アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

協力するってどういうこと?

こんばんは、鍵野です。
福岡から下道で帰ってきました。暖かかったし、橋では道の脇に少し雪が残っていましたが、スタッドレスが活躍する場面はありませんでした。それで、福岡から佐伯に下道で帰ると正味4時間半くらい、途中何度か休憩しながら、実質6時間弱くらいかけて帰ってきます。それで、帰り着くと運転の疲れが結構あるんですが、今回はいつもの半分くらいの疲れで済みました。というのも、実は、昨日免許を取ったばかりの息子が途中の久住あたりから運転してくれたからなんです。


嬉しいし、ありがたかったです。同じMT車とはいえ、教習所の車とは違うし、走ったこともない公道を長時間走ってさぞ疲れたことと思います。いちいち緊張しますものね、慣れるまでは。それでも一度もエンストすることなく家までたどり着きました。最初は、ギアシフトの度に力の入る左手の反作用で、ハンドルを握っている右手が動いてしまって、車体がブレていたんですが、後半には力も抜けて、シフトレバーとハンドル操作のリンクがなくなったし、勾配に合わせたギアの選び方もどんどん上手になっていってました。こちらもかなり安心して、助手席でお菓子を食べたりお茶を飲んだりと道中楽しく過ごせました。


感慨深いですね。息子が初めて歩いたときのことを思い出します。嬉しそうで得意そうだったなぁ。それを見ている自分もとっても嬉しかったのを覚えています。そして一緒に公園で補助輪なしの自転車に乗る練習をしたときのことも思い出します。たしかべダルを外して足に当たらないように邪魔にならないようにして、練習したんでした。わりとすぐ乗れるようになった気がします。

 

今回はもう相手は免許を取った一人前の大人ですから、何も言わず黙って助手席に…と思ったんですが、息子が「5速っていつ使うの? 教習所で使ったことないから」と聞いてくれたので、それを呼び水に、「今は、5速にしてもいいかも」とか「4速に落とした方がいいかな」とか、ちょっとアドバイスしました。素直に聞いてくれて(そういえば、いつも息子は言ったことを素直に聞いてくれるんですよね。こちらの勘違いでとんでもない言いがかりをつけたこともあったんですがいつも怒らず許してくれました)、コツをつかんでくれた気がします。

 

今回、無事家にたどり着いて、息子に感想を聞いたんですが「思ったよりできた」ということでした。そうそう、いつも自分が思ったよりはできる人なんですよね、そこがいいところかもしれない。自信過剰なところはなく、高望みもなく、慎重で現実的なんだけど「ちゃんとやれば、なんとかなる」というように自分を見れている気がします。できたからといって、親父のようにすぐに調子に乗らないところがいい(笑)。


それで、息子と運転を協力して帰ってきたんですが、今回は協力について書いてみたいと思います。英語ではcooperationですが、co 一緒に operaiton 運転、作戦、経営、作業、手術、などをするという意味ですね。英語で言えば、「一緒に運転する」という意味がそのままあったんですね(笑)。これ、勝手にやらないというところ、「一緒に」がまず大事だと思います。もちろん、車の運転であれば、教習車と違って、助手席にブレーキはないので(笑)、運転は運転手さん一人の仕事なんですが、助手席の人も「助手席」というくらいですから、「あっ、右に入ってた方がいいよ、この先左折レーンになっちゃうから」とか、「この先しばらくコンビニないから、この先のローソンでちょっと休憩しようか。ほら、あそこ」とか、いろいろ仕事はあるんですね。で、そもそも同じ車に乗り込んでいる時点で、行先についての、目的地についての合意があるというのがものすごく大事なことなんです。その目的についての合意があってこそ、その目的達成のためにしなければならい様々なことで協力していくことができるんですね。


だから、これが山手線とかに乗り合わせてたまたま隣に座った人同士という仲であれば、内回りと外回り、どっちに乗っているかという時点で方向は一緒ですけど、互いにおとなしく座っているくらいの協力ですよね、せいぜい、できるのは。まぁそういう場合は常識の範囲で、おとなしく座っていましょうねと互いに言葉で確認しなくても達成できそうですけれど、何か仕事をするとなれば、やっぱり言葉で確認し合ってから動かないとうまくいかないと思います。目的について合意したうえで、役割分担をはっきりさせてから取り掛かる必要がありますよね。

 

そして大事なのは、その役割分担がどう決まろうとも、そこには人間としての価値の上下はないというところです。たとえ、Aさんが決めて指示する人、Bさんが決められたことを実行する人という役割分担になったとしても、それが目的達成のために必要なこととしてAさんBさんが互いに認め合っているのであれば、それは互いにヨコの関係にあって平等の位置に立っているわけで、どちらが上でも下でもないんですね。ここが勘違いしやすいところです。同等でなければ平等でないとBさんが勘違いしてしまうと、「Aさんが決めて指示するなんて不平等だ!、許せない」とBさんは自分の適性や能力を顧みず、Aさんと同じことをしなければという変な権力争いが勃発してしまいます。どちらが偉いわけでもなく、目的達成のために互いの持てる力、ストレンクスを持ち寄って、よりベターな使い方、役割分担を決めればいいだけのことなのにですね、みんなが主役のシンデレラばっかりの劇なんて成り立たないのにですね。


