アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

親の期待と課題の分離

こんにちは、鍵野です。
今朝は久しぶりに寒くて布団から出るのにちょっと気合が要りました。電気代よりも睡眠の質の方が大事だから暖房を付けたまま寝た方がいいと睡眠学者という方がYouTubeで言っていたのを聞いたことがありますが、布団の中は十分暖かいので寝るときにはエアコンを切ることが多いです。電気代、びっくりするほど上がってますもんね。


これもライフスタイルということになりますが、生活コストを上げてそれを賄うために仕事を増やすよりは、できるだけコストを下げて、やりたい仕事やるべき仕事にフォーカスして自分が自由に感じる時間を増やしていきたいので。


そういう意味で、社会人になってからいろんな暮らし方をしてきましたが、現在が一番理想状態に近いかもしれないなぁと思っています。お客さんはいるけど、上司も部下もいないし、たった今自分が死んでしまったとしても、自分の大切な人たち、まぁ家族と言える人たちみんな、それぞれ助け合いながら生きていける力があるのがわかっているし。お客さんだって、当てにしていた仕事をしてもらえなくなるので、ちょっとは困るかもしれないけど、それでも、なんとかするでしょうしね。無責任なことを言っているようですが、個人事業主かつ一人親方での仕事なので、最悪のときにはそれでも許してもらえそうな人間関係を前提に仕事を受けるようにしています。「もし死んだら仕事を完遂できません」とは契約書に書いてませんけども(笑)。経営コンサルティングの仕事なら、他にいくらでもできる人はいるし、いざとなればどうとでもなるだろうとかなり気楽ではあるんですが、カウンセリングの方はちょっとですね…。とくに10回とかのカウンセリングの途中で…となったら申し訳ないなぁ…それは。


じゃぁ続きはこの人にってお願いできるようなアドラー心理学カウンセラーがその辺にゴロゴロ転がっているわけじゃないですし(笑)。もし、そんなことがあったら、野田俊作先生検証財団(AIJ)のカウンセラーを探して訪ねてみてください。でも…、九州では…、鍵野の他と言ったら…福岡のYさんくらいかなぁ…。日本アドラー心理学会のカウンセラーさんにまで広げれば何人か増えるけれども…、ちょっと責任を持って紹介はできないよなぁ…「エピソード分析」はされないだろうし。すみません、そのときはそのときということでご勘弁ください(笑)。


組織に仕事を頼むのと、個人に仕事を頼むのとはやっぱり違いがありますね。法人か個人事業主かというそういう違いではなくて、一人で仕事をしているのか、チームで仕事をしているのかという違いですね。チームに依頼した仕事なら、誰かが動けなくなっても誰かがカバーしてくれますけど、一人でやっていたらその人だけですもんね。外注さんに協力してもらってということもよくあることでしょうけれど(鍵野は外注したことはないですが)、仕事を受けた事業主が倒れたら外注先だけでは動きようがないですし。


なので、もし鍵野にいくらでも資金があったら、「エピソード分析」をマスターしたアドラー心理学カウンセラーを集めたカウンセリングセンターのようなものを作りたいなぁ(笑)。往年の野田先生のアドラーギルドってそういうところだったのかもなぁと想像したりします。野田先生だけでなく、日本のアドラー心理学の治療共同体のハブとして、全国からアドレリアンが集まって、必要があればアドラー心理学カウンセラーがヨコの関係で相談に乗ってくれる安心安全の空間があったのではないかなぁと、かつては(体験していないのでファンタジー的になっていますが)。


チームでアドラー心理学カウンセリングを責任を持って提供できるところを作るのが、鍵野の夢かなぁ、と、今書きながら思いました。でも、可能性はあります。九州にも本気でアドラー心理学カウンセラーを目指している人は何人もいらっしゃいますし。それに、儲けるとか、いつでも、といった条件を除けば、資金もほとんどいらないですしね。そうだ! 今、思い出したんですが、実現しているところがあるはずです、今現在でも。北陸、金沢には、「エピソード分析」をマスターしたアドラー心理学カウンセラーが何人もいるんですよ、すごい! で、たしか、希望者にはカウンセリングをしているのではないかなと。一人じゃなくて、たぶんチーム金沢として動かれているような気がします、とっても仲の良いステキな先輩方なので。


