こんにちは、鍵野です。
9月に入ってだいぶ涼しくなってきて、エアコンも日中だけ使う感じになりました。秋が近づいてるんでしょうね、夜になると虫の音もよく聞こえてきます。先日の小林市での講演会の様子が小林市の広報で紹介されていました。理論をお伝えしたところをピックアップしてくださって嬉しかったです。今回は試食という感じだったので、小林市でアドラー心理学を学ぶ方の実践に向けてさらにお手伝い出来たらと思っています。
ほとんど本を買わなくなってしばらく経つんですが、この前紹介した「ピダハン」の本もそうですけど、例外的に林千勝さんの『原爆は「日本人」へ二十数発投下せよ!』という本を買ってしまいました。林さんがロスチャイルド家について書いた本もそれまで知らなかったことがいろいろわかって凄い本だったんですけれど、この本は、日本人として知っておかないとという、それまで知らなかったことが書かれていて、買って、読んで、本当によかったです。
広島平和記念資料館には2度行ったことがあって、本で紹介されているルーズヴェルトとチャーチルによる「ハイドパーク覚書」も読んだはずなのですが、「原爆は日本へ」ではなく、「原爆は日本人へ」だったことにピンと来ていませんでした。当時の米英の指導者が日本人へならいいだろうと考えていたというのは、恐ろしいというか、おぞましいというか…
戦争に勝つためではなく、巨費を投じた原爆開発の成果を示すため、効果測定のためにも、1発、2発ではなく、新しい車を開発でもしているかのように、当時の責任者たちが、生産ラインのキャパと輸送能力を考慮しながら、冷静に月に3発ずつは投下可能と検討している文書も示されていて、広島の惨状(彼らはそれを成功と)も充分知っていながら(知っているだけにでしょうけれど)、原爆に殺された人間、彼らの仕事によって、殺されるであろう人間の苦しみを一顧だにすることのないやり取りが紹介されています。
少しでも原爆の効果を高めるために、あえて広島など攻撃目標の都市の空爆をしないでいて、しかも、恐ろしいことに、8月6日、原爆を投下するために広島市を目指したエノラ・ゲイは、いったん広島方面に行って、空襲警報を発令させて避難させておいて、そこから向きを変えて、警報が解除されて、勤労動員で少年少女も含めて、一番人が広島市中心部に集まって動き出す時間帯を狙って、再度広島市上空に表れ、そこで原爆を投下したというのです。飛行計画は真っすぐ広島市を目指すもので、それは残っているんですが、実際の飛行記録は残っていません。どうしてその向きを変えたりなどがわかったかというと、当時の日本の防空監視体制を担っていた人々の証言があったためです。前日も米空軍は何度も空襲警報を鳴り響かせるような行動をして、狼少年効果を狙ったのだろうとも言われています。人々が防空壕に入っていると、原爆の効果が著しく弱まることを米国はよく知っていたためです。実際、当時防空壕にいた人々は、その後の後遺症についてはわかりませんが、爆発直後でも、皮膚が焼けただれるようなこともなく、普通に外を歩けていたそうです。
これが悪魔の仕業であれば、まだ救いがあるかもしれません。救いがないのは、そうではなくて、普通の米国の人々、普通に仕事をしている軍人、役人、政治家が、家に帰れば夫として父として兄として息子として家族を愛して暮らしていたであろう、刑務所に収監されていたわけでも精神病院に隔離されていたわけでもない人々が、冷静に計画して実行したことだということです。
広島、長崎で多くの人が苦しんでいた最中にも、「原爆を日本人に」という仕事を完遂した彼ら彼女らの多くは、楽しく彼ら彼女らなりの幸せを感じながら暮らしていただろうと思います。米国人が特別ひどいというわけでもなく、アウシュビッツに代表されるユダヤ人抹殺計画を冷静に執行していたドイツ人も、スターリンの粛清に加担したロシア人も、文化大革命で大量に同国人を殺害した中国人も、状況が状況なら、日本人でも、何人でも、人間はそういうことができる生き物だということが証明されてしまったということですね。
3発目は東京に投下することをトルーマン大統領が了承した記録も紹介されています。昭和天皇のご英断がなければ、東京は広島以上に悲惨なことになっていたはずです。
