こんばんは、鍵野です。
今日は午前中は母の買い物の運転手、午後から経営コンサルティングのお仕事だったんですが、午前にいったスーパー、木曜日は特売の日ということで、駐車場もずっと満車状態が続いていて、レジも大行列でした。普段は駐車場もかなり空いてる感じだったと思うんですが、凄いですね、混雑に時間を取られたとしても少しでも安く買いたいというみなさんのエネルギーが。うちの母もその一人なわけですが、鶏肉(もも肉だと思います)が100グラム88円だったと喜んでました。
でも、車で往復1時間、買い物に1時間~1時間半かかって、合計2時間~2時間半の時間がかかるわけで、ガソリン代も考えれば、単価は高くなっても生協とかで頼んで配達してもらった方が楽だし安いと思わないでもないんですが、自ら買い物に行くことに大きな意味がありそうなんですよね。
鍵野も当然買い物はするんですが、子どもたちのために料理をしていた頃は、メニューを考えながら生鮮食料品売り場をウロウロしていたので、そこそこ時間をかけていましたが、今では冷食中心に(笑)、いつも買うものは大体決まっていて、それぞれ行く店も決まっているので、そんなに時間はかかりません。
女性の方がスーパーを買い物かごを下げて、あるいはカートを押しながら歩いている姿を見ると、森で木の実や果物を探しているはるか昔のご先祖様の姿が重なります(笑)。いつも行く店であるからこそ、少しの変化も見逃さず、ゆっくり巡回パトロールしながら、家族の食卓をイメージしつつ季節の移ろいも感じられているのかなと想像します。立ち話をしている姿もよく見かけますが、大切な情報交換の場でもあるんでしょうね。
きっとあの時間が大切なんですよね、単に食材を得られればいいわけではなくて、自分の足で探して家族のために大切な食料を採集してきたという充実感が必要なんだろうなぁと。母にとってもそうだと思うので、せめてもの親孝行と、週に一度くらいは喜んで買い物ツアーの運転手を続けていくつもりです。仏教徒としては仕事よりも優先すべきことなはずですし。
今日は「大切な話」という日本のアドラー心理学に伝わる劇薬について考えてみたいと思います。というのも、最近帰省している息子に久しぶりに大切な話を聞いてもらったからです。この「大切な話」というのも出所はやはり野田先生なのですが、子育て学習プログラム「パセージ」の上級編である「パセージ・プラス」で教わります。
なんで「劇薬」なのかというと、非常に強力なので親が子どもを支配する目的で使ってしまうと親子関係をボロボロにしてしまいかねないからです。
話す内容は「大切な話」というくらいですから、大切な話です(笑)。大切なことを相手に理解してもらうのが目的です。とっても大切なこと、これはどうしても伝えておかなければということに限るのが大事です。
息子にも娘にも何度か「大切な話」をしたことがありますが、いつも真剣に聞いてくれて理解してくれました。何年かに一度あるかないかくらいの本当に特別な機会として使用するのが大事だと思います。毎週のように使っていたら、たいして大切じゃないと思われてしまうでしょうし(笑)。
と、ここまで書いておきながら、「詳しくは「パセージ・プラス」を受講してください」で終わってしまっては、ちょっと申し訳ないので、もう少し続けますが、「パセージ」を卒業した人がようやく扱えるかもという劇薬ですから、やってみようとは思わないでくださいね(笑)。アドラー心理学を学べばできるようになる凄技(笑)の一つとして記憶の片隅にとどめていただけたら十分です。
まず、大切な話をするためにしっかり時間を取ってもらうことが大事です。聞いてもらう人の都合に合わせてですね。
それから、真剣な話、大切な話をするときにはする人だと、相手に信じてもらえていないと話になりません。言ってることとやっていることが違う人だと相手に思われている人には「大切な話」は難しいと思います。もちろん、親であっても、たくさん間違う人、たくさん失敗する人なのは、人間なんだから当たり前で、そんなことは子どもたちは気にしませんが、もしその間違いや失敗を嘘で繕う人だと思われていたら、「大切な話」も噓話の一種と受け止められてしまうかもしれませんので、「パセージ」の基本に立ち返って学び直した方がいいと思います。
そして、伝えることを伝えたら(それが大切なのであれば親の期待を伝えるもよし)、それをどう判断するかは完全に相手に任せる覚悟ができていないと「大切な話」はできません。自分の意に沿うような判断をさせようと動くのであれば、それは相手を洗脳しようとしているということで、対等の人間として相手を尊敬・信頼できていないことになりますから、そういう状態で「大切な話」を使うのはダメ絶対です。相手をひどく傷つけてしまうことになって、互いの関係が修復できないくらいに壊れてしまうかもしれません。
なんだかいろんなお作法がありそうな話をしていますが、要は、大切な話を聞いてもらう時間を作って、大切な話をすればいいだけです。それまでに築き上げてきた互いの信頼関係の上に成り立つ話なので、一朝一夕ではできないですけど、逆に言えば信頼関係を築き上げてさえいれば、できるという意味です。
息子への何年ぶりかの「大切な話」は、今月で二十歳になった息子への最後の「大切な話」のつもりでしたものでした。鍵野がいろいろ学んできて経験してきて、息子が幸せに暮らしていくためにこれだけは伝えておきたいということを伝えました。親父としての希望も添えながら。しっかり理解してくれたようでした。それを理解した上で、どうするかについてはあなたに任せますということもしっかり伝えて、20分くらいで終わりました。
高校生になったときから、もう子どもではなく一緒に協力しながら暮らしていく一人の大人として息子と付き合ってきました。彼なりにいろんな苦労をしながら、大きく成長して、希望の大学に入ることができ、一人暮らしも2年目に入って順調そうで何の心配もないんですが、それでも不安の種をみつけようと思えばいくらでもあるものですから、最後のお節介と思いながら今後の彼の人生を守ってくれるであろう本当に「大切な話」をしました。
息子にはアドラー心理学のアの字も話をしたことはないんですが、これまで息子が自分に起きたことを人のせいにするのを見たことがありません。また、自分を責めて深刻に暗くなっている様子も見たこともありません。いつもたんたんと自分にできることをして無理なく楽しそうに暮らしていて、親バカ全開ではありますが、本当に立派に育ってくれたなぁ、自分は恵まれているなぁと思っています。
まだ大学は夏休み中なんですが、塾講師のバイトがあるということで(数学と英語を教えているそうで、それなりにお役に立てているようです。よかった!)、そろそろ福岡に戻る息子ですが、今回伝えた「大切な話」を活かしていってくれたらいいなと願っています。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。