アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

断られる勇気

こんにちは、鍵野です。
寒い日が続きますがみなさまいかがお過ごしでしょうか。鍵野の住むところは雪はほとんど降らないところではありますが、古い一軒家ということもあり、家の中でも朝晩は本当に冷えます。身体が冷えると免疫も働きにくいということですから、風邪やコロナにインフルエンザを跳ね返すためにも、積極的に暖を取った方がよさそうですね。光熱費を節約する以上に病院代がかかるというオチは避けたいと思います(笑)。


寒い日には温かいお風呂にゆっくり浸かって…といきたいところですが、話題になったヒートショック!の危険性もあるわけで、リラックスし過ぎるわけにもいかないようです。それで、安全のためには、風呂に入る前にはひと声かけた方がいいらしいですが、一人暮らしではそうもいきませんものね(笑)。お湯の温度はあまり熱くない40度くらいまでがいいとか。お風呂に入るのも一苦労です。


そういえば今日はクリスマスイブですね。子育て卒業と同時にクリスマスも卒業してしまった感じなのであまり気にしていなかったのですが、気づいてみれば、長年の習慣からか、チキンを食べたくなったり(パブロフの犬みたいだな(笑))。


日本でのクリスマスは、もともと明治時代の商売人が始めたイベントらしいですが、キリスト教とは関係なしに、すっかり日本文化になってますよね。ケーキとチキンに子どもへのプレゼントですかね、クリスマスの定番は。ケンタッキー・フライド・チキンの発祥の地アメリカでは、クリスマスにKFCなんてあり得ないらしい(ファーストフードはNGで、家族でしっかり七面鳥を食べるとか)ですが、日本では年商のかなりの部分を稼ぎ出すらしいこのクリスマス、たしかにカーネルサンダースとサンタクロースって同一人物?って気がしますもん(笑)。


まぁアドラー心理学は目的論の心理学ですから、家族や恋人、友人同士、「クリスマス」で仲良くなるなら、それはそれでいいじゃないか!と(笑)。真面目にキリスト教を信仰している方々を揶揄したり傷つけようなんて目的ではないんだしですね。鍵野の母は浄土真宗のお寺の娘ですが、しっかりクリスマスイベントを伝承してくれましたしね(笑)。


それで、今日のアドラー心理学の話題としては、断られることの大切さについて考えてみたいと思います。


じつはですね、明日クリスマスだし、お客さんもないし(珍しくないんですけど(笑))、ある人にランチでも一緒にどうですか?と声をかけたんですが、忙しいらしく見事に断られてしまいました(笑)。


で、これは負け惜しみでもなんでもなくて、嬉しかったんですね、断ってくれて。もちろん一緒にランチに行けないというのが嬉しいわけはなくて、それは残念ではあるのですが、ちゃんと断ってくれる関係性にあるんだなぁということが嬉しかったんですね、うん。


これ、アドラー心理学を学んで身に付ける前の鍵野だったらどうだったかと想像すると…、ちょっとショックだったかもしれません。悲しいとか、ひょっとしたら怒りとか、とにかくマイナスの感情、陰性感情を発動させて、何かよくない考え、行動を引き起こしていた気がします。例えば「こんないい申し出を断るなんて、ひどい!」と相手を非難していたかもしれないし、「もう二度と誘ってやるもんか!」と復讐的な考えをグルグル頭の中で回していたかもしれません。


結局、ライフスタイルなんですが「ダメだなぁ…自分」とか「嫌われてるんだなぁ…」という方の思考は出てこないです、鍵野の場合(笑)。自惚れが強いのでですね(笑)。どんなひどい状態になっても「悪いあなた」の方は出てきても「かわいそうな私」の方は出てこないんです。これまで自己卑下だけはしなかったおかげでなんとかサバイバルしてきたものですから(笑)。


アドラー心理学の原理に立ち戻って考えてみるとシンプルなんですが、すべての人が一人ひとりユニークな仮想の世界を、一人ひとり違った意味づけの世界を生きているので、相手がどう感じてどう考えてどう行動するのかはわからないんですね(相手のライフスタイルがわかればかなりの精度で予測できはしますが、ライフスタイル分析は頼まれて合意の上、仕事として当人と一緒にやるものなので、普通わかりません(推測はあっても))。


