こんにちは、鍵野です。
凍えるような厳しい寒さは去ったようで、まだ暖房のお世話にはなっているものの、そこまで寒くはない感じの佐伯上浦です。
昨日、13回目の確定申告を終えました。2月17日からだったなぁと思ったのですが、税金の取られ過ぎを戻してもらうための還付申告なので、早めでも受け付けてもらえるんですね。受け付けてもらえるといっても、e-Taxという電子申告です。紙だと青色申告の控除額が減ってしまうこともあり、電子申告も3回目です。
2月の終わりか3月の始めには税金が還付されて、まるっきりの勘違いではあるんですが、サラリーマンをやめて「ボーナス」に縁がなくなった身にとっては、なんだかボーナスをもらえるようで嬉しいです(笑)。でも、理性的に考えれば、そもそも払わなくてよかったはずの税金をずいぶん前に国に取られていて、それを返してもらうだけですから、喜んでいる場合じゃないですよね。延滞したら容赦なく延滞税を取るくせに、自分が先に取っておいた分には利息も払わないってのは…フェアじゃない気がします。僅かとはいえ、銀行に預けていたら利子を得られたはずのお金なんですし。
とはいえ、まぁ戻ってくるだけよしとして、今年予定していたアドラー心理学関連の学習費と旅費を増やそうかなぁと…いや、昨年末、予定外の車購入という出費があって手元資金がとっても淋しい状態なのでした。とりあえず何かあったときのための貯金かな。
さて今日のアドラー心理学について考えてみたいことは、自助グループの価値についてです。大先輩に譲り受けた日本アドラー心理学会の学会誌『アドレリアン』の昔のバックナンバー(創刊号はなかったのですが第2号からありました)を少しずつ読んでいるんですが、それで気づいたのが、知っている大先輩方の名前の随筆やら論文やらがちらほらあり、ずっとこの頃からアドラー心理学を学び続けてらっしゃるんだなぁと感心する一方で、現在のその方々のイメージがあって読むわけなので、何十年も前の出来事が書いてあるんだけど、いかにもその方らしいというか、まぁライフスタイルが出ているんだから当たり前と言えば当たり前なんだけれども、やっぱり人は(そんなに)変わらないんだなぁと(笑)。なんだかついこの前聞いたようなのと同じ自己反省の弁が書いてあるようにも見えて(笑)。
自分の人生に何の問題も感じないような人はアドラー心理学を学ぼうなんて思わないというようなことを野田先生がおっしゃっていましたが、アドラー心理学を学んだからといって問題がなくなってしまうわけではないんだ(笑)。たくさんの時間とお金を使ってアドラー心理学を学んで、自助グループ活動もその中心となって行っている大先輩方ですが、どこまでいっても人生の課題(ライフタスク)は降ってくるんですね(笑)。
かく言う自分も、こと人間関係についてはあらかた問題はなくなったと思ってはいるんですが、それでも、やっぱりないことはないなぁ…と。
なので、問題解決を目指して、先輩方も自分も、資格を取った後もまだまだアドラー心理学を学び続けているのか…と言えば、そうではないと思うんですね。
他の人のことは想像でしかなくなるので自分のことで言えば、やっぱりアドラー心理学(ドライカース派)が言うように「所属」を求めているのではないかと。
アドラー心理学が好きな人同士集まって、一緒に学んでいると、月並みな言葉しか出てきませんが、幸せなんですよね。どうかるすと、集まって学ぶための話題にするために、問題作ってるんじゃないの?って思うくらい(笑)。いつもこうなんだよねというレポートからではなく、具体的なある日ある所で一回だけ起こった出来事=エピソードから学ぶのがアドレリアンのたしなみなので(笑)。問題がなくなるとみんなの学習ネタがなくなってしまうので、みんなに貢献しようとしてがんばってトラブルを引き起こしているのではないかと疑いたくなったりして(笑)。
体験した人にしかわからないことですけど、アドレリアンの集まりって、みんなヨコの関係、平等で対等な人間関係を求めて実践しようとしている人の集まりなので、他にはない独特の、心地よくて温かい、それでいてベタベタはしていないクールな雰囲気があるんですよね。そういう場の一員として所属した経験があったら、もう病みつき(笑)という感じで、何時間もかけて車を運転して通ってしまったりするわけです(笑)。
そもそも自助グループって、アルコール依存から抜け出すための自助グループが最初だったと聞いたことがある気がしますが、何らかの依存から抜け出していくための、先生のいない当事者同士が助け合うグループのことだと思いますが、アドラー心理学の自助グループって何の依存から抜け出すためのグループなんでしょうか?
