アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

グッド・ウィル・ハンティング

こんばんは(あるいはおはようございます(笑))、鍵野です。
今日はコンサルティングの方の仕事をいくつか平行でやっているものの一つがひと段落して、すぐに別の方に取り掛かってもよかったんですが、せっかくのチャンスかなぁと思って、観たかった映画をアマゾンでレンタルして、さっき観終わりました。有名な映画らしいですが"Good Will Hunting"という映画です。


大事な友人から「観たことありますか?」と聞かれたことがあって、観たことなかったので、それで気になっていた映画でした。そういえば映画とかずっと観てなかったんですよね(スパイファミリー観たくせに(笑))。思考・妄想から離れるのが仏道修行なので、思考・妄想なしには成り立たない、映画、小説、漫画、アニメ、落語、講談、芝居などなどから、できるだけ離れて暮らそうとしてましたので。キングダムもワンピースも進撃の巨人も、先を読みたい観たいという煩悩に打ち勝って途中で終わったまま今日に至っています(笑)。鬼滅の刃だけは、そういうものを断ち切ろうとする前に、最終巻を読んでしまったので、まぁスッキリはしたんですが。あれ、また春に映画があるみたいですね、予告編観ちゃって、ちょっと気になってます。いかん、いかん、「判断が遅い!」という世界ではなく、判断そのものを手放さないとですね…


それで、自分が観たい(本当はそうなんですが)というよりも、あの人と観るから、とか、あの人が観ておすすめしてくれる映画だから、とかの理由を入れて、その辺りの戒を緩めて、思考・妄想の世界をしばし味わってみようかなぁ…なぁんて(笑)。まぁ、そもそもカウンセリングなんて、相談者さんの思考・妄想をカウンセラーの思考・妄想とかき混ぜながら、それまでよりは相談者さんと周りの人が暮らしやすくなるような思考・妄想にアップデートしてもらうようなものとも言えなくもないので、じつは、カウンセリングなんて仕事をしていれば、もう相談者さんのお話を聞いているだけで十分お腹いっぱいな感じで、あえて映画、小説、漫画なんかの作り物の妄想(変な言い方(笑))はいらない感じもしています。


でもですね、"Good Will Hunting"、月並みな言い方ですが、感動しました。引き込まれてしまって脚本とか設定とか俯瞰で見る余裕はまったくなかったです(笑)。この映画、カウンセラーが登場します。主人公をカウンセリングする役なんですが、何人かカウンセラーが登場して、カウチで寝そべるフロイト派?いや催眠療法のカウンセラーも出てきましたが、あとはよくわからないけど、みんな主人公に匙を投げるんですが、ロビン・ウィリアムズ扮するショーンというカウンセラーだけが、マット・デーモン扮する主人公のウィルのカウンセリングを続けます。このショーンが最初に登場するシーンはコミュニティカレッジで講義をしているところで、「人間関係には信頼がとても重要だ。クライエントとの関係でブレイクスルーを起こすためにも」というような話をあまり熱心に聞いてなさそうな冴えない感じの学生さんたちにしているところでしたが、「患者が安全であると感じられるほど信頼していなければ正直になれない。で、(正直になれないなら)、セラピーの意味がない」と、これはアドラー心理学カウンセラーがクライエントとの関係構築のところで最初に教わることです。「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」と教わりますが、その相互信頼のところですね。さらに、「来週はフロイトのコカイン依存の話を」なぁんてセリフもあったし(反フロイトアドラー派のたしなみなので(笑))、おーっ、ショーンはひょっとしてアドラー派のカウンセラーかなと思ったくらい。


まぁ映画の内容は観てもらうのが一番なので、深入りはしませんが、「虐待」というトラウマティックな出来事と主人公ウィルの人生との関係が大きなテーマにはなっていたと思います。そしてショーンにも虐待ではないけれど、トラウマティックな出来事があり…


ライフスタイル分析のシーンはなかったし、アドラー派なんてアメリカでも少数ですから、きっと違うんでしょうが、でも、最後まで相談者自身の決定に委ねるところとか、友人関係のままでセラピーが終わるところとか、アドレリアンぽい感じもしました。


最後の方、一人で観ながら、涙があふれてきました。"It's not your fault. It's not your fault."と繰り返し繰り返し…。

ショーン:It's not your fault.
ウィル:(泣きながら)My God! My God! I'm so sory. My God.
ショーン:Fuck them, okay?

