
おはようございます、鍵野です。
今朝は空気がひんやりとして肌寒く、秋の先の冬が近づいてきている感じがしました。古い一軒家なんで結構寒いんです(笑)。
昨日はカウンセリングのお客様もあって充実した一日だったのですが、久しぶりに陰性感情、怒りの感情を発動させてしまった場面がありました。
お隣の解体工事は最終盤に差し掛かっているようで重機が地面を馴らしながら忙しく動いているようでした。午前中の出来事でしたが、ガラガラ、ガタン、ガシャン、ドスン!という大きな音が響きました。!? ひょっとして…
作業中の方がどこかに電話しているらしい声が…「塀が倒れて…車が…」
出てみると、やっぱり… 愛車のミラちゃんが痛々しい姿に。石造りの塀が車の方に崩れ落ちて、車のサイド全面に凹みと傷が…(写真をご覧ください) 直接接触したわけではないようですが、重機の振動で崩れてしまったようです。
作業員さん:すいません… (-3 怒り)...a)
私:(少しワナワナしてるのを感じて抑えながら)直してくれればいいですけど…
作業員さん:責任者が来ますので (-1 怒り)...b)
私:はい
作業員さん:振動で倒れたんじゃろうね… (-2 怒り) ...c)
私:わざとやったわけじゃないからね…
こんなやり取りでした。
すぐにセルフエピソード分析をしたんですが…
a) と b) は、車への執着ですね。そりゃぁモノだから壊れるんだけど、大事なものが傷ついたショックという感じ。
c) は、自分のライフスタイルですね。そのときの思考としては、「なに、他人事みたいに言ってんだよ! あんたでしょう、その振動を起こしたのは」という感じで、頭に来ました。
まだまだ修行未熟ではありますが、他のせいにして自分の責任から逃げようとする人が大嫌いという自分のライフスタイルを改めて確認できた貴重な機会でした(笑)。
それで、まぁ、しょうがないですよね。
現場責任者の方が、その後謝罪に来られて、重い崩れた石の塀をどけてくれて、車が出せるようにしてくれました。当たり前といえば当たり前ですが、現場の保険で修理代は出してくれるようです。塀については、借家なので、大家さんに聞いてからになりますが、今回も通行人等、人に怪我がなくてよかったですけど、地震等で倒れてもまた危ないし、住人としてはこのままでいいんじゃないかという気がします。そういう意味では倒れてくれてリスクがなくなっていい機会だったかもですね。
鍵野の大事にしている(アドラー心理学そのものでもある気がしてますが)「責任」という意味では、これから車の修理の見積もりを取っていろいろやり取りをしなきゃいけない責任があるし、大家さんに連絡して工事屋さんと繋ぐ責任もあるし、ひょっとしたら車の修理代が車両価格を上回るとなると、面倒だしとっても気に入っているミラから買い替えないといけなくなるかもしれないし、古い車の現状価値分しか保険金は出ないだろうし、そうすると次の車との差額は出さなきゃいけなくなるだろうし…と、いろいろ考えて動かないとならない責任を引き受けざるを得ないんですが、これはしょうがないですよね。
解体工事屋さんがお商売をしてくれているおかげで、人は家を建てて暮らすことができてるんだし、今この瞬間お世話になっていなくても、いつかお世話になるかもしれないし、お互い様ですもんね。
人は誰かに迷惑をかけずに暮らしてはいけません。お互いに迷惑をかけ合いながら、助け合いながら、少しでも互いが幸せになるように、互いにすべきことはするという責任を引き受けながら、いい意味での妥協もしつつ暮らしていかないとですね。
いい経験ができたし、こうやって考えることができたので、やっぱり、昨日の事件が起こって、よかった! と思って、とりあえず、もう少ししたら修理の見積もりをしてもらいに、痛々しいミラちゃんで出かけてきます。ちゃんと動きますように。たぶん大丈夫…きっと(笑)。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。