アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

同じ人?

こんにちは、鍵野です。
今日の佐伯上浦は朝から寒くて雨が降っています。
雨を見ていると面白くて、「雨」っていうと、なんかまぁザーッとかポツポツとかいろいろあるけど全体として雨なんですけど、雨粒に注目すると、空から降ってきて地面に落ちて消えてしまう、一つの水滴なんですよね。決して同じところは通らない、似ているコースを通るようだけれど、見えている範囲、上から下までぴったり同じコースを通る雨粒はありません。まぁ、ずーっと観察しているわけではないから、絶対にないとは言えないけれど、たとえ同じコースを通ったとしても、それは前に通った雨粒とは違う雨粒です。ひょっとしたら、去年の今頃に振った雨粒が蒸発して雲になって世界中を旅してからもう一度ここで雨粒となって、同じコースを通ったというようなことがあったとしても、それは去年の雨粒とは違う雨粒です。化学式で表せば同じH2Oでも(実際は他の物質が混じっているでしょうけれど)、全然違う水です。だから、水と言ったり、雨粒と言ったり、雨と言ったりしても、それらはそれらとして実在しているわけではないんですね。人が、それをどう見るかで、水とか雨粒とか雨とかになる、なるといっても、その人が主観的に意味づけた世界の中だけで存在している、水とか雨粒とか雨に過ぎないんですね…と、今日はそんなあたりのことを書いてみたいなぁと思っています。

それで、雨は、人が主観的に意味づけた世界で「雨」でいられるわけです。雨粒の中で一緒に旅をしてきた微生物にとっては、たぶん「雨」じゃないでしょうね、それは。鳥とか蝶とかにとっても「雨」は違う意味づけ(言葉は使わないけど彼らの世界を構成する何かとして認識はされているはず)がされていると思います。それで、まぁいいです、人にとっては「雨」だと。で、今度はその「人」の話をしたいんですが、今日会ったあの人は、昨日会ったあの人と同じ人なんでしょうか? 「おはようございます」「おはようございます」「昨日はどうも、お疲れさまでした」「お疲れさまでした。あの後大丈夫でした?」「いやぁ、それがですね…」といった会話を交わしあった二人もですね、雨と一緒で、どんどん流れているんですよね、物質としては。細胞は新陳代謝しているし、食べたものは消化されて排泄されるし、呼吸してどんどんガス交換されているしですね。そして、物質だけじゃないんですよね、あの人もこの人も、それぞれが知らないところで新しい情報を取り入れていますし、昨日は覚えていたことを忘れているかもしれないしですね。あの後、夫さんや妻さんとケンカしたかもしれないし(笑)。

それでも、私たちはあの人が同じあの人だと思って、今日もコミュニケーションしますね。「はじめまして」とはならないんですね。当たり前のようですが、不思議と思えば結構不思議なことです。2023年12月4日17時05分に会った佐藤さんと2023年12月5日8時47分に会った佐藤さんが同一人物であるとどうしてわかるんでしょうか? 「そりゃぁ、だって同じ会社の同僚だし、佐藤さんとは長いですから、すぐわかりますよ」というあたりかもしれませんが、実際のところ、話せばわかるんですよね。「昨日はどうも…」「いやぁ、それがですね…」と互いに話がかみ合うから、安心して、佐藤さんを佐藤さんのままにしておけるんです。これがですね、「昨日はどうも…」「え? はじめてお会いしますよね」とかって冗談一つも言わないような人に言われたとしたら、急に自信がなくなる気がします。書いていて思い出したんですが、鍵野の父は双子の弟がいたんですが、その弟の方、まぁ鍵野からしたら叔父さんですが、叔父さんが父の友達に父と間違えられて、話しかけられて話が合わなくて困ったことがあったらしいです(笑)。佐藤さんはこういう人だというのを持っているんですね、私たちは。それを前提にコミュニケーションする。佐藤さんもこちらについてのイメージを持っていてそれを前提にコミュニケーションする。それで、互いに話がかみ合うことで、やっぱり佐藤さんだと安心していられるし、その佐藤さんと話がかみ合ってる自分はやっぱり自分だとまた安心するということなんです。そういうあの人らしさが何から来ているかというと、そう、ここではアドラー心理学の話をしているので、それが「ライフスタイル」なんです。

自分とのコミュニケーションのパターンが変わらないので、あの人はあの人だとわかるんです。もちろん一人の人がパターンをいくつか持っているので、急にこちらが想定していたのと違うパターンで対応されたからといって、即人違いだったとはなりません。あれっ?なんか昨日マズイこと言っちゃったかなとかになりますかね(笑)。でも、人が変わったようだという表現があるように、人は変わるので、しばらく会っていない間に本当にライフスタイルが変わっていることもあり得ます。大きな出来事があって、それを乗り越える過程でライフスタイルが変わることもあるし、ライフスタイルに迫るアドラー心理学のカウンセリングを受けたのかもしれません。鍵野も久しぶりに会った人から「なんか今日は静かですね」というように言われたことがあります。「えっ、いつもこんな感じですよ」というように返した気がします。特に、カウンセラーになる前と後で大きく変わったようです。まだまだカウンセリングができていないときですが、よく大竹優子先生に「しゃべり過ぎ」と注意いただいてました。こうして書いているのもそうなんですが、何か自分が大事だと思っていることを伝えるのが好きなんですよね、ライフスタイルですけども(笑)。それで、気をつけないと、わかってもらおうという圧の強いカウンセリングになってしまって、で、そう思えば思うほど、相談者さんは抵抗されるので、失敗に終わるんですね。それで、紆余曲折がありまして、スマナサーラ先生のご指導によるヴィパッサナー実践のおかげで、その辺りの圧がかなり抜けた感じがあって、なんとか合格できたのでした。相当うるさい人だったんでしょうね、娘からも「パパ、しゃべり過ぎ。考えられないから黙ってて」と言われたことがありましたっけ(笑)。

ということで、人は変われます。本当は一瞬たりとも同じ人ではないはずなんです。お互いがお互いをこれまで通りの人だと思ってコミュニケーションして、互いを互いのパターンにはめ合っているから同じ人のような気がしているだけです。その気になれば一瞬で変われる(だって違うんだから本当は)はずですが、変わりたいけどなかなか一人では難しいようであれば、ぜひ、お近くの野田俊作顕彰財団(AIJ)か日本アドラー心理学会の認定カウンセラーに相談してみてはいかがでしょうか。そして、あなたが変わると、お相手も最初は戸惑うので、これま通りのコミュニケーションパターンを維持しようとがんばることがあるかもしれません(なので夫婦カウンセリングは一方だけのカウンセリングでは危ういですよね。ガタガタっといってしまわないようにしないとですね)。それでもあなたが協力的に変われば、徐々に慣れていって、きっとこれまでよりもステキなコミュニケーションが実現できるようになると思います。

読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞ今日もよい一日を。

生きとし生けるものが幸せでありますように。