アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

アドラー心理学って‥‥

こんばんは、鍵野です。年末ですね、みなさまいかがお過ごしでしょうか。


今朝は地区の皆さんと神社の大掃除をしました。鍵野がやったのは枯れ葉を掃いて集めるというようなことなんですが、みんなで小一時間ほど動いたら神社も周りもずいぶん綺麗になって気持ちのよい正月が迎えられそうです。みんなで協力するというのがいいんでしょうね。老若男女(若…はいなかったかも(笑))、それぞれのできること、得意なこと、気づいたことをやる。アドラー心理学を学ばずとも、共同体感覚ってみんなナチュラルに持ち合わせてるんですよね。


アドラー心理学に出会って9年目、来年には10年目になるんですが、ここ何年かは、いい意味で落ち着いているというか、かつてのギラギラした、学びたい! 学んでやる! という欲が薄くなって、時間とお金をたっぷり使ってどこにでも出かけていた頃が嘘のように、ほぼ九州内での学びに満足しています。


野田俊作顕彰財団(AIJ)の来年の講座予定が公開されたこともあって、来年の学習予定を考えてみたんですが、1月のAIJシンポジウム(オンライン)と、福岡市で開催される講座(11月7日・8日の特殊診断質問ワーク)と、これは日本アドラー心理学会系のイベントですが、2月に北九州市で開催されるN先生のオープンカウンセリングに参加できたら、それで十分かなと思っています。


全国のアドラー仲間と出会える、AIJの年次大会とか、有資格者が切磋琢磨する練成講座とか、今年は開催されるらしいAIJのカウンセラー養成講座にも行ってみたいのはやまやまですが、まぁ欲を言えばキリがなくなるし…足るを知るということで、自重しようと思っています。


お金をいただいてカウンセリングをするようになって3年目になりますが、この間、なんとか(ギリギリですが(笑))アドラー心理学の学習費(旅費交通費含む)は稼いだお金の範囲内に収まっているので、これからもできるだけそうしたいなぁというのもあります(カウンセリングのお客さんがたくさん来てくれて旅費を稼げたら、どんどん行くかも…いや、そうなったら忙しくて行けなくなるか(笑))。


今日はアドラー心理学って、そもそも何なのか? 何のために、何をするものなのか?という話をしたいと思います。


アドラー心理学というのは、アルフレッド・アドラー(1870-1937)というオーストリアのお医者さんが創始した心理学で、もともとは悩んでいる人の悩みを解決するための理論と思想と技術でした。ですが、この世の地獄のような第一次大戦を軍医として経験したアドラー先生が、戦争をなくすためには政治ではなく、教育だと。その仲間たちと、戦後の、ハプスブルク帝国が崩壊して、小さく貧しくなり荒廃したオーストリア社会民主主義的な新体制の中で立て直しを図る中で、子どもたち若者の教育にアドラー心理学の考え方を適用していこうと、世界最初の児童相談所をいくつもいくつも作って運営していったんですね。


その後、ヒトラー、ナチの台頭により、結局、アドラー先生たちの、教育を通じてオーストリアを世界を戦争のない社会に変えていくという運動は頓挫してしまうことになるんですが、でも、この想い、世の中から戦争をなくしたい、人が人を道具にすることをなくしたいという想いは、今も、アドラー心理学を学ぶ人たち、アドラー心理学を伝えていく人たちに受け継がれてきています。


政治運動ではなく、人が、競争より協力する方が幸せに暮らせることを学ぶことで、協力の仕方を学ぶことで、学んだ人はまだ学んでいない人の学びを援助することで、戦争のない社会を実現しようというのがアドラー心理学(ムーブメント)です。


なので、カウンセリングでも、じつは、相談に来られた方の親子関係にしろ、夫婦関係にしろ、職場の人間関係にしろ、それを協力的なものに変えるための考え方や具体的なコミュニケーション方法を学んでいただいて、それらの関係をよいものにしていくこと(だけ)が目的なのではなく、その先に広がる人間関係、国、世界、はては宇宙にまで協力的な暮らしを広げていきましょう、という狙いがあるんです。


そんな相談に来られた方の暮らしが変わることを通して世界を変えようなんて、大それた狙いがあるなんて、そんなの心理学の仕事ではないと、第一次大戦後にそういった「共同体感覚」を強く主張し始めたアドラー先生に愛想をつかして離れていった弟子たちがたくさんいたそうです。


それでも、そんなアドラー先生の考えにイエス!と言って、行動を共にした人がいたおかげで、この日本にもアドラー心理学が伝わって、鍵野も学ぶことができたんですね。ありがとうございます!


