沼から抜け出せればいいんですが、なかなか難しそうです。


なので、まずはあなたから、アドラー心理学を実践している誰かと対話することで、その困った人悪い人妄想の泥沼から一歩抜け出してみませんか。本当は仲間なのに、爆弾を投げつけ合うようなことが起こるのは、互いに相手を困った人悪い人だと決めつける妄想に苦しんでいるだけのことです。無理に誰とでも仲良くしようと言っているわけではありません。先ほども書きましたが、仲間でいるための距離はそれぞれの関係性の中で人それぞれです。お別れして、もう一生会わない方がいいことだってあると思います。それでも、いや、だからこそ、その人に困った人悪い人というレッテルを貼らないで暮らすことができるようになるかもしれません。あなたが今日運転した車は、もとをただせば、どこかの会ったことのない、これからも会うことがないでろう、中東に住む同じ人類の仲間であるAさんのおかげで採掘された石油から精製されたガソリンを燃やして走ったのかもしれません。同じ地球の表面に暮らしていて、まったく無関係な人なんて存在しません。


人にどう語ってもらうかで、その語った人の人生が規定されていきます。
どうせなら、みんなで幸せになるように語り合いたいですよね。
今夜、あなたは、あなたの大事な人にどんな風に語ってもらいたいですか?

 

読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。