こんばんは、鍵野です。
何日か前から隣の空き家の解体工事が始まりました。音を心配しましたが、カウンセリングの部屋にはあまり響いてこないようで、とくに影響もなくよかったです。
鍵野の住んでいるところは田舎ですから、空き家もたくさんあるわけですが、始めがあれば終わりもあるというか、いろんな夢と希望を持って建てられて当初はピカピカに輝いていたであろう家も、確実に古くなって、人が住んでいるうちはまだいいけれども、誰も住まなくなったら加速度的に劣化が進んで、やがて壊さざるを得ないときが来るんですよね。
壊すにもお金がいるわけで、しっかり壊してもらえる家はまだいいかもしれませんが、朽ちるに任せるかのような家を見ると少し残念な気持ちになったりします。もちろん諸事情があって致し方ない面があるんだと思いますが、立つ鳥跡を濁さずというか、ちゃんと片付けてからさよならをしたいものだなぁと…。でも、終の棲家と思って暮らしていて、そこで本当に最後の時が来たら本人にはどうすることもできませんもんね。相続した人がなんとかしてくれることを期待するんでしょうけれど、負動産とも言われるくらいに、家を解体して更地にして売ってからお釣りが来るような条件が整わない方も多いのではないかなと。
日本人は持ち家志向が強いと言われてきましたよね。田舎の人は特に家を構えて一人前というような感じもあるし、「あの人は家を3軒も立てた」というのがとても凄いことのように言われているのも聞いたことがあります。
みなさんは持ち家派ですか? 賃貸派ですか? 鍵野は断然賃貸派です。ここ「鍵野の家」も立派な借家ですし(「の」は所有の意味ではない(笑))。
それでも、自宅としてのマンションを2回買って2回売ったことがあります(横浜市と東京市部で)。ということは元は持ち家派だったんですね(笑)。おかげさまで、居住した期間の家賃が浮いたと考えれば、売買手数料等を引いても、損はなくてよかったです。買ったり売ったりとっても面倒でしたけれども(笑)。
日本人は「人からお金を借りるな」と親に教わる人が多いように思うんですが、なぜか住宅ローンと車のローンだけは別腹という感じで、思い切ってというよりは割とあっさり利用する方が多いように思います。鍵野も車は全部現金でしたけど(中古で年式の古いの専門(笑))、マンションは住宅ローンで買いました(というかローンじゃないと無理(笑))。
その辺が凄いというか面白いなぁと思います。日本人はあまりリスクを取らないような気がしていましたが、実は多くの人がものすごいリスクを取っているんですよね。
住宅ローンで家を買うということは、
1.これからも今以上の収入があり、この先ローンが支払えなくなるような事態になるとは思っていない→収入が減るリスク
2.何らかの事情で引っ越したくなるような事態になるとは思っていない→環境(人間関係、家族構成含め)が変わるリスク
3.地震、津波などの災害で家がダメになるようなことがあるとは思っていない→自然災害に遭うリスク
という、少なくとも上記3つのリスクを取った上で実行しているということになると思います。
もし賃貸であれば、
1.収入の変化に応じて、住むところを変えることができる
2.環境(人間関係、家族構成含め)の変化に応じて、住むところを変えることができる
3.地震、津波などにあっても、家財は別として、家自体はもともと自分の家ではないので価値がなくなっても大丈夫
なので、かなり気楽ですよね。固定資産税も払わなくていいですし、冒頭で書いたようなその後の解体費用とか不(負)動産を子どもに相続させる心配をしなくて済みますし。
年を取ると、借りようにもなかなか貸してくれるところがなくて困るという話も聞きますが、これだけ高齢者が増えてくれば、そのビジネスチャンスを見逃さず、しっかりものにする事業者がたくさん現れてくるでしょうから、そんなに心配はいらないのではと思います。
まぁ持ち家はロマンだと言われればそれまでではありますが(笑)。
それでアドラー心理学で言う「ライフスタイル」というのも、住宅ローンを払い続けている持ち家みたいなものではないかなと、思ったりします。家と違うのは、それを持つのがずいぶん早くて、5歳から遅くとも10歳くらいまでにはしっかり出来上がってしまうというところです。
私は、今はこういう存在で、そのままでは相手にされずみんなの仲間にはなれないんだけど、こういう存在になれれば、一目を置かれてみんなの仲間でいられる、だからこうするという、その人ユニークな人生の法則、人間社会を生き抜くための無意識的なサバイバル戦略が「ライフスタイル」なんですが、5歳頃からそのライフスタイルで暮らし始めて、よっぽどのことがなければ死ぬまで変わることがないんですね。