そう考えると、金沢だけじゃなくて、じつは全国のアドラー心理学自助グループに複数名のアドラー心理学カウンセラーがいるところはいくつかあるはずなので、そこでも、既にチームとしてカウンセリングを提供されているのかもしれません。わざわざ商売としてのカウンセリングセンターを起ち上げなくても、そういうことができる自助グループがあれば、その方がよりアドラー心理学の動きらしいかもしれませんね。


ということは、やるべきは遠回りに見えても、地道に自助グループのタネを蒔いていくことなんでしょうね。さしあたっては、アドラー心理学を知ってもらう味わってもらうことかな、やっぱり。九州のアドレリアンと繋がりながら、飽きずに学習会、勉強会をやっていこうとあらためて思いました。


それで今日は子どもの習い事について「課題の分離」という視点から考えてみたいと思います。


お子さんがいる方、いた方、習い事はされていますか(いましたか)?


鍵野はと言えば、今は大学生の息子が子どもの頃、いろんな習い事をしていました。覚えているところでは、公文、スイミング、サッカー、ピアノ、エレキギターです。公文は母親(元妻)が、スイミングとサッカーは通っていた幼稚園で流行っていたという流れでなんとなく、ピアノとエレキギターは親父(鍵野)の強い希望でした。


何か楽器ができるということに憧れていたのかな、高校時代の仲のいい友達のほとんどがバンドを組んでいたり楽器を演奏したりする人たちだったんですよね。楽器を触ったのは音楽の時間だけという鍵野が、なぜか彼らと気が合ってですね。自分は無理でも子どもには楽器をという願望があったんですね。とくにエレキギターに関しては、楽器屋さんの二階でレッスンがあったんですが、小学校二年生から三年生にかけてだったと思いますが毎週楽しみに息子を連れて行きました。それで、しばらくして、息子がワンピースのテーマ曲を弾けるようになって、演奏してくれて、凄く嬉しかったのを覚えています。


でも、結局スイミング以外は息子もそこまでやりたいことではなかったのか、なんとなく立ち消えというか、フェードアウトする感じでやめてしまいました。親父としても、まだアドラー心理学に出会う前ではありますが、気乗りのしない人に無理やり何かを勧めるのは楽しくなかったので、ピアノもエレキもやってくれたことでそれなりに気が済んだこともあり、少し残念ではありましたが、まぁしょうがないよねという感じでいました。


これ、アドラー心理学で考えれば、親の課題を子どもに押し付けて解決してもらっているという、典型的な「課題の分離」ができていない親ですね(笑)。楽器が弾きたければ、自分でエレキでもなんでも弾けるようになればいいでしょうに(笑)。ピアノもねぇ、鍵野の親が妹のために買ってくれた古いピアノがあって、それが捨てられず、いいピアノだし…ということで、息子に弾いてもらいたいなぁって(笑)。お恥ずかしい話ですが、多かれ少なかれ親となったことのある人であればみなさん経験があるんじゃないでしょうか。


親の期待は、親の期待というくらいですから親の課題ですね。期待するのは自由なんですが、自分で実現するなり諦めるなりして解決しないとですね。私の課題をあなたが解決してくださいって…それは変ですもんね。


えっ? 私の課題を他人に実現させるのがアドラー心理学なんじゃないの? 親の期待を子どもに解決させる方法を教えてくれるからがんばって学んでるんじゃないの!って勘違いされている方がいるんですね。かなり多く…というか、ほぼ全員かも(笑)。


かく言う鍵野もその一人でした。いや、もちろん頭ではそうじゃないとわかってるんです。アドラー心理学は、自分のために他人を操作する方法を学ぶためのものではないって、わかっているつもりで、みなさん学ばれます。「自分が変わらなきゃいけないんですか? じゃぁやめます!」って潔く?ある先輩が主催されていたアドラー心理学の勉強会から去って行った方を目の前で見たことがありますが、そういう自覚的に他人を操作する方法を学びに来ていると意識して学び続けている人は滅多にいないはずです。


