アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

その後

こんばんは、鍵野です。
仕事もひと段落して、読まなければの本もとくになく、かささぎ座というアドラー心理学の集大成のようなイベントも終わって、久しぶりに気合を入れて仏道修行をしていました。これだけヴィパッサナー実践をしたのは、昨年の修善寺での合宿瞑想会以来かもしれません。途中で(4日目)、こうやってブログを書いているあたり、まだまだ合宿瞑想会の6日間無言、スマホもなしの真剣さには及びませんが、今のうちに書いておいた方がいいような気もして、これを投稿したらしっかり修行に戻ります。せっかく薄れてきた「私」を再起動してがんばって書きます(笑)。


今年のテーラワーダの6月の合宿瞑想会は申し込みサイトを覗いたときにはもう満席になっていて(80名)、まぁ自宅ではできない環境の方にお譲りしたと思って、ちらっと今年もという気がなかったわけではないのですが、でも、スマナサーラ先生のお近くで修業したいというちょっとミーハーな欲も感じてですね…。先生の教えに素直に従えば、先生のお近くでなくても、「もうやり方は教えてるんだから、やればいいだけでしょ! 何をあまえているんですかねぇ(ニヤリ)」というような叱咤激励のお言葉も浮かんできたりして、自宅でいろいろ邪魔が入るからを言い訳にせず(してましたね、結局…もう1年経ってしまったけど瞑想としてはあまり進歩がなかったような…)、真剣に励もうと思い直しました。


今日はその後の話をしたいと思います。その後に二つありまして…、ヴィパッサナーはまだまだやりましたよ!やってますよ!というだけで、これといった進歩はないような… あったらあったで書けない?書けなくなってるでしょうしね、ブログなんて(笑)。もしブログの更新が何年も途絶えたら、死んだか(生まれ変わってしまうなぁ…)、ついに仕事(目的)を達成したと思ってください(笑)。


その後の二つというのは、カフェイン断ちの話とかささぎ座の話です。…と書いていて、ふと気づくと書き始めた時よりも「私」がかなり濃くなってきたのを感じます。執着がよみがえってくる感じか(笑)。


まずカフェインの話から。正確に言うとカフェインの入ったコーヒーを飲まなくなってから22日間経ちました。そして、カフェインレスとか微妙に入っているのも絶ってから12日間です。拍手!(パチパチパチ)、最初の数日間は頭痛とかだるさとか大変でしたが、もう全然大丈夫ですね。コーヒーなくてもOKです。写真のようなノンカフェインの温かい飲みもので十分満足しています。


満足するだけなら、コーヒー飲めばええやないかい!という話なので、ポジティブな効果をご報告したいと思います。これ、よくある動画とか記事とかと同じなんですが、寝て起きた感じのスッキリ感が凄い! この効果、コーヒーやめて16日目くらいから感じました。まだまだこの効果増加中の気がします。睡眠の質が、密度が上がってる感じです。これまでも、コーヒー飲んだから寝れなかったというのはなかったし、睡眠について問題は感じていなかったのですが、やっぱりこの違いを知ってしまったら、カフェイン生活には戻りたくないなぁって思います。


そして、これが当初カフェイン断ちをやってみようと思ったきっかけですが、切迫感がなくなりました。胸のあたりとかリラックスしてるのがよくわかります。次から次に課題をこなしていかなければ!という感じがない(じっさい、課題もないけど(笑))。何かやってないと不安という人で、コーヒーたくさん飲んでるかもという人は、カフェイン抜き試してみる価値ある気がします。胸のあたりのすぐにチラッと燃え上がりがちの導火線がしけっちゃって火がつかない感じがしてます、ずっと(笑)。


そして、やる気が一定な感じがします。コーヒー飲んで、さぁやるぞ!というのがなくて、「じゃ、やりますか」と、いつでもどこでもあっさりスタートできる感じ。ピークがないけどボトムのない感じですね。で、夕方から夜になるとだんだん疲れて眠くなります(笑)。なんか子どもに戻ったような。


ということで、カフェイン断ちは、これからも続けます。社交上の理由で、お茶程度は少しいただく場面はあると思いますが、コーヒーは飲みません。カフェインレスなら飲もうかな(笑)。


やってみてよかったです。自分の人体実験が好きなので、これまでも結構いろいろやってきましたが(炭水化物抜きとか、一日二食とか)、結果に満足しています。なにより薬物(カフェインも立派な薬物です)から自由になった感じがいいですね。自由になるのを目的に生きてますから(笑)。みなさんも、もし気になったら、それぞれのペースでトライしてみてもいいかもしれません。体質の違いもあるでしょうし、効果は人それぞれかとは思いますが、何かにチャレンジするってそれ自体面白いですしね(笑)。


そしてここからが本題のアドラー心理学のお話で、かささぎ座のその後です。前回、書きましたが、本当にかささぎ座は感動の波に包まれまくって遭難しかけるぐらい疲れたんですが、その甲斐あって、帰ってきて急遽開催した「ひとりかささぎ座」で、母との困ったエピソードがいい感じの物語に変わって、その興奮も冷めやらぬ中、急遽、リアルな母とのシームレスなエピソードが展開されて、なんか「ひとりかささぎ座」の流れのままに、リアル人生の物語もみんなが幸せな方向に変わっていったんですね。ここまでが、前回書いた内容でした。