住み慣れた我が家なので、どこに何があるか全部把握していて、多少の不便さはあっても期待を裏切られることはありません。使いにくいキッチンはいつでも使いにくいままですが、それはそういうものだと全然気にしません。
それでも大人になって、そのライフスタイル形成期に出会った人とは違う人たちと付き合うようになり、家族になったりしたら大変です。住み慣れた我が家に勝手を知らない闖入者が現れて暮らし始めるようなものですから、自分のオリジナルの家族(父母きょうだい)のようには動いてくれなくて、やたらめったらとぶつかるようになってしまいます。そりゃそうですよね、だって、相手もその人にとっての住み慣れた我が家のイメージの中で動いているわけですから。相手にしたら、こちらがやたらとぶつかってくる迷惑な人と見えているに違いありません。
それでお互い傷つけ合いながらもなんとかかんとか我慢と妥協をしながら暮らしていければいいのですが、もうダメ!我慢できないとなって、アドラーカウンセリングを受けに来られる方がいらっしゃいます。
ここで大きく2つの取り組み方の違いがあります。ライフスタイルという住み慣れた我が家の中で、よくぶつかるパターンを理解して、同じようなことが起きたらもう少しうまく対応できるようになることを目指す方向と、ライフスタイルという我が家から離れて、少し自由になって、特定のパターンだけではなく一網打尽的にそもそもぶつからないようになることを目指す方向とが。
前者が、問題解決を目指すいわゆるカウンセリングで、後者が、人格的な成長を目指すライフスタイル分析を伴うセラピーです。
問題解決であれば、一回だけのカウンセリングでも、ことその問題と似たような問題であれば解決できる可能性がかなりありますが、いろんな問題を根こそぎ解決しようとなると、5歳の頃から住み慣れた我が家(ライフスタイル)から(少しは)離れて暮らせるようになることを目指すわけで、相談者さんとカウンセラーとが協力しながらテキパキと動けたとして10回程度はかかるので、単発のカウンセリングに比べて時間的にも費用的にも負担は大きくなります。
どちらがおススメか? 時間的費用的問題がクリアできるのであれば、それは断然ライフスタイル分析を伴うセラピーをおススメします。体験した人にしかわからないですけれど、最後までしっかり取り組まれれば、本当に世界が一変しますから。それまで問題と思っていたことがもともと問題ではなかったこと、自分のライフスタイルが自作自演的に作り出していた幻に過ぎないことがわかってしまいます。慣れるまではフワフワして方向感が定まらない感じで戸惑う方もいらっしゃいますが、それはライフスタイルに縛られて自分の目標追及に汲々としていた(奴隷のような)人生から解放された印で、とっても喜ばしいことです。慣れてくれば落ち着いてきて、無理に方向を定める必要もなく、周りから自分の欲に染まっていないニュートラルな情報が入ってくるようになるので、周りの人のニーズ(必要)にしっかり応えながら充実して暮らせるようになります。こうなれば住宅ローンも完済ですね(笑)。
ライフスタイル分析では、ライフスタイルをいったん短くて覚えやすい言葉にするんですが、大事なのは、徹底的にそれを確認することです。あっちもこっちもそっちもどこへ行っても自分のライフスタイルばっかり。問題は全部そこから来ていることを嫌というほど確認するフェーズがとっても大事なところです。ここをカウンセラーと一緒に勇気を出してじっくり乗り切ることができれば、そのときがきっと来ます。フッと憑き物が落ちたかのように、素直に周りのことを見て聞いて感じることができるようになるときが。なので、ぜひライフスタイルを言葉にした後こそ大事にして欲しいんですね。自戒を込めて言うんですが、ライフスタイル分析は、中途半端にならないよう、慎重に目標の一致を取って、どこまでやるのかの覚悟と見通しを持って始めないとですね。
その点、スポットのカウンセリングであればとりあえず代替案を持って帰っていただいて、応急処置的にパッチを充てる感じで、来た時よりはよくなってもらえるように(最悪でも来た時のままで(笑))動けばいいので、気が楽ではあります。その人の住み慣れた我が家(ライフスタイル)はとりあえずそのまま置いておいて、ある特定のぶつかりやすい場所での動きを一緒に考えればいいのでですね。うまく使えば、住宅ローンはまだあるけれど、破綻なく暮らせてはいけそうですね(笑)。
明日は一年がかり(そんなはずではなかったんですが…)の大仕事の仕上げの一仕事が控えています。アドラー心理学ではない方の仕事ですが(笑)。そこを越えれば楽しみにしている福岡の久しぶりのエピソード分析の学習会が待っています。最後までしっかり責任を果たしてスッキリした気持ちで福岡に向かいたいと思っています。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。