アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

哲学がお金になる?

こんばんは、鍵野です。
今日は、大分で経営コンサルティングを始めてから一番長いお付き合いの社長さんとのお仕事でした。常に苦労は絶えないのですが、それでもご自分のやるべきことに精一杯取り組まれていて、その甲斐あってコロナ過のピンチを脱し、会社も従業員のみなさんも、そして社長と社長のご家族も明るい方向に向かわれていることがわかって、とても嬉しかったです。もともとご自分でやっていける十分な力をお持ちなのですが、定期的に鍵野と話すことに価値を感じてくれて、ずっと契約更新してくださっています。本当にありがたいことです。

それである記事を読んでへぇ~と思ったのが、欧米の企業が哲学者を哲学者として雇っているんだそうな。CPO(Chief Philosophy Officer=最高哲学責任者)と呼ばれることもあると。哲学コンサルティングファームまであるらしい。うーん、哲学がお金になる時代なのかなぁ… なんか変な感じがする。

なぜ哲学を企業が気にするかというと、自分たちのしていることが「正しい」のか自信がなくなってきているんでしょうね。これに従っていれば許されるデファクトがなくなってきているということかな。ネットで世界がつながって、各国各民族各地域固有の価値観では押し切れない時代になっていて、かといって、儲かること=正しいとは、あからさまには言いにくくなっているんでしょう。

共通価値観を前提とした行動ができないとき、自分の行動を倫理的に正当化するために、自己正当化のロジックとしての哲学がいるんだろうなぁ。これは、まだまだ日本人としての共通価値観を保っているかに思える日本で暮らしていると、あまりピンと来ません。なにせ「なぜ、マスクをするんですか?」「みんながしているから」という答えが本音として成立していた国ですから(鍵野もまったくスカスカの繊維の隙間をウイルスが素通りすることは知っていたけれど、目の前の人たちをわざわざ不快にすることもあるまいと、ノーマスクを断念した時期があります)。

哲学博士を雇って、ある企業がある製品を開発しているという場合、それが倫理的に正しいのかどうか判断してから、少なくともその哲学者が認めてから開発するということだろうか? 直観的には、機能するとは思えないけどなぁ、そこから給料をもらっている人が、その給料をくれている組織の利害に中立な判断ができるものなのか。まぁ、あえて例を探せば、国選弁護人は、国が有罪と思っている被告人を、国のお金で弁護していて、それはそれで機能している気もするけども、無罪になることあるしね。

と、そうだ、そういえばアドラー心理学があるじゃないか(笑)。共同体感覚の出番ですよ。最高哲学責任者(あるいは最高倫理責任者)は、企業の行動が、共同体感覚に反していないかどうかをチェックしますと。企業として自問自答しますよと。最高共同体感覚責任者=CSIO(Chief Social Interest Officer)こそ、必要なんじゃないかなぁ(笑)。国際アドラー心理学会連合公認団体のカウンセラー資格を持った人だけがCSIOになれるとか(AIJも入れて欲しいけども)。いい世の中になりそうだけどなぁ(笑)。

哲学者が稼いでしまう時代が来るかもよという夢のあるお話でした。

読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。