その後なんですが…、なんと、最後の陰性感情発生源(いや、発生源は自分ですが(笑))、トリガーであった母とのそれからのもう8日間かなぁ、毎日会ってはいるけれど、陰性感情なしで過ごせています。不思議だなぁ、来るぞ来るぞと身構えている(自分が)感じが全然ない。ニュートラルに、いや、ややプラス、0.5くらいかなぁ(笑)、の感じで、突然の来襲(笑)にも対応…いや、そういう対応とかいう言葉をもはや使う必要もないくらいにリラックスして、普通な親子の会話ができている。母というよりも、自分の構えが全然違っている。


なんだったんだろう? 何年間も、こう「はっ! 来た! 対応しなきゃ!」という感じで身構えていたのになぁ…。頭じゃわかっているし、仏教でも母の恩より大きなものはないと教わるし、そうだなぁ…と、なんで、その大恩人に優しくできないのかと…。


もちろん調子のいいときは、「よい対応」ができることもよくありました。でも、「はっ! 来た! 対応しなきゃ!」で、ちゃんと協力的な方向に舵を切ってなんとか乗り切っている感じだった。


それが、かささぎ座の後、正確には「ひとりかささぎ座」の後だけど(笑)、ゆったり構えられているし、にこやかに、母の愚痴もそうだよねぇと受け止められるし、そのうえで、「母を賢くしてやろう」という自分のライフスタイルの悪弊を出すことなく(笑)、相手の目で見た場合の一例もふんわり提示できている気がする。やっぱり少しでも仲良くして欲しいから。これまでは裁きっぱなしだったのになぁ…(で、その後、しっかり後悔して自分を裁いてしまうのがセットに(笑))。


なんか、まだ早いかもしれないけど、アドラー心理学で解決できる最後の課題、解決してしまったかもしれません。残しておいたのになぁ(笑)。


思い起こせば、N先生にカウンセリングしていただいて、それで、一歩関係がよくなって、そこからは停滞したままだった。その後大先輩にライフスタイル分析してもらって、もう一歩進んだけど、解決!というところまでには至っていなかったんですね。それで、先生方にカウンセリングというか心理療法かなぁ…してもらえれば解決するだろうなぁとか、いやいや、これをネタにさらに自分が修行するんだとか、思っていたけれど…。


かささぎ座、恐るべし! 中身についてはもちろん書けないんですが、最後の劇、あれが凄かったんだなぁ、きっと。プロタゴニスト(主役)の勇気、あの勇気に、鍵野も勇気づけれれたんだなぁ、きっと。


競合的な世界を、自分の力で(先生方、共演者、観客の力も巻き込んで)、決意で、勇気で、協力的な世界に、相手と平等の位置で関わる世界に、相手を変えようという下心はこれっぽっちもなく、決然と、世界を変えてしまったあの人の勇気に、助けられたんだと思います。もちろん、その最後の劇に至るまでの9つの劇、人生のドラマがあったればこその、あの大団円が成就したんだなぁと思いますが。


かささぎ座に参加されたみなさま、先生方、あらためて、本当にありがとうございます。みなさんの勇気のおかげで、競合的から協力的に一歩踏み出す勇気のおかげで、平等の位置に立つ勇気のおかげで、長年の課題が氷解したように思います(これは脱カフェインせいではないと(笑))。


かささぎ座でくたくたに疲れた甲斐がありました。あれは、アドラー心理学を学んでいる人なら、絶対(めったに使わない言葉ですが)参加した方がいいです。何を置いても参加してください。生きているうちに(笑)。


今日もいろんな報告に来てくれた母の話を、豆から挽いたコーヒーを淹れながら(笑)、ゆったり聞いていました。コーヒーを淹れ終わって、飲んでもらいながら、自分はルイボスティー(笑)を飲みながら、ヘレンドのカップの話から、イタリアとかフランスやスペインに行った海外旅行の話とか(ヘレンドは自分のハンガリー旅行の土産だったけど(笑))、いつも名前を思い出さないなんとか広場の話とか、いろいろ話してくれました。


コーヒーを飲み終わるとこれから夕飯の準備があるのでそそくさと帰ろうかとする母の後ろに回って、久しぶりに、たぶん四十数年ぶりくらいに母の肩を揉ませてもらいました。


母:肩もみなんかしてもらったことあったかな
私:うん、小さいころに、たしか… よく覚えていないけど
母:そうかなぁ。ああ気持ちいいなぁ
私:じいちゃんとか、おばあちゃんにしてたとは思う
母:そうよなぁ…
私:じいちゃんは、足で踏んでたな。いつも十円くれてた
母:そうそう
私:おばあちゃんは肩を揉んでたと思う
母:ありがと。もういいよ
私:(そっと離れる)
母:夕飯の準備せんと
私:そうだね。ありがとう
母:こちらこそ。ごちそうさま、ありがとう

母の肩ってもっと大きかった気がするけど、あんなに小さかったかなぁ…

自転車を押しながら急いで戻っていくカーテン越しの母の姿に小さな声で「ありがとうございます」と合掌しながらつぶやきました。

 

読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。