アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

ランボーと豆まき

こんにちは、鍵野です。
節分ですね。「鬼は~外~、福は~内~」って豆まきをされるご家庭もあるかと思いますが、昔、後が邪魔くさいので、テトラパック(三角の)に入った、ミックスナッツなんかをそのまま投げたりなんかして、まぁ、義理は果たしたような気になったことがあったのを思い出します。


でもですね、「鬼は~外~」って追っ払われる方の鬼の気持ちにもなるとですね、鬼さんも福の神さんも一緒にご招待して、一緒に枝豆でもつまみながら「まぁ一杯、どうぞどうぞ」「あっすいませんね。それじゃ遠慮なく。グイッグイッグイ」「おーっ、さすが鬼さん、いい飲みっぷりだぁ。見てる方も気持ちがいいねぇ」なぁんて仲良くやる方が、いいと思うんですが(笑)。鬼も神さまも人間と同じ生き物ですし。あっ、仏教徒が(理性を弱める)アルコールを勧めてはいけませんね(笑)。やっぱり、鬼さんにお出しするのはコーヒーと豆菓子にしておきます(笑)。


それで、かなり遅ればせながらなんですが、昨日、映画「ランボー」を観ました。これ、まともに観たことなかったんです。野田先生がトラウマとのからみで言及されていたこともあって、お勉強のために観ました。みなさんよくご存じかもしれませんが、シルベスター・スタローン扮するベトナム戦争帰りの元グリーンベレー隊員のジョン・ランボーが主人公の映画です。原題は「Fist Blood」で、「ランボー」ではないんですね。「Fist Blood」は最初に流した血ということで、「先に手を出す」というような意味になるそうです。自分の町の平穏を保ちたい保安官が、ランボーが町に入ってくるのをみつけて、町外れまでパトカーで送っていくんですが、これが「先に手を出す」ことにつながっていくんですね。Hava a nice day! とランボーを町外れに送り出して、町の平穏を保てたと思った保安官のバックミラーに、踵を返して町の方に歩いてくるランボーの姿が映り、そこからついには町が壊れてしまうくらいのところまでこの二人の争いがエスカレートしていきます。ランボーは町で食事をしたかっただけだったのに…


保安官は自分の町に平穏な生活を乱すようなリスクを持ち込みたくなかった、清潔好きの保安官。冒頭で仕事帰りの町人に「風呂に入れよ」と往年の加藤茶を思い出させるような(笑)声を掛けています。それで、不当逮捕に近い感じで逮捕したジョン・ランボーの身体を洗ってやれと部下に指示。髭を剃ってやろうと警察官が用意した剃刀に、ベトナム戦争で受けた拷問の記憶がフラッシュバック…


野田先生は、戦争体験が原因でトラウマ症状が出るのではなく、この映画のジョン・ランボーのように、戦争から帰ってきても社会に受け入れられないと、人はトラウマ症状を使うようになるんだという意味のことをおっしゃていたと思います。大東亜戦争当時の日本の兵隊さんは、ベトナム戦争に出征した米兵とは比べものにならないくらいの、ひどい状態、食べ物も物資も極限に足らない状態で戦っていたんですが、日本に戻れた人は、ジョン・ランボーとは違って、「ご苦労様でした」とみんなに労われて、温かく戦後の日本社会に受け入れられたので、トラウマ症状を使う必要がなかったんだと。だから、ひどい体験と現在のトラウマ症状との間に直接の因果関係はないので、今の社会、家族、周りの人間関係がうまくいかない場合に、トラウマ症状を使って、そのトラウマ症状のある人として、なんとか社会に所属しようとしてるんだというのが、アドラー心理学の見方になりますね。


だから、過去のひどい体験をどうこうしようとしてもダメなんで、現在の人間関係がよくなるように援助できれば、もうその症状に頼らなくてもよくなる、症状への依存を脱却できるということになります。


だから、鬼さんに対して、豆をぶつけてもダメなんで、一緒にご飯を食べて、お話して、仲間に入れてあげればですね、鬼さんはもう鬼でいる必要がなくなるよね、マシンガンをぶっ放す必要はなくなるよね、というのが、映画「ランボー」を観て学んだことです。


それで、先に手を出したのは誰か? そんなことを覚えておくのはお互い面倒ですし、そんなのは忘れて、今、自分にできることを、目の前の人と仲間になって、お互い苦から苦へと動き続けて、苦しみ続けている生き物なんだから、せめて、お互いの苦を増やすことはやめましょうよと。豆とか爆弾とかミサイルとか、ぶつけ合うのはもうやめにして、遅かれ早かれみんな必ず死ぬんですから、わざわざその時期を早め合わなくてもいいでしょうし、仲良くお茶でも飲みましょうよと、節分の午後に強く思うのでした。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。