会社でも家庭でも同じことですが、目的はとりあえず存在し続けること、ゴーイングコンサーンです。お客さんの役に立てなくなった会社は潰すべきだというのは、外から見た人の言うことで、当事者はそんなこと言ってられません。社長も社員も社長と社員の家族も、その会社の存続に生活がかかってるんです、とりあえず。スクラップアンドビルドなんていうのは、そういうことで稼いでいる人、それで凌いでいる人の言うセリフです。家庭も同じです。離婚して、また新しい家庭を作ればいいなんてことは、親を信頼して暮らしている子どもたちに向かって言えることではありません。


それで、現代社会で会社として家庭として存在し続けていくには、どうしてもお金が必要です。日本で暮らす限り、土地家屋があれば固定資産税の支払いから逃れられませんし、住むところを借りるのであれば家賃の支払いが必要ですし、貨幣経済と切り離された生活というのは不可能と思います。それで、会社や家庭を維持するためにお金を稼ぐ必要があるわけですが、会社であればモノやサービスを顧客に販売して対価を得ますし、家庭であれば、メンバーの誰かが(複数でも)、会社に勤めてお給料をもらう、会社を経営して役員報酬をもらう、自営業で稼ぐ、とかしてお金を持ってきます。

 

それで、会社であれば、社長、役員、正社員、契約社員、アルバイト社員など、いろんな役割の人がいますが、みんなで役割分担して仕事をした結果、お客さんから対価を得ているわけです。家庭も同じで、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹、おじいちゃん、おばあちゃん、それぞれがそれぞれの役割を果たして、互いが支え合っているおかげで、誰かが(複数でも)、お金を稼いで来れています。お給料が入る口座の名義人が偉いわけではありません。メンバーそれぞれの役割が違うだけです。


会社も家庭も、目的に向かって、まずは存在し続けることに向けて、メンバーが互いの力を持ち寄って、できるだけ効果的な役割分担をして、協力できればいいんですよね。見栄を張らず、自分を卑下せず、互いの力を冷静に認め合って、適材適所で行動できれば、そりゃぁ、今よりいい結果が出てくるに決まってますよ。それを、互いに上か下かを争って、社長は従業員を非難して、従業員は社長を非難する、妻は夫を非難して、夫は妻を非難する、そんなことではエネルギーの無駄遣いをするばかりで、借金は増えこそすれ、一円だって多くは稼げやしません。社長が司令塔じゃなくても現場でバリバリ働いてもいいんですよね、別に。おかげで会社全体として稼げるようになって、みんなが幸せに向かうのであれば。同じく、妻がバリバリ働いてもいいし、夫が家を守ってもいいわけです、その方が稼げるし、みんなが幸せに向かうのであれば。他にも、社長が他社の助っ人に入って、がっぽり稼いできたっていいわけですし、夫が、長距離トラックに乗るとか、マグロ船に乗るとかして、出稼ぎをしてきてもいいわけです。いくらでも手段はあるはずなんです、それぞれの会社、家庭を守りたいというのであれば。


その辺りのことを、腹を割って互いの見栄を捨てて話し合えれば、たいていのことは解決してしまうはずなんですが、人間っていうのはなかなか見栄を捨てられない生き物なんですよね。百人百通りの見栄があって、アドラー心理学的に言えば、劣等感ですが、社長も社員も、夫も妻も、互いの劣等感をビリビリビリビリ刺激し続けて、シーソーに乗ったまま、上になったり下になったりで忙しくて、少しも前に進まないんですね。シーソーで向かい合うのはやめて、シーソーから降りて、並んで手をつないで同じ方向を向いて、互いに得意な仕事をしながら、一緒に歩いていけばなんてことはないはずなんです。


目的が相手に勝つことだったら、わかるんですけれど、ちゃんと訊けばですね、人の目的は相手と仲間になること、互いに所属し合うことに決まっているんですよ。それで、その所属し合うためにも、とりあえず暮らしていくだけのお金はいるという現実があるわけです。で、そのお金を得るために、早く稼いでくればいいのに、まずは目の前の相手に勝ってからという感じで、うまくいっていない会社や家庭が多い気がします。

 

ということで、じゃぁどうしたらいいのさ!と思った方はですね、来年こそ、鍵野と一緒にアドラー心理学を学んでみませんかという、長い長い宣伝なのでした(笑)。来年は、さらに本気でアドラー心理学をお伝えしていくことをメインに活動していくつもりです。いくつかこれから発展していく可能性のある場が九州にも新たに出来てきました。しっかり準備して、理念や絵空事ではないアドラー心理学を実践するための具体的な方法論をもって、みなさんの期待に応えていきたいと思っています。世界も日本も広すぎるので、とりあえず九州に住む人たちが、中でもアドラー心理学に出会う縁を持っている人たちが、幸せに向かっていくためのお手伝いをしていきます。


読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。

生きとし生けるものが幸せでありますように。