それはですね、競合的な暮らしから抜け出すための自助グループなんですね。ゆりかごから墓場まで、学校から会社まで、みんなが競争に競争を重ねて、競合的に暮らしていくのが当たり前という、競合に染め抜かれ互いに洗脳し合って暮らしているこの世界から、ほんのひと時でもいいから抜け出せる(可能性がある)のが、アドラー心理学の自助グループに参加しているときなんです。
それは本当に夢のようなひとときで、なんか世界が変わるんですよね、実際に。でも、夢と言えば夢ではあって、元の世界に戻るとまたまた慣れ親しんだ競合的な暮らしが始まるわけなんですが、でも、オルタナティブ、別の可能性があるんだということは、アドラー心理学の自助グループに参加すればわかるんですね。
なので、そういう協力的な暮らしの可能性を味わえる時間空間を提供できる存在であるアドラー心理学の自助グループを全国に増やしていって、日本人がそこに滞在する時間が相対的に高まっていけば、この日本もどんどん暮らしやすくなるはずだというような、夢のようだけど実体験に支えられた現実的でもあるビジョンを持って活動しているのが、アドレリアンなんですね。アドラー心理学がムーブメントだと言われる所以でもあります。
自分には何の問題もないけれど、困っている人たちのためにグループ活動を運営しようというのは、自助グループではないんですね。自分も競合依存の当事者として助けを求めている一人として、オルタナティブとしての協力的な社会の実験場でもある自助グループを運営していこうというのが、アドラー心理学自助グループのお世話役さんたちなんですよね。だから、大先輩方も今でも問題を大事にされているんだ(笑)。
自分のことは自分ではわからないからこそ(自分のライフスタイルは自分で分析できない)、競合依存者同士、アドラー心理学を学ぶことで、そこから抜け出すお手伝いをし合っていきましょう。そうすることで少しでも協力的な暮らしができるようにしていきましょう。それでも、競合から抜け出した先に所属できる何かがなければ、所属できないよりはたとえ競合的な集団にでも所属できた方がましだと思うのが、これまたアドラー心理学から見た人間観でもあるので、抜け出した先の受け皿としても自助グループが必要なんですね。そうやって協力的に暮らしていけるよねという仮想ではない具体的な人間集団がですね。
ということで、アドラー心理学を学んだからには、協力的に所属できる人間集団を維持運営していく努力に参加しないといけないんだなぁとあらためて気づきました。それがアドラー心理学ムーブメントに参加する、アドレリアンとして責任を果たすということなんだろうなとも。
じゃぁどうするかですが、やっぱり自助グループのタネを蒔いて育てていくお手伝いをすることと、気の合う自助グループに参加していくことと、学びの元ネタの供給源でもある、野田俊作顕彰財団と日本アドラー心理学会が存在し続けていくことに貢献していくことかなぁと思いました(少なくとも会費は払っていく(笑))。
ただ…、鍵野はアドレリアンである前に仏教徒であって、本気で仏教を学んで実践していくと、それだけで、現実の集団に所属はしていなくとも、もっと深くて広くて安穏な感じの所属感に満たされていくところが、そこまでムキになってやらんでもええがな、それこそ執着というもんや(なぜか関西弁)という感じもしてですね(これ自体自己欺瞞だったり(笑))。
まぁ、押し売りはしないというのは、仏教にもアドラー心理学にも共通していることなので、求められたらいつでも返事ができるように備えながら、お節介にはならない程度の宣伝もしつつ、アドラー心理学を伝えて続けていきたいとは思っています。
今日も読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。