そして、本では付録として米ソ共同作戦「プロジェクト・フラ」についても紹介されています。ソ連は、ポツダム宣言後に北方四島を占領したわけですが、なんと、それは米軍の長期間にわたるソ連兵への訓練と艦船の百数十隻を無償貸与により実現したことだったというものです。ソ連には米国の海兵隊のような戦力はなく、米国の熱心な助力なしの作戦遂行はできなかったということです。
戦争に負けるということは、敗者になるということは、そういうことなんでしょうね…
だからリベンジ!…なぁんてことは、やめましょう。キリがないですから、本当に。ガザに広島、長崎のような原爆を落とすべきと取れるような発言をした米国議員がいたそうですね。一番核兵器を持っている国の代表が、そういう人だとしたら、理性的に話し合っていくべき、なんてことが通用するはずもない気がしてきますが、それでも、唯一の被爆国である日本だからこそ、暴力ではなく理性で、どちらか一方ではなく、互いの幸せのために、妥協点を求めて歩み寄っていくことをあきらめてはいけないと思います。
やっぱりアドラー心理学の普及しかないなぁと、思っています。共同体感覚を育成していくこと。味方だけ、自国民と同盟国民だけが仲間なのではなく、敵国民、仮想敵国民も、同じ人類の仲間であって、同じように自分が大切で家族を大切に思って暮らしているんだということに思いを致すこと。目の前の仕事が他の人、狭い意味の仲間以外の人たちにどのような影響を与えるのかを責任をもって考えること、奪うのではなく分かち合うこと、そんなことが呼吸をするように当たり前にできるようになるレベルまで人類が成長するためには、みんながアドラー心理学を学んで実践するしかないと思っています。
世界の平和、人類の平和は、それを声高に叫ぶことでもなく、軍備を減らすことでも増強することでもなく、今日、たった今の、目の前の人に対して、あなたが何をするか、何を言うかにかかっています。目の前の人と折り合えない人が世界平和を謳っても空しいだけです。一人一人が、自分が関わる人と折り合いをつけながら、嫌いでもいいから、自分だけでなくその人も幸せであるようにと願いながら暮らしていくことができるようになれたとき、ようやく人類の平和について真剣に話し合えるようになる気がしています。
野田俊作顕彰財団(AIJ)あるいは日本アドラー心理学会の認定カウンセラーから直接学ぶことができれば、何も知らないところから(他の心理学は知らない方がかえって早い(笑))半年あればアドラー心理学を身につけることができます(本気で学ぶのが前提ですが)。
理論と思想と実践方法を学んで、日常生活の中で実践を繰り返しながら、カウンセラーの先輩にコーチしてもらえば、周りの人と協力しながら貢献的に暮らせるようになります。貢献的に暮らせるようになれば、周りの人を幸せにするので、結果として、自分も幸せを感じて暮らせるようになります。
アドラー心理学のある暮らしを想像してもらうのは難しくて、ポケベルもないような時代の人に、スマホの便利さをわかってもらおうとしているようなものなのでですね。別になくても困っていないんだけど(知らないから)、使ってしまえばそれなしの生活は考えられないようになるようなものなんですよね。
ということで、どんなに美味しい料理でも、食べたことがない人に、「美味しいよ、美味しいよ!」と言っててもしょうがないので、試食してもらうしかないなと。アドラー心理学の試食と言うと、既にアドラー心理学が身についている先輩とリアルに交わってもらうことですね。講義でも、ワークショップでも、自助グループでも、勉強会でも、カウンセリングでもいいんですが、そこにアドレリアンがいれば、ちゃんとその味は伝わると思います。
原爆が使われない未来のためにも、できることからやっていくしかないですね。一人とか二人しか来なくてもいいから、やっぱり勉強会をときどきやろうかな? 勝手に単独アドラー心理学ライブツアーという感じで、九州各県を回るとか(笑)。ちょっとしたスペースがあればいいので、お客さんを待っているよりは貢献になるかもなぁ… 楽しみながらいろいろ考えてみます。役に立った実績と自信はあるので(笑)。
林千勝さんの本、ぜひおススメです。広島、長崎を経験した日本人の子孫として、一度読んでみられたらと思います。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。