自分で自分を責めているとき、その人は他人の関心に関心を向けることができません。虐待を受けた人が、自分を責めるとき、そのときの無力な自分、自分を助けることができなかった自分にひょっとしたら一番腹を立てているのかもしれません。それで、そんな自分を責め続けることで、自分を罰することで、虐待される側からする側に回るような錯覚で、なんとか生き抜いてこられたのかもしれません。


だって、小さかったんですもの。怖いですよ。大きな、その人の存在に自分の生存が依存しているその人が、自分に向かってくる。その人を憎んで復讐できたらどれだけ楽だったでしょうか。でも、子どもは、自分が悪いと、こんな扱いを受けるのは自分が悪いからだ、何もした覚えもないのに、でも、自分が悪いからだと… そして、それを自分に証明するように「悪い」ことをするようになる…


でも、あなたは悪くない、あなたは悪くない、あなたは悪くない…


自分で自分を許せたとき、初めて、自分の力を、そんな状況から生き抜くために培ってきた凄いストレンクスをみんなのために、自分を含めたみんなのために使えるようになります。

ショーン:君は悪くない。
ウィル:(泣きながら)ごめんよ。ごめんよ。おれをゆるして。ごめんよ。
ショーン:みんなクソくらえだよ、な?


次の回のカウンセリングが最後で、別れるとき、
ショーンとウィルは抱き合って、
ウィル:Thank you, Sean.Ah.
ショーン:Thank you, Will.
と、カウンセラーの方もお礼を言っています。これもアドラー派カウンセラーならよくわかる気持ちです。お互いが成長するプロセスなんですよね、カウンセリングは。とくにこの映画では、ウィルがショーンのトラウマティックな出来事をほじって傷つけるようなことがあって、それでさっきのシーンで「おれをゆるして」となっているわけですが、でも、それでいろいろ気づきもあって、ショーンも旅立つんですね、この後。だから、お礼を言ってるんですね。誰かを助けることができたということは自分が助けられたということだと、野田先生も書いてらっしゃいました。

 

それで、抱き合ったまま次のセリフ
ウィル:Hey, does this violate the patient-doctor relatisonship?
ショーン:No, Only if you grab my ass.

ここもいいですよね~、「これってクライエントとカウンセラーの関係を踏み越えてしまってるかな?」とウィルが心配してるけど、「いや、大丈夫、俺のケツを触りさえしなければな」と返していて、いいなぁ、これってアドレリアンカウンセリングやなぁと思いました。アドラー派のカウンセリングは、お友達関係で始まって、カウンセリングが終わってもお友達関係が続く感じなんですよね。お金のやり取りはありますが、でも、お友達ってのがやっぱり実態を表していると思います。

このお別れのシーンで、じつはカウンセラーは一つ宿題を出しています。
ショーン:You do what's in your heart, son. You'll be fine.(自分の心の中にあることをするんだ。きっと大丈夫だから。)

アメリカのトップ企業への就職をすることを報告に来た(天才)ウィルの本当にしたいことが何かを、自分で洞察を得るための宿題だったと思います。


この後も感動のシーンが続くのですが、じつは鍵野が一番泣いてしまったシーンは、親友がウィルの家にいつものように迎えに行っても出てこなかったシーンです。期待と驚きとそして、最後に静かな喜びに溢れている親友の笑顔に、泣きました。人間っていいねぇ~、仲間っていいねぇ~と、じつは一番共同体感覚溢れるシーンではなかったかと思ったりしました。


タイトルにも何重かの意味が込められていて、素晴らしい映画だと思いました。主人公の名前は、"Will Hunting"。人はみんな"Good Will" を求めているとも言えるし、"Good Will"があるとも言えるし、Will は悪くない、いい子だという意味もあるし…


カウンセリングに興味がある人にもない人にも、一度、観ていただきたい傑作映画と思いました。

映画を紹介してくれて、ありがとう!

君は悪くない、君は悪くない、君は悪くない。
そして、誰も悪くない…


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。