アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

アドラー心理学と宗教の違い

<2023年10月5日wrote>
こんにちは、鍵野です。
副業(のつもり)の経営コンサルティングの仕事が忙しいと、かえってアドラー心理学について書いてしまうという(笑)。
写真は6年前、初めて野田俊作先生にお会いできた、東京での基礎講座応用編で配られたテキストです。「勇気づけの歌」、なにそれ?って気になるでしょ。ぜひ、野田俊作顕彰財団(AIJ)の基礎講座応用編を受講してたしかめてください(笑)。
 さて、ときどきアドラー心理学は一種の宗教ではないのか?と言われることがあります。即座に否定できない側面があるのも事実で…というのは、アドラー心理学はしっかり科学だとは思うんですが、ちょっと普通の科学と違っているところがあって、価値自由じゃないんですね、この科学は。どういうことかというと、例えば核物理学のおかげで、レントゲンという応用があって、病気の早期発見ができて治癒に至るということもあるけれど、原爆のような応用は、人間の身体を破壊してしまうと。遺伝子工学で難病を治すこともできるけれど、病気を引き起こすウイルスを作成することもできてしまうと。そのとき、その知識を生み出した科学は、価値自由、価値中立で、ある人がやりたいことについて、できるかできないかに答えることはできるけれども、こうすべきと教えたりしないんですね。まぁ具体的な応用についてはその都度倫理委員会とかで、厳しく審議されるのでしょうが、その科学自体にこうすべきであるとかすべきでないとかの知識は含まれていないですよね。ところが、アドラー心理学は、その中に、「共同体感覚」というちょっと普通の科学には入れないはずの思想が含まれているんです。「共同体感覚」とは何かというと、ひとことでは言えなくて、これはもう体験して体感するしかないものだと思うんですが、野田先生の言葉を借りれば、なにかできごとが起こったときに、「これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えることです。その反対に「これは私にとってどういうことだろう。私がしあわせになるために私はなにをすればいいだろう」と考えて暮らすのが「自己執着」で、でも、まぁこんな感じで暮らしてますよね、普通。鍵野も、アドラー心理学に出会って、学びこんで、数年してようやく「自己執着」じゃなく行動できるときもあるかもなぁと思えるようになってきました。たしかに、ちょっと変ですよね、科学がしあわせを語るのって。
でも、もしアドラー心理学が理論と技術だけで、「共同体感覚」がなかったら、それはもう恐ろしいことになってしまいます。とてもシンプルな理論で人間行動のほとんど(すべてとは言わないでおきましょう)がわかってしまうので、悪用されたら、大変です。だから、みんながしあわせに暮らすために使うことに納得して賛成して自らそれを実践する覚悟がある人だけが、カウンセラーとして他の人にアドラー心理学を使える力を身に付ける学びに参加できるんです、少なくとも野田俊作顕彰財団(AIJ)のカウンセラー養成講座では、野田先生の後継者である先生方が許可した人だけが受講できるという厳しいハードルが設けられています。それだけ取扱注意な科学技術なんです。
で、その「共同体感覚」によって、たしかにアドラー心理学を学ぶ人にある価値を押し付けているとも言えるんですが(実際、多くの人がこれが嫌でアドラー先生のもとを去っていったそうです)、宗教かというと違うと思うんですよね。
宗教というと、新興宗教まで入れたら、どれだけあるかわからないくらいあると思うのですが、共通しているのは、何かを信じたらもうそれを疑わない&疑えないということではないでしょうか。なので、疑うとよくないことが起こるという脅しがセットになっているはずです。地獄に落ちるとか…いろいろあると思います。仏教は微妙ですね。初期仏教、タイ、ミャンマースリランカで今も盛んな、南伝仏教とも言われるものは、お釈迦様の教えという文字通りの仏教で、悟りを目指してこうして修行に励んでみなさいという教えはあるけれど、説法を聞いて興味が出たならやってみなはれというだけで、信じないとひどいことが起こるという脅しはないですね。その後に興った大乗仏教も宗派に分かれてたくさんありますが(一部例外的に脅しがセットになっているものもあるようですが)、そのほとんどは信じることはマストだけれど地獄に落ちるぞとまで脅してはいないと思います。キリスト教イスラム教は、神様を信じない場合の脅しがプリセットされているので立派な宗教ですよね。
それに比べるとアドラー心理学の共同体感覚は、もちろん脅しはなくて、そうした方が今より幸せになりますよ、私もやってみたらそれまでより幸せになりました、あなたもやってみませんか?と提案しているだけなので、宗教とまでは言えないと思っています。科学+オリジナルの倫理委員会がセットになっているみたいな…
アドラー心理学カウンセリングの目的は共同体感覚の育成ということになっていますので、共同体感覚を発揮される方向へのおすすめはあるのですが、拒否さなさっても全然構いません。結果を引き受けるのはカウンセラーではなくて相談に来られた方なので…(って脅してるやないかい!(笑))。いやいや、少なくとも呪いはないんです、どんな選択をされたとしても。一緒に考えたあげく、アドラー心理学の提案を拒否されたとしても(私が下手くそなだけかもですが)、相談に来られた方に幸せになって欲しいなぁといつも願っています。
読んでいただきありがとうございました。
今日もよい一日を。
生きとし生けるものが幸せでありますように。