アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

劣等感と劣等コンプレックス

<2023年10月7日wrote>
こんばんは、鍵野です。
ここ何日か、心理分析ではなく、経営分析の方の仕事で忙しくしています。どちらかというと、心理のお仕事で忙しい方がいいんですが、贅沢は言えませんよね。「焚くほどは風がもてくる落葉かな」どんな落葉がきても、焚かせていただきます。とりあえず暮らせればいいので、あえて集めはしませんけども(笑)。
 ところで劣等感持ってますか? 人間であればまぁ劣等感があるってことになってるんですよね、アドラー心理学では。この「劣等感」たぶん、みなさんが普通に使うのとは違う意味で使っています、アドラー心理学で使う場合は。世の中的には、人と比べて劣っている感じを劣等感と言うと思うんですが、アドラー心理学では自分の理想と比べて劣っている感じのことを言うんです、本来は。どういうことかというと、具体例で考えるとわかりやすいと思いますが、例えば、鍵野は身長は男性としては低い方です。なので、身長が高い他の人と比べると、低いのは事実ですが、そこに劣等感は感じません。高いところのものに手が届かないという意味では劣っている場面もあると思いますが、背が高くなりたいという自分の理想を持っていないので劣等感はないんです。
でも、ですね、そうだなぁ…カウンセラーになるための修行(自己執着を離れる)をしてからだいぶ減りましたけども、たぶん、まぁこうしてFBに書いていることも、なんだか自分でそれを裏付けているようでお恥ずかしいのですが、難しそうなことを素早く理解して自分のものにできる人がそばにいると劣等感を感じることがあります。その人から教わろうと思うような人、例えば、アドラー心理学界隈で言えば、野田先生とか中島先生とか大竹先生とか中井先生とかに対してはそもそも最初から競争しようということにはならないので、劣等感は刺激されないのですが、同レベルくらいと思われてるかもの中で、鋭い、できるなお主、と思える人がいると、なんか変な感じ、居場所がないような感じになる事が昔よくありました。これは、自分が人から「わかってるねぇ」と認めて欲しいというのが小さいころからあるからのような気がします。なので、鋭い人がそばにいると、自分の理想に比べてまだ足りてない感じを刺激されてしまうのかなぁということです。これも人によっては、全然気にならないことでしょうし、人それぞれ気になるところ大事にしているところが違うので、まぁだから面白いとも言えるんですが…
だから、不思議に美人だなぁと思う方ほど、じつは容貌に対して、劣等感を持っていたりしますよね。すっごい美人だなぁと思うんですが、もっと美人のお姉さんがいたりとか…。同じように、俺は強いんだぞ!って感じでアピールしながら歩いている男性は、それだけ、本当は強くないんだけどなって自分で知っている人なはずです。強い犬は吠えないと昔から言いますよね。
それで、その劣等感ですが、うまく使えば自分を成長させてくれるバネにもなるんですが、うっかりすると成長をストップさせる壁になってしまいます。ひどい場合には、どんどん退いて、社会との関わりを避けてしまう方向に進んでしまうこともあります。イメージとしては、劣等感を自分の後ろに置いて、そこから押し出されるように努力すればどんどん前に進めますが、劣等感を自分の目の前に置いてしまってしげしげと眺めてしまったりすると、もう勇気がくじかれてどこかに引きこもりたくなってしまいます。そういう状態を劣等コンプレックスと言ったりします。これアドラー先生が初めて言ったのだとか。意味としては、劣等感を言い訳にしてすべきことをしないでいる状態を指します。
具体的には、例えば、ある仕事がとても上手な人がいて、上司が目にかけていて、今度、みんなの前でやってみてくれないかとその人に声をかけたんだけど、「いや、ダメです! 人前に出ると…上がってしまって…」とか言って、断ってしまうとか。「やらない、やりたくない」と言わないで「やりたいけど、できないんですよ…」と言ってる人は、劣等コンプレックスの使い手である可能性が高いです。まぁ、たまには言い訳するのもいいと思うんですけど、いつもしてしまうと、自分も本気でできないって信じちゃうので、どんどん生活範囲が狭くなって息苦しくなってきちゃいます。
まぁどうせ劣等感もそのひっくり返しの優越感もその人の頭の中にある仮想に過ぎません。仮想に過ぎないんですが、意識しないと結構しつこくその人の行動をしばります。そういう仮想をもってるんだなぁと気づけば、少し自由になれます。ああ、またやってるな自分って、気づくと、子どもっぽいというか、かわいいなぁと笑っちゃえます。アドラー先生は5歳くらいまでに、野田先生は10歳くらいまでに決めるとおっしゃってましたが、子どもの頃に決めた理想なので、子どもっぽいのは当たり前なんですよね。
大人になったのなら、大人らしく、自分が大切に育ててきた劣等感をニコニコと笑って付き合いながら、理想に向かって培ってきた力(ストレンクス)は仮想でなくて現実なので、その力を、劣等感の解消という蜃気楼を追っかける方向ではなくて、周りの人のお役に立てる方向に使えるといいなぁと、鍵野も思いながら、こんな文章を書いています(そんなこと言いながら、実はやっぱり劣等感を解消してるのかも(笑))。
読んでいただきありがとうございます。
秋の夜長をどうぞ楽しくお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。