夫婦喧嘩している人が、親子喧嘩している人が、職場でいがみ合っている人が、平和を語るのは空しい…というのがアドラー心理学の見方なんです。まずは自分の身の回りの人間関係を平和にすることからだと。競合的な社会に文句を言う前に、まずは自分がパートナーと、子どもと、親と、きょうだいと、ご近所さんと、会社の同僚や部下や上司と、協力的に暮らしましょうよと。みんながそうすれば、あら不思議(全然不思議ではないけど(笑))、そのときには世界平和が実現しています。


家族が友人同士が協力的に暮らせれば、本当に助け合えれば、たいていのことは何とかなります。個人個人の能力の差を気にしなくて済むようになります。その人/世の中標準を計算して、その答えで一喜一憂するのではなく、 誰しもが、その人/その人=100%でゆったりのびのび生き生きと暮らしていけるようになります。


家族でも友人でもない人を奴隷のように道具のように操って自分の欲と怒りの目標を達成したい人たちは、そうなっては(操れなくなって)困るので、一人一人をバラバラにして互いに競争させ、決して助け合わないような雰囲気を醸し出すための宣伝(報道やエンターテインメント、実際に事件を起こすことなど)にお金を惜しみません。自分を除く全人類が不安と恐れの中で暮らすことが彼らの望みです。お金を稼ぐことで、その不安と恐れから逃れられるというデマを信じさせます(お金なんて共同幻想に過ぎないのに)。


それで、そのデマを信じてしまうと(みんなが信じるとあたかも現実であるかのような作用効果が出てしまうんですが)お金を稼ぐために、あるいはそのお金を稼ぐ能力を向上させるために、周りの本当に大事な人、本当の仲間との大切な時間を犠牲にして、本当はどうでもいいことのために時間と稼いだお金を使い続ける人生を送ることになります。


ロボットに投資して、AIに投資して、どこの国の人だろうと構わず人をどんどんどんどん廉価な労働力に変えていって、最終的に人がいなくなる世界でお金をかき集めることにいったいどんな意味があるんでしょうか。


子育ても家事も労働も何もすることがなくなったら、人はマトリックスの人間電池にでもなるしかないんじゃないかなぁ(Netflixの夢でも見ながら眠り続けるのか…)。


と、そんなディストピアへの対抗策として、いろいろ学んできたつもりですが、唯一有効だと実感しているのがアドラー心理学なんです。もちろん他にもあるのかもしれないけど、もうアドラー心理学をみつけたから、それ以上のものを探して時間をかけるよりは、残りの人生、これを伝えてできるだけ広めていくしかないと思っています。ただ、やみくもに伝道するつもりはなくて、だって押し売りしたとたんにそれはアドラー心理学ではなくなってしまうので(個人の主体性ですから(笑))。


で、何をするものなのか? という問いへの回答が残っているんですが、これはいたって簡単で、アドラー心理学は人と協力するものです。


覚った方でない限り、人は誰でも自分さえよければという目標を持って生きています。で、当然、人と人が出会えばその目標同士がぶつかってしまうので、どちらもハッピーという結果にはなりません。なので目標が実現できなかった人はその意味で不幸になります。実現できた人も、そのときはいいでしょうけれど、いつもいつも自分さえよければという目標が実現するはずもなく、また、ぶつかって目標が実現しなかった方の人(敗れた人)も性懲りもなく(生きている以上)、目標追及を続けるのでいつかリベンジされることになります。なので、結局お互いに不幸になります。


アドラー心理学は、自分だけではなく、相手もよいと思えるような目標に変えることをお勧めする心理学です。妥協と言えば妥協ですが、共存共栄を目指す心理学なんですね。その達成手段も競合的ではなく協力的な手段を選ぶことをお勧めします(一緒に考えます)。


で、それは結局可能です。人は競い合って暮らすものだというデマの洗脳が解けさえすれば、相手も自分も(今よりも)ハッピーになる目標を設定することはできます。そのハッピーはバラ色の未来というわけでもなく、ときにはいがみ合う夫婦が分かれる決断をすることだったりします。が、どんな状況でも協力する道は開かれています。理性的に自分の目標とその達成手段を検討することさえできれば。


みんなが自分の目標を点検して暮らすことのできる社会、みんながその考え方とスキルを身に付けた社会になればいいなぁ…


そのために、来年もできることをやっていきます。千里の道も一歩から…

写真は大先輩主催の福岡市(福工大前で開催)の自助グループの仲間募集チラシです。

鍵野も今年は皆勤賞で参加しました。福岡周辺にお住まいの方ぜひ一度足を運んでみてください。生きたアドラー心理学に出会えますよ!

 


今日も読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよいお年を!


生きとし生けるものが幸せでありますように。