アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

人生いかだ流し説

こんにちは、鍵野です。
今日で11月も最後、明日から師走ですね。やっぱりカレンダーがあるとなんとなく安心するというか、そこに11月には11月の、12月には12月の、それぞれ世の中的なすることのスタンダートが示されているような気がして、テレビも新聞もない暮らしが長い中、世間と同じ暦で動いてはいるというところで繋がっているような気がしています。「あれ、今日何曜日だっけ? そもそも今、何月?」ってなったら、さすがにちょっとねぇ… 本当は一日として同じ一日はないはずで、特別なら全部特別な日だし、普通なら全部普通の日なんだけど、去年の今頃は何をしてたかなぁ? なんて記憶を反芻しながら生きるのが人間という種のありようなんでしょうね。なんとか記念日とか、やたらと記念日好きなのも、記憶をもとにした思考・妄想を頼りに生きている我々らしいのかもしれません。カラスとか猫とかがカレンダー見ながら、「一年はあっと言うまだねぇ」なぁんて話しかけてきても怖いしなぁ(笑)。

それで、今日は、そんな一年の締めくくりも近づいているということもあって、野田先生がおっしゃっていた「人生いかだ流し説」について考えてみたいと思います。これだけ聞いてどんな説だと思いますか? そもそも「いかだ流し」ってイメージ湧きますでしょうか? 海賊王になるはずのルフィもいかだで大海に漕ぎ出たことがあったと思いますが、あの丸太をロープで繋げて作った、とりあえず水に浮くやつですね。ポイントは推力が(ほとんど)ないことですね。帆を張れば一応帆船にはなるのかもですが、イメージとしては長い棹を持って一人で乗って、水底を突きながら、それなりに方向を変えることはできるというやつです。そのいかだに乗って、海ではなく、それなりの流れのある川を河口、つまり海に向かって下っていると想像してください。それが「いかだ流し」です。

で、「人生いかだ流し説」は、人生っていかだ流しのようなものだよということです。それは、もうね、大きな流れる方向は決まってるんですね。行先は海です。「死」かな、とりあえず、人は必ず死ぬので。どんなにがんばっても、今さら、源流、「生」かな、生まれたところに向かって遡ることはできません。そんな大きな流れに逆らう力はないんです。一瞬一瞬「死」に向かって人は流れていきます、これは「老」かな。途中、岩にぶつかったり、沈みそうになったり、ロープがほどけそうになったり、などなどいろんなトラブルに会います、これは「病」かな。と、気づいてみれば(わざとですが(笑))、お釈迦さまがおっしゃった「生老病死」が全部、この「人生いかだ流し説」に揃ってました。さすが、高校生の頃から仏教に造詣の深かった野田先生! まぁ野田先生ご自身が「人生いかだ流し説」に「生老病死」があるとおっしゃったわけじゃないんですが、あらためて書きながら考えると、きっとそういう思いもあったんではなかろうかと思うんですね(師匠のお考えを勝手にゲッシングしたことをお許しください)。で、これは、本当に先生がおっしゃってたことですが、一番言いたいポイントは私たちはただ流されるままではなくて、棹は持っているということなんです。大きな流れには逆らえないんだけれども、あの流れの緩いところを通ろうとか、ちょっとここの淵でひとやすみしていこうとか、面白そうな木があるから調べてみようとか、そういうことはできるんですね、その人の意思で、少しがんばって棹を操ればですね。だから、私たちの人生も何でも自由にできるわけではないが(アドラー先生は何でもできるっておっしゃってましたが、たぶんその人にできることはって限定付きの意味と思ってます)、できることはあると。例えば、日本人として今の時代に生まれたこと、具体的な特定の両親のもとに生まれたこと、特定のきょうだいと一緒に育ったこと、そんなことは変えられないけれど、でも、瞬間瞬間自分でどこをどんな風に流れるかは決め続けているんだということ。流されるままになっているようでも、それも、そうしようとその人が決めているということ、いくら棹を捨てたつもりでも、いつも手元に棹はあるんだとだということですね。もう私のことは放っておいてくれという人でも、その気になればいつでも流れ方を変えることはできるということです。

そして、鍵野のように、一緒に考える人(カウンセラー)自身も、流れ続けているんですね、自分のいかだで。で、アドラー心理学という、百年以上の歴史もあり、これまでうまく流れていけた人がたくさんいる、自分の人生の流れ方のうまい操作方法を知っているので、それを、一緒に流れながら、教えることはできる。ときどき手をつなぐこともできる。でも、その人のいかだはその人のいかだなので、代わりに操作することはできない(そんなことをしたら自分のいかだが先に転覆してしまいます)。教わる気のある人が、教えられるだけ近くにいたら、教えてあげることはできる。もっと上手にいかだを操れる先生、先輩方もたくさんいるけれど、とりあえず、今、その人に教えられるのは自分だけだ、だから、その人がアドラー心理学で人生を流れてみたい(変な言い方だなぁ(笑))のであれば、教えますよ、というのが、鍵野のモチベーションなんですね、こうしてブログを書いていることも含めて。鍵野自身も、自分の人生のいかだの流れ方(流し方?)を、一緒の大きな川を流れながら出会うことができた先生方、先輩方に教わって、自分でなんとかここまで流れてきたんですよね。ときに奈落の底と思うような滝を落ちるようにドーンと下ることもありましたけど、なんとか流れては来れました(笑)。

 

読んでいただきありがとうございます。
今日もどうぞよい一日をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。