そのわからない相手に対しての、提案とかお願いは、こちらの勝手なストーリーに乗っかってくれませんかというお願いなので、こちらの知らない事情とか感じ方、考え方があって、こちらの想定通りに進むことの方がむしろ稀であって、0~180度の間でどれだけズレているかはわかりませんが、ズレていて当たり前なんですよね。


で、人は社会の中に埋め込まれている存在であり、生まれてから死ぬまで人と協力しながら暮らしていく存在だというのもアドラー心理学の原理で、だとすると、生まれてから死ぬまで、本当にはお互いのことをお互いが分かり合えるはずもない(仮想論)のに、協力をお願いし続けなきゃならない存在でもあるわけです。


なので、最初っからあまり期待し過ぎず、そもそも相手のことを勘違いしているんだけれども、それでも協力して欲しいので、お願いしてみて、たまたまOKの返事が返ってきたら素直に喜んで、一緒に楽しめばいいし、NOの返事が返ってきたら、考えて判断してくれたことに感謝して、今回はその方が相手にとってはいいことなんだな、無理に引きずり込んで不幸にしなくてよかった!と喜べばいいんです。相手は、断っても大丈夫、それでも関係は壊れないとこちらのことを安心してくれているんだな、と喜べばいいんですね。


お互いに断られて当たり前!でスタートしたら、どれだけ世の中が暮らしやすくなるか想像してみてください。百発百中、絶対にYesと言わせると思って暮らしたら、どれだけ生き辛いか、苦しいか。


なので、アドラー心理学の大事なお稽古に、NOと言ってもらえるようにお願いするというのがあります。日常の会話でも、カウンセリングでもこれがとっても大事なんですね。だって、相手も自分と同じ対等で平等な人間、生命なんですもの。老若男女、地位身分立場財産なんて関係ありません、自分のお子さんにNOと言ってもらえるようにお願いできて、実際にNOと言われて、それでもショックを受けずにNOと言ってくれるその子をその人を尊敬できたのであれば、かなりアドラー心理学が身に付いていると言えると思います。


できるだけ断りやすいようにお願いして、それで相手がYESと言ってくれたら、それなら相手は責任を持ってやってくれるはずです。これはカウンセリングのテクニックとして言っているわけではなくて、結局どんなにいいこと正しそうなことを言ったところで、本当にその人の責任で引き受けてくれたことしか本当に有効な助言・気づきにはならないからです。


子どもが小さいうちであれば、強権的に、支配服従の力関係で子どもにNOと言わせないようなお願いの仕方が通用するかに見えることがあるかもしれません。ですが、これは後でひどいしっぺ返しを受けることになる可能性大です。もはや、お子さんが親の力に屈しないと決めた瞬間に、その関係はひっくり返ります。親が子に勝っていいことなんてありません。負けている方がまだしもです(カウンセラーが相談者さんに勝っても意味がないのと一緒ですね…、かつての自分…反省します(笑))。


勝ちも負けもない、どちらが上か下を決める必要のない関係、縦ではなくて横の関係、平等の位置で協力し合う暮らしを目指すのがアドラー心理学です。


横の関係にある人同士であれば、お互いに、たくさんお願いして、たくさん断って、ときどき合意して、楽しく協力して暮らしていけます。


互いに断るのがイヤじゃなくなれば、結果としYESも増えていきます。だってライフスタイル分析はしないまでも、数打ちゃ当たる?で、相手のことがわかってきますもの(笑)。


最初っから当てようとするから苦しくなるんですよね。わかんなくて当たり前、だから聞いてみましょうよ、たくさんお願いしてみましょうよ。


そのためには、まずは断られる練習です! 「断られる勇気」です!(本書くか(笑))。さぁ、今日から一日三回断られてみましょう! 幸せに近づきますよ、お試しあれ。


さぁ、今から予約なしでケンタッキー・フライド・チキンは買えないから、スーパーにでも行ってローストチキンでも買ってこようかな(笑)。


今日も読んでいただきありがとうございます。


みなさまどうぞよいクリスマスをお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。