頭でわかってはいても、つい、なんとか自分の思い通りにしようと思って、習い覚えたアドラー心理学の技法を使ってしまうんですよね。


例えば… 
子:ピアノ行きたくないなぁ… 
母:今日ピアノ行きたくないって? そうなんだ。でも…、お母さん、あなたがピアノ上手に弾けるようなったら嬉しいんだけどなぁ
子:…でも…うまく弾けないし…
母:そう? 前より上手になってると思うけどなぁ
子:全然、練習してないもん…
母:昨日、やってたじゃない
子:あれは…遊んでただけだもん…
母:行ったら楽しいかもよ。お願いだからピアノに行ってくれませんか?
子:わかった…行く
母:よかった! 美味しいおやつ用意しとくね(やった!成功。話を聞いて、良い点に注目して、お願い口調で。さすがアドラー心理学! 私、結構やれてるわ)

 

これ、親子関係が悪くなくてお子さんが小さい(小学校低学年くらいかな)ときには、何度かはうまくいくかもしれませんが、そのうち、お子さんは、親がうまいこといって自分のことを操っているだけだって気づきます。気づいて反発してくれたらまだよくて、もしもそうでなく、お子さんがずっと素直に見える状態でうまいこと操られていってしまったら、あとで気づいたときにひどく復讐的になることだってあり得ます。


鍵野もアドラー心理学を習いたての頃、当時小学校低学年だった娘と当時中二だった息子の会話が思い起こされます。

娘:兄ちゃん、最近お父さん怒らなくなったよね
息子:いや、怒ってるよ
娘:そうなの? 
息子:うん

って、全然変わっていないのを息子には見抜かれていましたっけ(笑)。


親が子どもに期待するのは全然かまわない…というか、全然子どもに期待しない親というのもねぇ(笑)。子どもは親の期待は知っています。みなさんも自分の親の期待とか願いというのは知ってましたよね?


できれば期待に応えたいと子どもは思っています。基本的に子どもは親のことが好きだし、たいていのことは許してくれるくらい寛容ですしね。


それだけに期待は期待として子どもに伝えてもいいけれど、ぜひ実現させようと子どもを操作するのはアドラー心理学の子育てではありません。たまたま親の期待と子どもの行きたい方向が重なって、共にその実現に向かって喜んで協力し合える関係になれたらステキですが、それはたまたまであって、親も子どもも別人格で別の人間ですから、そんなことは滅多に起きることではないと思っておいた方がいいと思います。


そんな奇跡?を願うよりは、子どもが進みたい道を、その子なりの幸せに向けて成長していく道を応援してあげたいと思われませんか?


その子どもの応援、親と子が協力して暮らしていくために「課題の分離」があるんです。人と人とが協力していくためには、それぞれのやるべきこと、果たすべき責任を明らかにしておく必要があります。余計な手出し口出しをして相手の成長の邪魔をしないためにも、協力関係の中でそれぞれが受け持つパートを決めるために、まずはごっちゃになって見える課題を分離しましょうねというのが「課題の分離」です。親の期待は期待として、いったん親が自分で解決すべき課題だと引き受けた上で、私が相手のためにできることは何かを探していけるようにですね。


鍵野の例で言えば、エレキギターを弾けるようになって欲しい、音楽を暮らしの中でプレイヤーとして楽しんで欲しいというのは親の期待。いろんなことを経験する中で自分に必要なもの・ことを見つけて、チャレンジして経験して成長していくのは息子の課題。だとしたら、親である自分に何ができるだろうか? 息子がやりたいと思うことを実現できるよう、経済的・時間的にできる範囲で応援していこう。別にそれは楽器が弾けることではないよね、と気づけました(笑)。


それから、順調に?伸び伸びと育っていってくれて、これは期待していた部分ではなかったのですが、でも、ソフトウェアエンジニアとして基礎がなってないというか、文学部出身でなんちゃってエンジニアだなぁと思っていた親父がそうありたかった姿、しっかり情報系の大学でソフトウェア工学の基礎からしっかり学んでいる息子がいます。なんか嬉しいです。もうたいしてできることはありませんが、これからもできるだけ応援していきたいと思っています。


アドラー心理学、本気で学べば人生がいい方向に変わっていくのは間違いありません。ぜひ、お近くの野田俊作顕彰財団または日本アドラー心理学会関連の自助グループ(学習グループ)をみつけて一度参加してみてください。本ではわからない味わえないアドラー心理学に出会えると思います。九州にお住まいでアドラー心理学を学んでみたいという方は、ぜひお声がけください。一緒に学んでいきましょう!よろしくお願いいたします。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。