こんばんは、鍵野です。
東京から大分に移ってこの八月で丸12年が経過しました。ということはサラリーマンを辞めてからも12年経ったということで、いろんな人の助けをもらいながらではありますが、なんとかかんとかその気になれば暮らして来れるものだなぁとあらためて思います。基本、いい国なんでしょうね、日本は。
ローンのたっぷり残った東京のマンションを売りに出して、大分で自分だけで一応内見はしたと思うんですが、賃貸を契約して、妻と子どもたちと東京を離れる記念ということで東京タワーを見学してから、バタバタと引っ越してきたのでした。息子は8歳で小学2年生、娘は1歳でした。
つても何にもないところから、中小企業診断士、経営コンサルタントです、大分に来て独立して仕事始めました。なにかありましたらよろしくお願いしますって、公的支援機関中心にいろんなところに営業の挨拶に行きました。
なんでしょうね、どんな目算があったのかわかりませんが、貯金を取り崩しながら暮らす中で、ポツポツとお仕事をいただけるようになり、なんとかかんとか食べれるようになっていった頃ですかね、よろず支援拠点という新しい国の中小企業支援政策が始まって、その大分県の代表のコーディネーターに応募してみないかというお話をいただき、大分で活躍されている先輩方もたくさん応募されているようだったのですが、東京から大企業を辞めて来たというキャリアの物珍しさもあったのか、初代のコーディネーターとして採用されました。大分に来て仕事を始めて1年ちょっと経った頃だったと思います。
そこからは怒涛の忙しさで、経営相談を受けるのがメインの仕事なんですが、自分が相談を受けるだけではなくて、自分がこの人はと思ってメンバーになってもらった人たちサブコーディネーターの相談へのアドバイスとか、全体の相談の進捗管理とか、国への報告書類の作成とか、家に帰らずホテルで仕事をしていることもよくありました。
国としても初めての事業ということで手探りしながらだったからと思うんですが、やりたいようにやらせてもらって思い切ったことができてとても楽しく、大分の事業者さんにも好評で、相談件数も増えていって、やってよかったなぁと思いました。
それでも、全国的にも好評だったからと思うんですが、実験的な段階を過ぎて、継続的な事業として定着の方向に舵が切られたからかもしれませんが、今思えば当たり前ですが、国の仕事ですからね、鍵野のやりたい支援をやるという我儘はだんだん通らなくなってきました。
まだまだアドラー心理学に出会う前の、幼い鍵野でしたから(なにせ5歳ですからライフスタイルは(笑))、正面衝突という感じで、まぁ、はっきり言ってクビになりました。数字の面では当時としては全国でも上位で、お客さんからの評判も良かったんですが、公的機関で働く器ではなかったんですよね、もともと(笑)。
それで、国の仕事をクビになるということは、それはいい評判ではないですし、仕事も収入もガクンと桁違いのレベルで減ってしまって、離婚もしましたし(笑)、シングルファーザーとして子育てもしっかりやっていかなければということにもなり、おかげさまで、自分の生き方を省みるいい機会をいただけて、そんなこんなで、アドラー心理学に出会うことができたんですね。
なので、本当に、負け惜しみでもなんでもなく、本心から、あのときクビにしていただいてよかった(アドラー心理学的に振り返ると、無意識的にそこを目指して行動していた気もしています)と、国や県の担当の方たちに感謝しています。ありがとうございました! 間に入って苦労されたあの人やこの人の顔も浮かんできます。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。
でも、当時、相談に来られた数多くの事業者のみなさまに対してはやましいところはこれっぽっちもなく、事業者のみなさんの方を向いて最後まで仕事ができたことは誇りに思っています(その分、国や県の諸事情を忖度するだけの度量が足りず、結果として支援を継続できずに期待してくれていた方々にご迷惑をかけたのは事実なので、今振り返ればそこは申し訳ないと思っています。すみませんでした)。
アドラー心理学に出会ってからは、実体験としてアドラー心理学を学べば幸せになれると確信できたので、アドラー心理学を伝えることこそ自分のすべき仕事だと思って、それを最優先にして暮らしてきました。
アドラー心理学を伝えるには、野田先生のおっしゃることをそのまま素直に受け取っていましたから、カウンセラーにならないといけないと。カウンセラーになるまでは、アドラー心理学を人に伝える資格がないんだ、「アドラー心理学」という言葉さえ出すべきじゃない(今はそうは思ってませんが)と自分を戒めてましたので、子育てと生活のための経営コンサルタントの仕事をこなしながら、アドラー心理学最優先で学んできました。
それで、想定よりもかなり時間はかかりましたが、ちょうど2年前の8月にようやく野田俊作顕彰財団(AIJ)と日本アドラー心理学会の認定カウンセラーになれました。
そこからカウンセリングを仕事としてできるようになる自信というか確信というか確証が持てるまで、自分なりに学びと経験を深めていきました。
それで、あるとき、「カウンセリングといっても、やるべきことをやればいいだけだ、やるべきことはこれとこれとこれ…とたくさんあるけれど全部わかっている、そしてそれはしっかり落ち着いてやれば全部できることだし、これまでもできたことだ」という、自信といった曖昧なものとは違った、確信のようなものを得ることができて、昨年7月からプロのアドラー心理学カウンセラーとして、お金をいただいてカウンセリングすることを始めました。
現在、そこから1年経って、そんなにたくさんカウンセリングのお客様がお見えになるわけではないですが、来ていただいた方には自分の実力なりではありますがお役に立てている実感があります。経営コンサルティングの仕事もあって、合わせ技なら食べていくことはできているし(笑)、カウンセリングを始めてよかった! 幸せだなぁと思っています。自分が(世俗的に)一番価値があると思っているアドラー心理学で人のお役に立てているというのは、他に代え難い、もの凄く充実した経験で、(世俗的には)これ以上の幸せは望めないだろうというくらいに嬉しく幸せに思っています。
事業をされている方はみなさん経験されていることだと思いますが、SNSとかネットで集客をお手伝いする系の営業電話がよくかかってきます。カウンセリングのお客さんかもと思うので出るんですが、冒頭のお話だけ聞いた後「自分のペースでボチボチやってて満足してますので、他の方に…」という感じでお断りしています。
そりゃぁ、まぁ、お客さんが増えても全然大丈夫なんですが(基本的に暇にしてるので(笑))、でも、無理に集める性質のものでもないし、カウンセリングを商売にされている方は他にもたくさんいるんでしょうし、こんな田舎の中の田舎に来てくださるような奇特な人(笑)、特にアドラー心理学に縁があった人が来てくださればいいのかなとも思っているので、今のペース、忘れたころに次のお客さんが来るというようなペース(笑)でこれからもやっていくつもりです。
オンラインでのカウンセリングはやっていないんですか? ともよく聞かれるんですが、それはやりません…、というかできません。相談者さんの反応を知るためのコミュニケーションの帯域が狭すぎますもん、オンラインでは。それではとても怖くてギリギリのところに踏み込めません。そんな及び腰ではアドラー心理学カウンセリングはできません。開き直って、相手の反応がわからないのに、ええいままよ!と踏み込んでいって、傷つけてしまったら犯罪的ですしね。
いつか、都会の立地がいいところで、どのくらいアドラー心理学カウンセリングの需要があるのか試してみたいという野望がないことはないですが、それはまぁ夢物語に近い話なので、もしも「もしもボックス」があったらというネタとして置いておきます(笑)。
今日も読んでいただき本当にありがとうございます。
みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。