こんばんは、鍵野です。
北陸の地震と津波で被災された方の日常ができるだけ早く戻りますように願っています。
細長い日本列島に暮らしているおかげで、日本全体が一気に被災するようなことは、あまり考えにくいのですが、だからこそ今回は被災を免れた人、鍵野もですが、何かできることをして被災された方の力になれればと思っています。
野田先生がライブラリ(講義録音)の中でおっしゃっていたんですが、こういうときはみんな元気になるので、心理的な援助はいらないんだと。普段は問題ある人でもピンピンして動き出すし、協力し合えるんだと。そして、地震でトラウマがなんていうけれど、そりゃぁ、大きな地震にあえば印象に残るし、子どもたちに絵を描かせれば描くでしょうと。でも、それは動物園に行ったらゾウやライオンの絵を描くのと同じだと。避難所生活で、寝れなかったり、食欲がなくなったりって、そりゃぁ正常な反応ですよと。むしろプライバシーもないところで、冷たいおにぎりなんかを食べて、ぐっすり寝れて、食欲もモリモリあったら、その方が異常だと。だから、野田先生は阪神淡路大震災のとき精神科医としてではなく、内科医として被災された方を援助されたそうです。それで、こういうことがあった後、心理学を学んでる学生さんとか、研究者が、やたら心的外傷とかそんなものがあることを前提にいろいろ話を聞くのは、そりゃぁ聞かれたら人間そうかもなぁと言わない思わないでもないので、人によっては大したことなかったことが大変なことになってしまうかもしれないじゃないですか。それは反治療的ですべきじゃないというようなことをおっしゃっていたと思います。
というわけで、アドラー心理学カウンセラーとして被災された方のお役に立つなんてことはあり得ないし(ずいぶん時間が経って、落ち着いてきて、これからどうしましょうかという場面ではお役に立てるかもですが、まぁ、それこそ金沢には先輩アドレリアンがたくさんいらっしゃいますので出番はないはずです(笑))、肉体労働にも適正はなく足手まといになるのが関の山となってくれば、現実的には、とりあえず、募金するくらいかなぁと思っています。
規模と深刻さは全然違いますが、鍵野の住む上浦も何年か前、台風で近くの川が氾濫して浸水した家がたくさんあって、ボランティアの方々に助けていただきましたが、そんなときは地域のみんなのつながりが強くなって、なんだかんだお年寄りも元気に動かれていたのを記憶しています。鍵野の住む家は床下浸水で済んだんですが、でも、土砂を出したり、水をポンプでくみ出したりと、家族で普段はできない経験をしながら、そんなに悪い思い出ではなくなっています。もちろん、大切な人が亡くなったり、ご自身も含めて大ケガをされたりしたら、そんなことは言ってられないとは思いますが、まぁ生きていればやることは目の前にしっかりはっきりあるので、カウンセリングの出番はないと思います、やっぱり。
安全なところに住もうといったって、それは統計的な概念に過ぎなくて、絶対安全なんてところはこの地球上にどこにもありません。特に、日本列島に住む私たちはどこへ行こうが火山の上に住んでいるようなものですし、被災は覚悟のうえで暮らさざるを得ません。非常持ち出し袋とか、いざというときの行動のシミュレーションとか、やれるだけのことはやって、あとはまぁ、しょうがないよねぇ、いつか必ず死ぬんだしというあきらめも大事な気がします。
いくら心配しても後悔しても、1秒でできることは1秒でできることだけです。だとしたら、落ち着いて、五感で現実をしっかり感じて対応できればもうそれがベストということでいいんじゃないかなと思います。心配したり後悔したりしている間は何も現実的に効果的な対応ができないわけですから。自分も入れたみんな=Weの視点で、今回被災された方も、今回は被災しなかった方も、できることをやっていきましょう。ということで、自己満足に過ぎないかもですが、どこかの誰かの勇気づけになるかもしれないなぁと思いながら、また記事を追加してしまったのでした(笑)。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
被災された方々が幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。